社会人としての職業観

社会人としての職業観ということで、社会における職業についての「自分の原型」について軽く触れてみましょう。

なんだかんだで公私ともに職業選択のご相談を受けることがよくあります。そんな中、いつもほとんど参考にならないと思うような答えを返しています。

なぜならその人にはその人の個性があり、違う経歴を歩んだ僕ひとりの思いなどほとんど役に立たないはずだからです。

しかしながらよくそうしたことを聞かれるので参考程度に書き記しておきましょう。

モデルはブラックジャックと萬田銀次郎

僕の社会における社会人としての職業観の根底にあるモデルはブラックジャックと萬田銀次郎の二人です。その両者に共通しているポイントを抽出すれば何となく職業観の中心が浮かび上がってきます。

何かしら「人からお願いされる」ような技能等々があり、権威に媚び諂うことはなく、時に客にキレ、時に高額請求をするというような感じでしょうか。人と組まないこともないですが、常に人とチームで何かをしているわけではないというところも共通しています。

もちろん無免許医でもモグリの金融屋でもありませんが、職業人としての姿勢はブラックジャックと萬田銀次郎がモデルになっていますし、ほとんどその通りになっています。

世の「なりたい職業」の対極にあるもの

世の中のやや現実的な「なりたい職業」を見てみると、公務員や教員、研究者等々が上位にランクインしています。

個人的には本当に「なりたい」のか、と首を傾げてしまいますが、恐怖心から消去法的にそうしたものを選んでしまうのでしょう(教員、研究者というのはまあまだわからないでもないですが、「公務員」という抽象的なものを指すというのはどうかと思います)。

そうしたものの共通項は、概ね「試験で点を取りますから、荒野にさらさないでください。大きな存在よ、私を守ってください」というようなものです。

ということで、ブラックジャックや萬田銀次郎とは対極にあります。

そのような世の「なりたい職業」の対極にあるような感じが、僕の社会人としての職業観です。

そうした職業観を構成する要素として、「融通の利かない組織は面倒だから」というものや「嫌でも耐え忍ばなければならない」というもの、そして「そんなことでは経済社会における本質的な恐怖心は消えない」というようなものが含まれています。

ただまあ公務員にしろ大企業にしろ、その組織の内側でしかできないことがあるので、それは個人の好みの問題であり、人それぞれで良いと思っています。

仮想敵への思い

そんな感じで職業観のモデルとして根底にあるのはブラックジャックと萬田銀次郎ですが、思いとして最も強いのがヤング編の時の萬田銀次郎です。

ということで、融通の利かない行政を含め「社会の中の嫌な奴」を仮想敵として設定し、ヤング編の銀次郎でいうところの阿久津天勝のように取り扱うようにして20歳前後の頃を過ごしました。

出会う良き大人たちや書物は、銀次郎があいりん地区で出会う人達のような存在であり、当時の僕はミナミの帝王ヤング編に描かれる銀次郎のように火がついていました。

元々欲は少なく怒りが強いので、そうした構造がマッチしていたのかもしれません。

おかげで今ではだいたいの相手に対してデコピンくらいで勝てるようになっています。

直接勝てなかった場合の対応

世の中ではどうあがいても直接的には勝てない、という局面がやってくる時があります。

まあ例えば、行政関連であれば「書類上、無理なものは無理」と突っぱねられるような感じの時です。年度が云々、世帯が云々、そんなことは適当な区切りのはずですが、「決まっているから無理」などと言ってきたりすることがあります。

民間であればなんとか交渉でうまくいくこともありますが、融通が利かないので仕方がありません。

そんな感じで憤ってしまうような時があります。

しかしそうした時は次のように思うようにしています。

「書類上、オッケーならオッケーなんだろ?」

ということで、直接的に「それ」が無理なら、「あれ」側で取り返してやれば良いのです。

これは20代の頃、一時的に国民年金に加入せざるを得なかった時、「お父さんに所得がありますから、減免はできません」と言われたことへの怒りからスタートしています。

「そんなこと世帯分離したら済むじゃないか」

今の僕なら、当時の僕にそう言うでしょう。

まああの手の人は、人のことなど何とも思っていない、ということが勉強になりました。そして、そうした人たちに対してどう捉え、どう対応していけばいいのかもその後わかっていきました。

