新年 2021

みなさまあけましておめでとうございます。

2021年になりました。

元日は日が変わった瞬間から早速白味噌の雑煮を食べました。

今年は年が変わる直前までうたた寝し、年が変わる5分前に半分くらい目覚め、夢うつつに「自賠責保険の更新ついでに電動自転車でも見に行こうか」などど思いながらむにゃむにゃしているうちに2021年を迎えました。

丑年ということで…

さて、今年は丑年ということなので、早速25番に登場してもらいましょう。

美ヶ原の牛「25番」

美ヶ原の牛「25番」

そしてついでと言ってはなんですが、こちらは昨年出会った仔牛です(授乳中)。

仔牛 授乳中

仔牛 授乳中

そういえばこの仔牛と出会った時に聞きましたが、種類にもよるものの、牛は一日で700グラム以上体重が増えていくようです。

授乳中の仔牛で思い出しましたが、丑年ということで牛乳についてでも触れていきましょう。

牛乳について

どうやら幼児の頃は無類の牛乳好きだったようで、毎日1リットルの牛乳を飲んでいたそうです。

これは一般的に推奨される牛乳の摂取量をはるかに超えていますが、その影響とあってか骨は著しく頑丈で、一度も骨折したことがありません。

小学校6年生まではなんだかんだで牛乳好きでしたが、その当時、給食調理室の冷蔵庫が故障し、給食時に生ぬるい牛乳を出され、吐いてしまい、それからというもの20代前半までの間の約10年間、牛乳を拒絶するようになってしまいました。

20代前半の頃、友人が乳業メーカーに勤めだしたということから、「最新の牛乳はどんな感じなのだろうか」という興味が訪れ、恐る恐るキンキンに冷やしたものを飲んでみると「意外といけるじゃないか」と思い、「拒絶」から「場合により可」まで何とか戻すことができました。

なので前半の約10年間は牛乳ばかり摂り、後半の約10年間は牛乳を拒絶するという日々を経て「場合により可」になったという感じになります。

軽く思い描く夢

軽く思い描く夢ということで「ぜひやってみたいことは何か」ということに思いを馳せた時、結局思い浮かんだのは、「イアラ―!」と叫ぶ、ということくらいでした。

楳図かずお氏の豪華愛蔵版のイアラの裏表紙はきっと石舞台古墳であるような気がするのですが…

(参考:石舞台古墳)

石舞台古墳

石舞台古墳

楳図氏…

あなたはきっと叫んだでしょう。

僕も叫びたい!

という程度です。

まあ究極的にはできそうなことではありますが怒られてしまいますからね。

それでは本年もどうぞご愛読くださいませ。


新年 2020

Category:miscellaneous notes 雑記

「新年 2021」への5件のフィードバック

  1. あけましておめでとうございます。

    そして、はじめまして。
    富山県在住の29歳男性です。

    この度、赤裸々にも意を決し、初のコメントを失礼致します。
    子供時代から僕に対する父親の暴力が原因で両親は離婚し、その後、母親は妹と僕を引き取りました。
    感情を溜め込む性格が災いしたのか、中学生で十二指腸潰瘍を患い、数年前にしてなんとか肉体面では克服したものの、その間にも鬱・無意味な自傷行為などを繰り返しました。
    心身症かもしれないということがキッカケで心理学に触れましたが、なんだか根本的な解決にならなさそうだと早めに見切りをつけることになり、今はもっぱら哲学に触れる機会が多くなってます。

    幼い頃から「問い」が多く、本当に大切なこと・何故そうたらしめさせられるのか・どうして全ての現象には意味を添える必要があるの?など突き詰めてくとぶち当たってくる領域に対して妙に強い関心があり、色々な書物と平行して、人知れず数年前からたまたま行き着いたbossu様のサイト(主に哲学、鬱、宗教がらみ)を拝見させていただいてます。

    それまでは、ただ自分が自分の中で渦巻く毎日で、納得できるような根拠も語られぬまま、ただひたすら周りから位置づけられていくことにうなだれ、このまま曖昧なものに殺させてしまうのかなぁと感じたりしていました。

    今まで生きてきた中でも家族や、それが友であっても奥底のエッセンスみたいな部分で同じように感じる人なんていないと思ってましたが、bossu様のような深く共感できる方がそんな現世にでもいらっしゃることを知り、嬉しかったし幾度となく救われたし、なによりもすごく安心させられました。

    しかし悲しいかな、それぞれ個人における最終的な到達点としては、このサイトを通じてなにかに「気づいた」そんなときが来て、自灯明法灯明….それが何らかの形として自分の中の執着に化けるのならば、きっとその時は、この場所で学ばせていただいたbossu様のお言葉さえ捨てざるを得ないことになろう….と何となく感じたりもしています。

    これは手紙ではないので、血色の感じない無味乾燥な文字という意味では手書き独自の温もりまで伝わるわけではないですが、ひとまずこの場をお借りして、以前から度々お世話になっていたという感謝の気持ちを述べさせていただきたいと思った次第です。

    僕も動物が大好きで、今年で10年ほどになるウサギとフクロモモンガの親子達と一緒に暮らしております。その他にも、コロコロ派、懺悔タイムこと腹痛の辛さ、機械音が苦手、女性嫌い、冬生まれであるなどでも諸々でも細かい部分でも同感できる記事に目を通し、気軽にも笑いながら読ませてもらってます。

    もしかすると、これを機に気になった記事について色々教えてほしくて、ひょっこりとコメントさせていただくことがあるかも知れませんが、その時はどうか僕に知恵のお言葉を分けてくださるととてもありがたい限りです。

    まだまだ寒い日が続きますが、お体調など崩さぬよう心身ともに健やかな毎日をお過ごしいただけることを心から願っております。

    これからも、かげながら応援しています。
    言葉足らずな部分があったかと思いますが、最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。

    1. はじめまして。そしてあけましておめでとうございます。
      コメントどうもありがとうございます。

      世にはたくさんのことが語られ、示されていますが、重要な点について根拠が抜け落ちたままになっていることがよくあります。
      それの最たる点を示すものは、「ただ自分が自分の中で渦巻く毎日で、納得できるような根拠も語られぬまま、ただひたすら周りから位置づけられていくことにうなだれ、このまま曖昧なものに殺させてしまうのかなぁ」と示していただいた部分になります。
      もちろん僕も同じような憂いを通過しています(よってすごく響く一文でした)。

      そのような憂いに当たった時、何かしらを解決するような情報は直接的には役に立ちません。
      例としては、心理療法等で多少の元気を取り戻しても、その先の意味などは宙に浮いているというようなものでしょうか。また、また宗教に代表される説明については、断定するには根拠が不足していますし、他の解釈可能性もあり絶対性がないため誤魔化しが含まれています。

      そんな中、深い部分の納得など起こりようがありません。

      自灯明法灯明についてですが、理は普遍性を持ち、再現性のあるものであるため、それが個への依存や概念への執著ではなく、内側に生じた納得であるのならば、何の問題もないと思いますよ。

      有と無というくっきりと分かれたような構造の把握を超え、それらを統合したような有と無を包括した重なり合いから、揺るぎない納得が生ずるかもしれません。

      あえて曖昧性を含んで記述している部分も多々あります(もちろん単にふざけている部分も多く含みます)。
      ご不明な点はどんどんコメントをお寄せいただければと思います。

      それでは引き続きご愛読くださいませ。

      1. bossu様へ

        おはようございます、コメントどうもありがとうございました。初めてお喋りができて本当に夢のようで嬉しいです。

        柄にもなく何回もA4用紙に文章をまとめたりもしましたが、真摯に受け止めてくださり、とても誠実で素晴らしい方であったことを改めて感じられました。(僕はといえば送信した途端に我に返り、携帯をベッドに放り投げ、出川哲朗のようにあたふたしてました)

        そして、共感していただけたことも本当に嬉しかったです。やはりbossu様自身も、現在にまで至る道のりの中で深く感じて苦しまれたのですね….。

        よく周りからコイツは斜めに構えているとか、達観してる、屁理屈などといとも簡単に結論づけられ、なかなか対等に語れない会話のもどかしさに苛立ちを覚え、大人しく泣き寝入りすることも多々ありました。
        (日本語は通じているのに、話の内容が全く通じてないような感じです。よくおっしゃる、前提が手前過ぎるというのもありました….)

        そして、一方的にふつふつと燻り続ける思いだけが膨張していき、自暴自棄にもなりました。

        ただ、そんな僕の血路を切り開き、善知識のような存在だったbossu様と、これを機に携わることができるということは、忘れがたき喜びであり、とても大きな飛躍となり得ると思いました。

        お言葉に甘えさせてもらい、これからはbossu様のお言葉をありがたく浴びさせていただきたいです。
        まぁ….もちろんまず自ら熟考を重ねてみて、なお行き詰まる時には、ぜひとも積極的なご質問をさせていただきますね。
        今から、とても楽しみで仕方がありません。

        では、僕も日々精進して参ります。
        お互いにとってこの一年が安らぎに満ちた年でありますように….。

        それでは、失礼致します。

        1. 僕もよく「ひねくれている」とか、「それはそうだが…」とか「それを理由にしてやるべきことから逃げている」などと言われたりしました。

          でも、僕から言わせると、例えば、その「やるべきであること」の「証明」から逃げているのは君たちである、と思いましたし、今でもそう思っています。

          しかしながら、それら相手に伝わらないということであったり、前提が手前すぎる点について等々は、そうした疑問すら浮かんでいないということで、ひとつの仕方なさがありますし、あくまで自分の内側で問い続けるしか無いということを示唆しています。

          それではまた何なりとお声がけください。

  2. bossu様、こんにちは。

    僕もそのような苦しさ紛れの回答をよくされるので、なんだか古傷がジンジン痛むような感覚になります。
    「我が内なる問いとして」と・・・、bossu様のサイトを通じて様々なことを学ばせていただくにつれ、その言葉の奥にある深みも少しずつ分かってきたような気がしております。

    ご丁寧にまた返信していただいて、ありがとうございます。

    相手に対する自分の対応というものは、同じ自分でも相手によりけり少し違うなどその数だけあると思うのですが、ずっと羨んでたbossu様とお話ししている自分の雰囲気を今、ふかん気味に見てみようとしました。
    すると、あぁ….自分はこんな感じになるんだなぁって我ながら思うこともできました。
    (これは楽しんでる時の昂ってる自分になれてるなーって感覚です)

    ちなみに目を通していただけるだけで幸いですので、このコメントへの返信は大丈夫ですよ。
    ひとまず受話器を置かせてもらいますが、また絶対にお話をさせていただきたいです。
    心地よい余韻に浸りながら今終えることができて、僕はとても嬉しいです。

    それでは、また他の記事で。
    重ね重ねになりますが、この度は本当にありがとうございました!

    (ガチャン、ツー、ツー、ツー・・・)

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