まるで営業方上がりか事務方上がりかというような感じになりますが、そのどちらでもないような「職人」というポジションもあります。
業種によって職人がいる場合といない場合がありますが、大体は営業系か事務系かという感じで仕事は分かれています。
これは、食べ物を獲得する能力と、保存・加工する能力のような分類になるため、独立するとなるとまずは前者のほうの能力が必要になります。
独立時に重要となる営業力
食べ物を獲得してもすぐに放置して腐らせていたりすれば効率が悪いという感じにはなるので、そうしたことをサポートする人たちの役割というのも重要にはなります。
しかしながら、兎にも角にもまずは食べ物がなければ餓死します。ということで、二者択一で考えた場合、独立時には営業力の方が重要になります。
一応現代ではそのすべてをアウトソーシングできるという感じにはなっていますが、少ない資本でやるとなると、少なくとも自分の分くらいは何とかお客を見つけてくる必要があるでしょう。
営業が嫌な仕事になるのは「人にやらされている時」
営業は結構「嫌な仕事」のイメージがありますが、そんなことはありません。嫌な仕事になってしまうのは無理があるような状況の中「人にやらされている時」です。
自分としては特に興味も関心もないものであり、かつ、相手にとってもそれほど役立たないようなものを人からやらされているという形で無理に売り込もうとすると苦しくなります。
興味のないもの、人の役に立たないもの、人に勧められないようなものを売ろうとすることは苦しみです。
その上営業成績としての「数字」ばかり叫ばれ、「どうなっているんだ?」とか「今月の残りの数字はどうするつもりなんだ?」などと恫喝されればもっと苦しくなります。
「そのモノのすばらしさを語る」のであれば楽しい
しかし逆に、自分が心底興味も関心もあり、素晴らしいものであると思っているものを人に売るという場合には苦痛がありません。少なくとも、「そのモノのすばらしさを語る」という部分に関しては、お金を払ってでもしたいくらいのはずです。
例えば何かのプラモデルシリーズのマニアだったとして、同じようなタイプの人に「あるプラモデルの素晴らしさ」を延々と語るという場合、そこには苦しみがありません。
むしろそうした素晴らしさを語りたいということで、マニア同士が集まってイベントを開いたりしているくらいです。つまり苦しいどころか「お金を払ってでも語りたい」ということになります。
自分も相手も興味がない状況で「売ろう」とすると苦しい
しかし、自分も興味がなく、相手も興味がないような状況で「売ろう」とすると、苦しみが生まれます。そこには無理があるからです。
それが自分への嘘なのか、相手への嘘なのか、それとも奏法にとっての嘘なのかは様々ですが、何かしら部分的に嘘が含まれるという感じになっていたりします。ということで「無理がある」ということになり、当然に苦しさがやってきます。
苦労は「無理がある時」にやってくる
営業力があって事務処理能力もあるというのが最強ですが、もし営業には自信がないという場合は、それを乗り越えるのには少し苦労が要るかもしれません。
しかし、その苦労は「無理がある時」にしかやってきません。
営業の仕事を経験してみようと思ってやってみるのもいいかもしれませんが、自分が心底売りたいものを扱えるという場合は稀なので、そうした方法を選ぶと多少の苦労が待っているかもしれないという感じになります。
そして「今月の目標」などと言われて苦しくなるのも無理がある時です。
語るのが楽しく売るのが楽しいのであればゲームのような世界
ラクラク売れてしまうのなら、そんなチンケな目標など必要なくなり、語るのが楽しく、売るのが楽しいのであれば、目標があったとしてもそれはゲームのような世界になってしまいます。だから苦しさはないのです。
苦しさはない上に、収益も上がる、社会的に意義がある、ということになればある意味天国のようです。そこまで自分やお客の感性に完全にマッチするようなケースは少ないかもしれませんが、それに近づけていくことはできるはずです。
営業への偏見
事務は事務で意味のある仕事ですが、それだけだともちろんすぐに餓死してしまいます。売上がないのに経理もクソもないからです。
それは世の中でもたいてい理解されているはずですが、どうも営業に偏見を持っている人が多いような気がします。
それは単なる偏見です。数多くの事務の人を支えるために、無理なものを無理に売らなければならないような変な状況を作っている、という場合もあります。
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例えが悪いですが、宗教の勧誘の人は、営業の極みのようなことをしています。あの構造を考えると、「苦しみのない営業」が理解できるはずです。そして人をカルト宗教に入信させるよりも物やサービスを売るほうが簡単です。
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