抵抗に驚く

あるものがわれわれにとって透明になったので、それはもはや何の抵抗もなし得ないだろうとわれわれは考える。― しかしそのとき、われわれは見透していながら貫通できないできないのに驚く!これは、蝿がすべてのガラス窓の前で陥るのと同じ愚劣であり、同じ驚きである。 曙光 444

たまに、自分は管理者などになったのだから、部下は逆らってこないだろう、と勘違いする人がいますが、そういう人は大抵体育会系思想を持ち、論理で負けそうになると「私は部長だぞ!」と感情で仕返しすることしか頭にありません。

思考の世界に感情を含めると、話がややこしくなるどころか、間違った結論ばかり導き出すことになってしまします。自分のプライドか業績か、それを考えれば、偉い偉くないは関係ないはずです。なぜ偉いか、それは業績を上げてくれるだろうという期待値からの選任であって、当のその人の自尊心を満足させるために役職があるわけではありません。

特に株式会社の場合は利潤の追求以上の目的がありません。構成員の自尊心と業績と天秤にかけて、自尊心を優先させるような人は管理職や役員には向いていません。作業専担の作業員になるべきです。

会社のお金で遊ぶことは、犯罪の域に達しており、背任行為です。同様に相手業者のお金で遊んで、それで結局会社としては儲からないような取引になったのならそれは背任であり、犯罪と変わりありません。

これはお金が絡んでいるため、わかりやすいですが、自らのプライドのために、つまりは自尊心のために会社の業績とは逆行するようなことをしていては、管理職、役員などとしては背任行為です。

ゴルフを一生しない

僕は今までゴルフの誘いを千回以上断ってきました。

「変な人だなぁ」

そんなことを思われたりするようですが、特に断っていながらも、何の問題も生じていません。むしろそれに取られる労力・時間・そしてお金が浮いていますから、これからも断り続けるでしょう。

ゴルフを断ることはビジネスマンとしては失格だというようなことを言われたことがありますが、失格で構いません。これは個人的な意見でもあり、嗜好の問題でもあり、利潤追求のためのたくさんの選択肢の中からの選択でもあります。

自分の会社の経営方針にまで口を出す権利があるのは株主か債権者くらいです。名刺交換した程度の人の考えに左右はされません。

体育会系の世界観を提案して通ると思っている絶望

体育会系ではない僕に、体育会系の世界観を提案して通ると思っているのが絶望的です。やりたい人はやればいいですが、僕はゴルフを一生やりません。ゴルフのスコアと利潤がどう関係あるのかは今でもわかりません。

友だちのいない人が、ゴルフを餌に「遊び相手」を会社のお金で買っているように思えてしまいます(信義を重んじて態々ここに来る)。そもそも寂しいという気持ちもなく、群れるためだけの友だちすら欲しいと思わず、スポーツでの刺激は害悪だとすら思っている自分にとっては、災い以外の何物でもありません。

日経を読まないとビジネスマンとして認めないというようなことと同じことです。そんな相手の基準に乗れば相手にコントロールを任せるようなことです。

知ったところで、自分にはどうにもできないような情報を、知っているか知っていないかという基準を勝手に作られ、そのフィールドの知識量で優劣を決めるという「仕組み」を認めてしまえば、相手に主導権を握られるか、それに対応するために膨大な時間と労力をかけなければならなくなります。

それは自分のしたいことではありません。

ゴルフも同じことです。

飲み屋から出てきて、雑談している最中、傘をゴルフクラブに見立てて、素振りする素振りをしている人が素敵だと思ったことは一度もありません。

第一声が、「90切ったんですよ!」

と言われても、90が何なのかわかりません。わかる必要もありません。

「興味が無いなんて異常だ」と思う人と会う苦しみ

世の中にはゴルフに興味がないなんて異常だとでも言わんばかりの態度を取る人たちがいます。

しかしながら

「興味が無いなんて異常だ」

という顔をされても、異常なのはその人ですから、問題はありません。友達になる必要もありませんし、ゴルフをしないからといって取引をしないということであれば、取引はしません。それは会社経営に関係のないことだからです。

株式会社運営としてある種の間違いかもしれませんが、何のために会社を作ったかといえば、人によって理由は様々でしょう。

会社は手段であって目的ではありません。株式会社は株式会社として一つの意志があるのかもしれませんが、あくまで人間が考えだした無形の道具です。

道具にコントロールされては、何をしているのかわかりません。

同様に、利潤にとらわれて、やりたくもないことをやる必要はありません。会社が大きくなろうが儲かろうが、それによって何かを感じるのは自分しかいないのですから。

「怨憎会苦」嫌いなものと会わねばならぬ苦しみ

抵抗に驚く 曙光 444

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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