「目の前のたったひとりのために」という視点さえしっかり持つことができれば、案外様々なことはうまくいきます。
しかしそんなことは何となくわかっているようなことで、使い古されたような印象もあります。ただ、そうした視点を持っているはずなのにうまくいかないということも起こり得ます。
その原因はいくつか考えられますが、ひとつは「目の前のたったひとりのために」と思いつつ、その相手への意識がはっきり向いていないということです。また、一つは、相手のためにとは思いながら裏側に自己都合がガンガン入っているという場合です。さらにもう一つは、「目の前のたったひとりのために」という視点だけになっていることです。
こうなると「ああ、一体どういうことなのだ」という感じになってしまいます。
ということで、この手の混乱を観察していきましょう。
「目の前のたったひとりのために」という視点を曇らせる要因
基本的には「目の前のたったひとりのために」という視点をしっかり持つことができればうまくいきます。
それは客商売であれ、家庭であれ、交友関係であれ、人と関わったりすること全般に通じます。
ただ、そうは思っていても、そう知っていたとしても、現代社会にはそれを曇らせる要因がたくさんあります。
僕はSNSのようなものも基本的にはやりませんし、「時間を決めた一時的なもの」を除いてグループチャットのようなものもやりません。さらにいうと、人といる時にスマートフォン等を触ることもありません。使用するのは通話のみで、プライベート用のメールも仕事用のメールも受信設定すらしていません。
その対象となる「人」は、家族も含まれています。つまり、仕事中や特定の目的がある場合以外はメールは見ませんし、情報検索等の目的がない場合は、デジタルデバイスを触りすらしません。
また一方で、そうした空間においては「ひとまず数を稼がなければならない」というような強迫観念のようなものもあります。フォロワーの数や再生回数、表示回数、リアクションの数の類がそうさせています。
そんなこんなで商売においても、「ひとまずは数」ということに意識が向きがちです。
「興味関心が細分化されている現代では、ひとまず数だろう」
という感じになっています。
しかしながら、それを選ぶと疲弊していきます。
人を対象とした「完全な集中」の経験
「目の前のたったひとりのために」という視点を作ってくれたのは、歴代の彼女たち等々だと思っています。
この時に重要なのが、「相手のことが好きだ」という自己都合だけでもうまくいかず、かといって「僕は何でもやります」という相手のことだけを大切にする感じでもうまくいかないということです。
100%相手との関係だけを考える感じ、つまり人を対象とした完全な集中というか「没頭」を経験させてくれます。
相手との関係が近づいてかなり良い感じになった時には、その他の誰かからの連絡等々は完全に無視するはずです。
その感覚は重要です。
ただそれだけだと、感情の餌食になります。
義務感や自己都合や自己犠牲
意識を向けることが義務のようになってもダメです。
また、相手のためにと言いつつ、自分の都合が入りすぎていてもダメです。
かといって、相手のためだけに意識が向きすぎても自己犠牲に走ることになりかねません。
商いで言えば「三方よし」というようなものがあります。
しかし具体的な理屈で、低い視点で「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」を考えても、どこかに嘘が入ってくる可能性が高まります。
言い訳臭くそういう感じにはなっていても、自分が儲けたい、自分が目立ちたい、自分がモテたい、自分が相手を支配したい、という感じのものが奥底に入っていたりします。
例えば「世間よし」ということを口先では言っていても、「自分の利益より社会のことを考えている自分は、きっと相手から評価されるだろう。結果私はモテる」というものが本音として潜んでいたりもするわけです。
関係する因縁を観察して最も良い状態をイメージしてみる
「目の前のたったひとりのために」という視点をうまく活かすためには、その「目の前のたったひとり」に関係する因縁を観察して最も良い状態をイメージしてみるというのが一番です。
その関係性には自我としての自分も含まれています。
自分にとっての都合を含めてもいいですが、自分にとっての都合だけで「最も良い状態」をイメージした場合はうまくいきません。
端的には、自分も相手もその周りの全ても視野に入れて俯瞰しながら、「目の前のたったひとりのために」という視点を持つというような感じになります。
最終更新日: