祓としての「変な意識の力」

変な意識の力と「諦め」などで触れていますが、僕には変な意識の力が働く時があります。

胡散臭い自称霊能力者やスピリチュアリストたちが欲しくてたまらないような力ではありますが、僕はそうした類の者ではありませんのであしからず。

(力については「同調によって情報状態の変化をもたらすという程度」という説明をしておきましょう)

主観的な空間の把握としての認知が揺れるのか、すれ違うだけでコケるおじさんやおじいさんがたまにいて、あまり出歩かないものの月に一度くらいはそんなことがあります(昨日もそんな事がありました)。コケるという現象については何故か主に男性ばかりです。

トップジョッキー引退

これは、相当の常連さんかつ、一部エリアの方、もしくは地方競馬に興味関心が向いている人にしか気づき得ないことですが、

2019年8月に人生で初めて笠松競馬場に行き、岐阜金賞の勝利ジョッキー佐藤友則騎手をご紹介していました(清流の国 ぎふ 2019 笠松競馬場)。

その後、

2020年8月8日 岐阜新聞
トップジョッキーとして活躍した佐藤友則騎手(38)ら笠松の3騎手と尾島徹調教師(36)の4人が1日、NAR(地方競馬全国協会)の免許が更新されず、「引退」扱いになった。
https://www.gifu-np.co.jp/articles/-/2403

詳細については触れませんが、2021年には「競馬関与禁止処分となったようです(捜査などがあったようですので確定するまでは控えようと思ったりしていました)。

僕は直接何の関係もありませんが、いつものように「時空の彼方へ消滅」という感じがしてしまいました。

一つの祓として

まあそんな感じで、いつも何かしらの「問題」があり、それが対象もろとも消滅という流れなので、一つの祓としての雰囲気を感じてしまったりもしてしまうわけです。

ここで「祓」という字を使ってみましたが、そんなことを思ってしまうには、一応理由があります。

祓う力などと言うと中二病のようですが致し方ありません。もちろん、一切の宗教に絡んでいませんので再度あしからず。

社の掃除

といっても、こうしたことが起こるようになった頃、というのが、おばあちゃんちの横の社の掃除をしだした時からです。

寺の管理下にあるのですが、正月前にしか掃除をせず、本殿も土埃まみれ、末社に至っては屋根が壊れているという状態だったので、「なんだか不憫だなぁ」と思い、勝手に掃除して、勝手に直したというようなことがありました。

特に義務はないのですが、元々、おばあちゃんが元気な頃はおばあちゃんが、母が住んでいた頃は母が掃除をしていました。しかしおばあちゃんが高齢になって掃除したくてもできないという状態になってからしばらく放置されていて、ある時おばあちゃんに了解を得るような形で、勝手に掃除したりしたことがきっかけです。

先代の住職はきちんと手入れしていたようですが、今の住職は拝金主義であり、ぼったくっては夫婦で高級車に乗り、高級フレンチに行ったりしつつも、そうした面は放置しています。

なので、「なんだか不憫だなぁ」と思ったりしたわけです。掃除という行動も、半分くらいは拝金主義の坊主への怒りが皮肉となったようなフシがあります。なので深い意味はありません。

勝手に直してよいのかは知りませんが、末社の屋根については壊れている部分を針金でつないだりして雨が当たらない程度には直したりしました。

この正月に久しぶりにそこに行ってみると、参っている人たちがいました。祀られているものの気持ちがわかったような気がしました。

実在論ではなく、少なくとも一つの象徴として、有形により生ずる無形のひとつの情報状態としての「機能」は働いている、と思っています。

その「感覚」を最初に得たのが「社の掃除をした頃」というだけです。

「祓」にしても情報状態の変化という意味での機能を考えれば、特に不思議なものでもなんでもありません。その手段が普段慣れ親しんだ日常のものとは異なるというだけです。

変な意識の力と「諦め」

Category:miscellaneous notes 雑記

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