悪い原理

静寂の中に身をおいていると、どんどん意識も身体も澄んでくるような気がします。

新居にはもちろんテレビなど置くはずもなく、携帯電話も机に放置。そんな風に少し世間(というかデジタルデバイス)と離れるだけで、意識の散らばりもどんどん集中へと向かいます。

インターネット環境が整わないので、以前と比べてはまだまだ更新頻度は少ないですが、もうしばらくすると頻度は上がってくるでしょう。

さて、「悪い原理」です。

アイツの原理

悪い原理ということで「アイツの原理」について少し触れていきましょう。

根底は生存本能的な恐怖心ですが、いつどんな時でも自らには疑いをかけないように仕向けてきます。

ここでひとつ、「アイツ」がいるとかいないとか、という点についてですが、僕なら僕、みなさんならみなさんです。

僕が書いているからといって「いる」ということにはなりません。しかし、僕が「いない」といって、どこにもかしこにもいないというわけではありません。

何かと区別されるとき、その区別された対象に名称がある、といった程度です。

しかし、「実在」ということには、なりません。

ただ一時的な現象が瞬間ごとに起こったり消滅したりしている中で、時間ですら変化の解釈でしかありません。

そんな変化を認識しているというか、信号を受け取っているのが心であり、「僕」は、その信号を送る一つの場所くらいのものです。

今の現象は、直前の現象が直接の原因です。

そこで、アイツは一体どういった事をしているのでしょうか。

生存本能という衝動を抱えながら、演算システムである意識に動機を与えています。

そんな衝動付きの意識がアイツです。

意識の中には思考や感情があります。

五感からの信号を複合的に解釈して、「生きなさい、快楽を求めなさい、苦しみを取り除きなさい、種を繁栄させなさい」という衝動を与えながら、意志決定を促します。

意識自体は、こういった衝動と、外界からの情報が組み合わさった程度のものです。

関連思考と条件

そして関連思考を働かせます。

そこで差し出してくるのは「条件」です。

何かの条件が揃わないと、焦るように衝動を与えてきます。

それを満たしたところで、騒ぐのを少しだけやめて、また何かの「条件」を設定します。

「おい生存本能としては都合が悪いぞ」という条件を常日頃探し続けています。

今この瞬間に、五感からの信号も、意識からの信号もなくなれば、なにもないのと同じことです。

信号がなくならなくても、「この瞬間の現象にしか過ぎない」とわかっていれば、その信号に反応して感情が起こることもありません。

「感覚としての痛みの信号」と「感情的な苦しみ」

痛みがあれば、感覚からの信号はやってくるでしょう。

それはそれで苦しいのですが、追加の苦しみである

「オレを殴ってきやがって」

という、感情的な苦しみは無くなります。

痛みだけでも苦しいのに、こんな感情があると二重に苦しくなります。

相手を殴り返しても、痛みは取れないのですから当然です。

「いま痛みを感じている」

ということくらいが本当のところ、それ以外の余計な思考や感情は、捨てても問題ありません。

しかし、「考えて、感情を与えてくる」のがアイツです。

「やり返さねば、気が済まない」

というのは無駄な思考や感情です。

アイツ自体は、意識があるかぎり無くなりはしません。

しかしアイツの奴隷からは脱することができます。

悪い原理 曙光 496

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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