ということで、何かしらが起こった時、自分の中の「萬田銀次郎」を呼び出し、ニタ―っと笑いながら「萬田銀次郎ならどうするか?」を考えるようにしています。

探究心や誇りなどが混じったような面白さ

一方、職業観の中でブラックジャックの要素として強いのが、「嫌でも起こる責任感」をもたせてくれる対象分野そのものへの興味という面です。

人への責任感というものとは別に、対象に対する一般的な面白さとはまた違った、探究心や誇りなどが混じったような面白さを大切にしている面があります。

それは「遊び的な消費」では叶えられない楽しみです。そしてそれは人の役にも立ちます。

そしてさらにそれは誇りが混じっているので、「おまえも仕事を欲しがっているクチの一人だろう」などという姿勢でやってくるやつには「ふざけんな(笑)帰れ(笑)」と言ってしまったりするわけです。

気難しさへの中和剤

こうしたブラックジャック的な気質、他の手塚作品で言えば、七色いんこのような感じでいると、基本的には和みがなく、気難しくなってしまいがちです。

ということで、ブラックジャックで言うところのピノコや、七色いんこで言うところの玉サブローのような存在が程よい中和剤になります。

そんなことを思ったのは、やはり養子のうさぎが亡くなってから、しばらくは意識がカタくなりやすかったというような実感があるからです。

あくまで職業人としての職業観

まあこれらの感覚はあくまで職業人としての職業観であり、収入源等々に関して「職業一本で食う」といった感じにとどまっているわけではありません。

そしてあくまで仕事スタイルとしてのモデルがブラックジャックと萬田銀次郎というだけで、基本的に職能だけでなく、数は少ないですが人との繋がり等々も大切にしていますし、ほとんどはツキで動いていると思っています。

こうした職業観は、「勤め人」としての就職の面接などには適していません。ということで就活生等々に対しては参考になりません。

まあ基本的に現代の教育は「普通に使えて変なことをしない人」を量産するように設計されているので、「事件」のようなことが起こり、何かしらの動機が生まれないと僕と同じような感じのことは思わないような気もします。

ただいくら難しいことを言っていたりしても、世の中は、ごっつええ感じの話やLIVE A LIVEの話をするだけで仕事が入ってきたりするような世の中です。

そして動機の発生から考えると、全てが偶然のようなことで構成されています。

ということでやはり結局ツキだけだと思っています。

Category:miscellaneous notes 雑記

「社会人としての職業観」への4件のフィードバック

  1. おはようございます。
    お久しぶりです、ぺんたくやです。

    あれからというもの、気になる記事はあったのですが、つい最近まで胃腸の動きが弱りしばらく体調を崩しておりました。
    やはり意識的なものなのか、ただの不摂生だったのか良く分かりませんが昔から胃腸周りが弱いのを痛感させられます。

    ーー

    ところで以前にお伝えしたように、相変わらず僕は自分のために日々金融の勉強しています。

    今回の記事ももちろん相まって金融関係ということ思い出したのですが、ミナミの帝王は僕の母親も大好きでした。
    若い頃に離婚して片親になった母ですが、水商売をしており、女の子を雇わずにスナックの自営業をしてました。反社が経営する場所で働いたこともあったようです。
    そんな裏の世界を見てきた母親ですから、子供の頃からミナミの帝王ってなんだかそんな人たちが見るアウトローで、おぞましい雰囲気でとっつきにくいイメージがあったのですが、最近は今の自分にもマッチングした感覚があり、意識したわけではないですが僕も興味があったりします。

