最も厳密な理論の効用

人々は、ある人間の多くの道徳的な弱点を大目に見、その上粗い篩(ふるい)にかける。彼が最も厳密な道徳理論を信奉するといつも公言しているとしてのことだが!これに反して人々は、自由精神の道徳学者の生活を、いつも顕微鏡で調べてきた。その生活に過失があれば、ありがたくない認識の最も確実な反証になる、という底意を抱きながら。 曙光 209

「その生活に過失があれば、ありがたくない認識の最も確実な反証となる」

これは日常でよく行われていることです。自分に都合が悪くなれば、相手方の過失を見つけ、関連させて、本題とは全く違った性質なのに「反証」にしようとする試みです。

「あなたには言われたくない」と言う言葉による反論や「そんな人には言われたくないよね」的な感じで論理を展開し、周りの同意によって自分の正当性を高めようとするような感じです。

「あなたには言われたくない」

これは、「そんな奴に言われたくない!」というタイプのものです。相手方の過失を本題とは関係ないことに関連させて「反証」しようとする試みとして発言者の属性と発言内容を混同するというやつです。

確かに気持ちはわかりますが、「そんな奴」と「そんな奴が発した言葉」は別物です。本人の属性と、その人の発した言葉自体は切り離して考えなければなりません。

「あなたには言われたくない」などという反論は、日常でよく聞いたりしますが、論理においてはあまり有効的ではありません。本来関係はないですからね。

逆にあんな人、あんなにすごい人が言っていたのだから、というものも相当危険です。「いい人」や「偉い人」が発した言葉と、その人とは切り離して考えなければなりません。

感情の世界のやりとりなら結構ですが、何かの判断を下すときには、そういった感情の世界は、時に最大の邪魔になります。お世話になっている人が「先祖の供養」をしているからといって、こちらも宗教代を出すのが当然なのでしょうか(墓場ビジネスと霊感商法)。それは完全に切り離さねばなりません。

自由を尊重せねばならないという雰囲気

幸いかどうかはわかりませんが、日本では思想信条・宗教関連については「自由を尊重せねばならない」という周りの雰囲気があります。朝礼で神棚に二礼二拍手一礼をするのが会社の文化でも、それを拒否しても叱られないケースも有るでしょう。

寺の坊主は、サラリーマンより祇園に繰り出しています。

そして有名なあの天満宮の宮司たちは祈祷の控室で競馬新聞を読んでいることは、あまり知られていませんが、身近に関係者がいるとそんなことは筒抜けです。

天満宮においては一応のメインである終い天神と言われる12月25日の方が正月の初詣よりも「一大イベント」とされていたりします。しかしながら日程的に、だいたいその直近に有馬記念を控えています。中央競馬会の最大イベントなことは言うまでもありません。そんな時期、宮司たちは菅原道真の知恵を使ってかどうかはわかりませんが、控室で競馬新聞に赤えんぴつを走らせています。

しかしながらこれとそれとは関係ありません。関係ないので、控室でどうしていようと構いませんが、問題があるとすれば、毎日参拝しているようなものが、競馬で当てられもしないのに「運気向上」「ご利益」というワードで人を釣っていることです。

場所や服装の雰囲気に流されず、その言葉の意味をしっかりと自分で捉えてみることですね。

※しばらく間が空いたので、連続するつもりが、途中で飛ばしてしまいました。間にはさみます

最も厳密な理論の効用 曙光 209

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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