母の日に母と二人きり

母の日に母と二人きりになった時のことについてでも書いておきましょう。

昨日は母の日でした。だからというわけではありませんが、弟と母の様子を見に行きました。

普段は弟がよく面会に行って世話をしてくれています。

風邪をきっかけにしばらく気管支炎のようなものが続いていたので面会を控えていましたが、最近病院に行くと「夜に出る咳は単なる過敏反応」ということだったので、何かが感染することもなし、久しぶりに母のところに行きました。

面会人数が限定されているので、家族総出でというわけにもいかず、弟と二人で行くことになりました。まあちょうど母の日なので、それが一番良かったのかもしれません。

弟は後から来たので、最初に45分間、母と二人きりになりました。

母の状態を簡単に言うと、脳の出血から意識不明となり、その後意識が回復してリハビリをしています。

春先に小脳出血、そしてその血による脳幹の圧迫によって意識不明が数週間続きました。その後、意識が回復し、今リハビリの最中です。大脳への影響はないと推測されています。

ただ、出血した小脳の機能の低下によって「様々な動きの細かな微調整」が難しいのはもちろん、出血中に血液によって圧迫された脳幹へのダメージのため、体が言うことを聞きません。気管に入るとまずいので、水を飲んだりすることも現在は禁止されています。

その状態については僕自身はさほど動揺はしていませんが、面倒なのは、母の周りの環境です。というよりも同居する父の器です。

咄嗟の時に人の本当の器が出ます。

母が倒れた日の父は、情けなかったですね。

考えられないほどに情けないと思いました。

以前から知ってはいましたが、結局、彼の承認欲求や愛着障害のようなもの、そこからくる僕の弟への敵対心等々を押し付けられて、長い間ストレスに晒されていたということが、最近さらによくよくわかりました。

さて、母の日に母と二人きりになった時のことです。

まだ言葉はうまくでません。

口周りがうまく動かず、ほとんど聞き取れません。

そういえば、僕一人で母と面会するのは初めてです。

何やら苦しそうなので、看護師さんを呼びました。腹がぐるぐるしていたのと、乾きによって口内に違和感があったようでした。口の乾きをマシにするために水を塗って潤すと、少し落ち着きました。

そして二人きりになって手を握った時、母は必死で話しかけてきました。

やはり聞き取りにくい感じでした。

読唇しようにもその動き自体もリハビリ途中です。

そういえば、最近、伝えたいことが伝わらない苛立ちからか、病院でたまに怒り散らすことがあるということを弟から聞きました。

意識不明だった時は感じない、もしくは、感じにくいような苦痛を、意識がどんどん戻ってきてより苦しく感じてしまうというようなこともあると思います。

そうしたことを聞いていたので、まあ「たくさん怒り散らされても別にいいや」という前提でその日は面会に行っていました。

どうしようかなと思いましたが、他心通の出番となりました。

「生き地獄や。早くあっちに連れて行って」

そう僕が言葉に出してみると、母が、「生き地獄や」とうまく発音しだしました。

辛い、苦しい、生き地獄、そんな言葉をたくさん吐き出し始めました。

やはり、一度誰かが発音すると、発音しやすくなるようです。

感情を言葉にし、さらに誰かに意志を伝えるということで、感情のエネルギーを吐き出すことができるのであれば、多少は苦の感覚が和らぐでしょう、と思い、母の心に映るものを言葉にして、僕は発音し、母はそれをまた言葉にしました。

母と二人きりだった45分間のうち35分間くらいはそのようなことを繰り返しました。

「僕の娘(つまり孫)に会いたいね、ただ、今の風邪が治ってからになるけど、もう少ししたら会えるよ」と話題を変えると、「会いたい。でも、その待つ間、この生き地獄を生きていたくない」と叫んだりしました。

僕が少し涙を流すと、母も涙を流しました。

後で聞きましたが、母は、弟や父には、このような弱音を吐いたことはないようです。

母には他に頼る相手がいません。甘える相手も、弱音を吐く相手もいません。

母の両親は既に亡くなっています。

そして僕の父は「子ども」ですから。

母は父に散々寄りかかられて、潰れたんです。

僕が同居していた間はまた持ちこたえていたんです。

でも、家を出て独立した僕の家庭に、実家の迷惑を持ち込まないようにと、抱え込んだんです。

リハビリ中の今も辛いですが、その前も辛かったんですね。

17歳くらいの時、いよいよ父の事業破綻が影響し始めていた時、どこから買ってきたのか「なんとかなる」と彫られた招き猫のようなものをテレビの上に置きだしたことを思い出したりしました。

「もう嫌や。生き地獄や。苦しい、あっちに連れて行って」

と叫ばれるのは辛かったですが、幸い僕はそれを時空の彼方に飛ばすことができます。

お母さん、少しだけでも楽になってね。

弟が来てから、母の弱音は止まりました。

1時間程度で帰る予定でしたが、結局リハビリ見学とその手伝いで4時間以上滞在することになりました(理学療法士、言語聴覚士の方々お世話になりました)。

歩く練習をしている時、下を向かずに上を向いた方が良いらしいので、上を向いて歩くように、弟と一緒に手を振って「こっちこっち、こっち向いて」と、兄弟でやっている時、また、言葉の発音の練習をしている時、「うん。うまいよ。聞き取れるよ」と弟と合いの手を入れたりしている時、僕たちが幼い時は、母が僕たちにやっていたんだろうなと思うと、なんだか不思議な気持ちになりました。

ある意味人生で最高の母の日だったかもしれません。

Category:miscellaneous notes 雑記

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