    萬田銀次郎は、なんだか一貫した信念を持つ頼もしい兄貴分にも映り、コロコロやニンテンドーで育った主人公像とはまた良い意味で刺激的なものでしょうね。
    bossu様の理想像にもあるとのことなので、共感し難いキャラクターということはないだろうと既に感じてさえいるわけです。

    コンパスの針のように基盤となる、理想のキャラクター像を保持しておくことは様々な局面でも助け舟となるし、とても良いことですよね。
    僕も昔、いろいろ考えてみたこともあります。
    (一昔前のRPGの主人公のような喋らないキャラクターになると、また少し想像し難いものですが)

    母は竹内力主演のテレビ版でしたが、僕は暇さえあれば図書館などに出向いて、コミック版を思考しながら読み進めてみようかと思ってます。

    1. お久しぶりです。コメントどうもありがとうございます。
      (一箇所表現を少し変更させていただきましたがご容赦ください)

      まだまだ季節の変わり目感がありますので、お体をお大事に。

      さて、ミナミの帝王についてですが、僕は18歳くらいの時にたまたま地元の古本屋さんが店じまいをする時に全品50円ということだったので、当時出回っているものでその古本屋さんに置いてあるものを全て買いました。
      以前どこかで少し書きましたが、当時はやはりそうした社会に「飲まれる側」になりそうで、少しビクビクしながら「飲まれまい」としていたような気がします。
      しかし今では完全に萬田銀次郎側になっています(といっても、もちろんアウトローというわけではありません)。

      広く金融分野に触れるというのも良いですが、社会においては、やはり数字的な面とは別に民法や商法を中心とした法務的な力が必要になってきます。
      しかしながら、それらはあくまで「相手の動かし方の一つ」という感じになっています。
      萬田銀次郎にしても、法に則って考えると直接に相手を動かすのが無理な場合、他の人を使って嵌める等々、別の手を使うことがあります。
      そんな感じで出てくるいろいろな方法論を「ここまで凄まじいのは無理としても、この構造は応用できるかな」といった感じで読んでいくと面白いと思います。

  2. おはようございます、コメントありがとうございます。

    自分のシチュエーションを特定の人物に置き換える良さはとても共感できます。
    行動の選択の余地が生まれることを前提に、根気よく実践していけるので。
    自分の凝り固まった、偏りがちな思考への潤滑油みたいな、柔軟性にも富むと思います。

    まぁ、創作物ならあくまでもフィクションの事例になってきますから、膨張されている部分も少なからずあるのも承知の上です。
    ただ、過去記事から拝見させていただき、萬田銀次郎の行動から心得た思考の恩恵があったのも覚えてます。
    (大量の情報量がキーになる….など)

    そういえば僕は最近、生命保険の契約を結んだのですが、まだまだ知識足らずで相手の意のままに結んだ部分もありました。
    今は色々読み漁っており、保険の実際問題を徹底的に調べ上げ、不必要なものを取っ払い、強い自分の意思でプランを見直してくるつもりです。
    そんな時も、きっと萬田銀次郎ならしっかり論破できるキャラクターなのでしょうね。

    そんな男に、僕もなりたい!!
    そんなことも思っております。笑

    またぜひ気になった記事からお話させていただけると嬉しいです。
    過労気味とのことでしたので、bossu様もどうかご自愛ください。それでは失礼致します。

    1. 大量の情報を得て限界を超えるというような状態になるには、ブラックジャックでいうところの本間丈太郎先生への思いや、萬田銀次郎でいうところの阿久津天勝への思いのような何かしらの動機の部分が先に必要になるような気がしています(でないと、きっと瞬間的に興奮状態になることはあっても、結局続きません)。
      そうしたエピソードがなくても、細かなものをかき集めれば、類似したような心持ちになることはできると思いますので、実際の行動とともに「何を本当に大切にしているのか」を振り返るというのも良いと思います。
      なお、生命保険については、社会保険や税の他、家族構成・状況、現在の資産に加え、それらがどう変化するか等々「机の上に並べて考える材料」がたくさんありますので、全体を見るようにしてくださいね。

      それではまた他の投稿ででも。

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