忘却

忘却が存在するということは、まだ証明されていない。われわれが知っていることはただ、回想ということはわれわれの力の及ぶところではない、ということだけである。さしあたってわれわれは、われわれの力のこの割れ目にあの「忘却」という言葉を置いた。 曙光 126 前半

なんだか「われわれだらけで読みにくい」と国語の先生に酷評されるほどですね。

さて、忘却です。忘却について詳しく書いてもいいのですが、まあ特別企画ですから自由にいきます。

記憶力と忘却

記憶力ということが語られる場合、たいてい「記憶」する「力」というか能力だと考えられがちですが、構造的にはちょっと違って、覚えていることを引き出す能力が記憶力です。

長期記憶がどれほどの範囲で記憶されているのかはわかりませんが、学者によっては体験した全てだということを言うような人もいます。

まあデジャヴみたいに海馬らへんのエラーというものもありますが、はっきり覚えていなくても、「以前に見たことがある」というレベルの記憶はたくさんあるはずです。記憶を再現できなくても、見たことがあるかないかという判断には、一応記憶が必要なはずです。

どちらかというとネガティブな方の意味合いでですが、僕は小学生の時から記憶力が良すぎると言われ続けてきました。

十代の時なんかは、こちらは覚えていて、相手は僕のことを覚えていないということが頻繁にありました。

そういう場面が起こる度に、本当に信じられませんでした。まあ相手はよほど「だいたい」で生きているか、僕を重要ではないと判断したのかはわかりません。

とりあえず、僕としては僕が覚えていて相手は僕を覚えていないという状況が不可解で、平均的な人の記憶力はどれくらいの感じなのだろうとずっと考え込んだこともあります。

自分としては、自分の記憶力が「普通」ですからね。

記憶の中の重要度

重要か重要でないかという判断には、大半がアイツの危険回避に関する判断が影響しています。

生存本能がベースですから、特に変わったことが起きない限り覚えておいても仕方ないということで忘却するようにできています。

というより記憶など、膨大な量のデータの中で重要な部分から「取り出しやすくなっている」というような構造になっています。

以前は確かに様々なことを覚えていましたが、20代半ばくらいから著しく忘却が進むようになりました。

特にテレビを観なくなってからは、芸能人の名前が思い出せないということがよくあります。まあ思い出せなくても本当に何の問題もありませんからそれでいいのですが。

嫌な思い出をどうやって忘却するか

さて、忘却といえば嫌な思い出をどうやって忘却するかということはほとんどの人にとって結構な関心事だと思います。

簡単に言ってしまうと、「つまりは煩悩 苦しさの原因と結果と解消の方向性」なんかで書いていますが、記憶を消そうとする必要はありません。

で、あの投稿で書いたことは少し高度に見えてしまうかもしれないので、もう少し理解しやすいかもしれないことをちょっとだけ書いておきます。

思い出のストーリーと「情動」の記憶がセットになっているはずです。

その時に体感したいやーな感情も感覚もセットになっている状態です。

で、逆に楽しい記憶というものもあるはずです。

楽しい記憶にもそうした情動の記憶がセットでくっついています。

嫌な記憶のストーリーと楽しい情動をくっつけてしまいましょう。

映画ならホラー映画でも「怖さ」を含めて客観視して楽しめるはずです。

記憶×0が難しいように感じるのなら、とりあえずこの手を使ってもいいと思います。

で、楽しい情動の呼び出しというのは、達人になれば意識だけでできますが、慣れないうちは、物を使って、それに触ったときとかそれを見た時と情動を関連付けてしまうのが手っ取り早いでしょう。

記憶からの影響・記憶の臨場感を下げる方法

嫌な記憶や辛い記憶の扱い方

元気ですか!

おそらく難しく考えすぎてしまう人もいると思うので、アントニオ猪木氏に活躍してもらうことにしましょう。

まず赤いタオルを用意しましょう。よりのめり込むためになるべく赤タオルを用意してください。今だったら100均なんかにもありそうですね。

その赤タオルを首にかけ、端と端をそれぞれの手で握りながら、「元気ですか!」

と絶叫してください。

もう自分が召喚士になって、アントニオ猪木氏を召喚し、自分に憑依させていると思ってください。

アトラスのペルソナシリーズをやったことのある人であれば、ペルソナを発動してると思って、

「元気ですか!」と絶叫しましょう。なるべくアクション付きの方がいいでしょう。くりーむしちゅーの有田氏を参考にしてください。

そして、「元気があれば、何でも…バカヤロー!」と叫び続けてください。

その間「闘魂」の気迫を維持してください。

赤タオルは握りっぱなしです。

そしてそれに慣れてきたら、嫌な人や嫌な人との記憶を思い出しながら

「元気ですか!元気があれば、何でも…バカヤロー!」

と叫んでください。

相手に向かって、というよりも、相手と自分とを含めたその情景に対して絶叫しましょう。

これを、自分が根負けして爆笑するか、絶叫後に何だかニタニタしてしまうまでやりつづけます。

最初は嫌な記憶を思い出しながらバカヤローと叫ぶのは難しいかもしれませんが、最初の赤タオルを握りながら「元気ですか!」を相当訓練してからであれば可能なはずです。

絶叫が難しければ、吐く息は絶叫系で、声をカスレさせてもかまいません。

アントニオ猪木氏を召喚するのだという感覚で行ってください。

そして、その後段々と嫌な感じが薄れていきますが、やはり、多少は残存します。

そうしたときはタオルを握ってアントニオ猪木氏を思い浮かべるだけでも大丈夫かもしれません。

握るだけで不十分なのであれば、またまた絶叫です。

これであなたも立派なペルソナ使いです。

その闘魂は、嫌な記憶だけでなく、緊張するような全てのシーンで活躍してくれるでしょう。

忘却 曙光 126

Category:曙光(ニーチェ) / 第二書

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