無頼漢の屁理屈

たいていの人は難なく接することができるのですが、強烈な感情によって頭が働いていない人を相手にするときは少し辟易したりすることもあります。

なぜなら話が通じないからです。

最終的には話が通じるのですが、「己の都合」しか見えなくなっている人を相手にするときは若干厄介です。

もちろん己の都合を伝えてもらうのはいいのですが、相手はそこにばかり目が行くため盲点が大きくなり、我が事は棚に上げたりしだすので面倒です。

そして一旦棚上げされた事柄をツッコむと機嫌が悪くなり、さらに話はうまく進まなくなります。

例えば、その人に本を借りていたとしましょう。逆に自分も相手に漫画を貸していたとします。

そんな時に「本を返せ」とだけ言ってくる人を想像してみてください。

それが「己の都合しか見えなくなっている人」です。

冷静になれば、本を返せと言う前に自分も漫画を借りていたことを思い出せるはずですが、何かの感情に苛まれてる時にはそれが見えません。

短期的にそうなっているだけならまだいいですが、根本的にそうしたものが全然見えないタイプの人もいるので少し困りものです。

それだけならまだしも「じゃあ漫画も返してよ」と言うと、怒ってくる人もいるくらいです。

それが単に遊んでいる仲だけでも厄介ですが、親族や仕事関係などであればもっと面倒です。特に多少「好意」で関係が強化されている場合はもう一段階面倒になります。

また、周りの人たちからそそのかされたり、周りに相談しているうちに元の前提を忘れてどんどん解釈を変えていく人もいます。

だいたい誰かに相談事をすると共同でアラ探し作業がスタートします。相談された側も「役に立ったと思わせたい」というスケベ心が働き、何かしらアラ探しを始めるのです。

そうして話がどんどんと悪い方向に行くと、元の前提、つまり約束事なら約束事、仕事であれば最初の契約内容などを忘れて横暴な主張をしてくるようになります。

アラ探しの共同作業者もいることですし、「一人で考えたことではない」と思い変に自信を持っています。

そんな感じで勝手に解釈を変えた上で、「ゴリ押しをすれば相手は折れるのではないか」という感じで約束事の範囲を超えた主張をしてきます。

概ね「多数決が正しい」と思いこんでいるメスの群れに多い傾向があります。

そうなるともうほぼお手上げです。契約内容などを根拠に物事を完了させて手を切るしかありません。それが仕事であればまだ金銭的なやり取りだけで済みますが、好意で成り立っている関係の場合はもうそれで縁がなくなり、後味の悪い結果になります。

当初の約束を知らない「全然関係のない第三者」を加えたりしながら前提を変えられては、結論も大きく変わってきます。

そういうわけで世の中ではそうした横暴な「解釈変更野郎」の間違いを間違いだとするために契約書というものがあったり裁判制度があるのですが、それはほぼ仕事などでしか使えません。

もちろん、そんな相手を説き伏せるということを楽しんでもいいですし、ビジネスライクに手を切ってもかまいません。

切れたら切れたでそれは良い出来事です。

そんな人と関わらなくても、世の中には良い人がたくさんいるのですから。


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