僕の中の全てではないにしろ、自我の3/4くらいは、20世紀少年で言うところの「ともだち」であり、デスノートで言えば「キラこと夜神月」です。熱血だったり、スマートだったりといったヒーロー側ではありません。
そのきっかけは、小学校6年生の頃の事件です。
それまでは生きていました。
ですがその時から、世界が歪みました。
傷つきすぎた僕はその事件を「捏造」していました。記憶に蓋をするための捏造です。
小学6年生になってしばらく経ったある日、学級委員を決める選挙的なものがありました。
そうしたものはいつもスルーしていたのですが、ある女子 ―「A」としましょう。― が、「立候補してみたら?」と誘ってきました。
「自分には関心がないことでも、新しい世界が見えるかもしれないし、何かしらチャレンジしてみても良いのではないか?」
と思い、誘いに乗ってみました。
「自分が入れる1票とその子の1票で2票は取れる。なのでまあいいか」と思い、さほど乗り気ではありませんでしたが立候補することにしました。
結果は、僕には1票しか入っていませんでした。
つまり自己投票した1票だけです。
開票されるに従い、僕は緊張が高まっていきました。
黒板の他の候補者の所に「正」の字が書かれていく中、僕のところは「一」のまま。
誘った本人は他の人に入れています。
言い訳がましく「ごめん、あの人も立候補するとは思わなかったから」と、学級委員になった人のせいにしていました。
この事件がきっかけで、「女の提案には絶対に乗ってはならない」という観念ができました。
僕はその女子を「その後小6の終わりで転校したBさん」だと思っていました。
しかし違いました。
Bさんだということにして、「もう関わりのない人」であることで、辛さを和らげようとしていたのです。
BさんはAの隣にいただけ、誘い話にも加わっていません。
ただ、僕とAの会話を少し聞いていて、僕がBさんはどんな表情をしているか、もしかしたら加勢してくれるのか、ということを気にしていただけでした。
―
と、これらの話は、「AとBさんを勘違いしていた」という点を除き、元々覚えていました。
「女の提案には絶対に乗ってはならない」
ということだけを意識していました。
一応、選挙的なものには関心がないので落ちたことはどうでもいいと思っていましたし、今でもそう思っています。
しかし、やはりよくよく思い返すと、
僕には自己投票した1票だけしか入っていませんでした。
つまり、クラスの誰も投票していないのです。
「女の提案には絶対に乗ってはならない」の方が際立ち、それをさほど気にしていなかったのですが、それは気にしていないのではなく、目を向けられないほどショックな出来事だったということを発見しました。
「友だちだと思ってた人たち全員が、友だちではない」
クラスの全員を友だちと思っていたわけではありません。
しかし、同じクラスには友だちと思っていた人が数人はいたような気がしました(ただ、思い返して誰かはわかりませんでした)。
「小6当時すごく仲の良かったあいつやあいつ、あいつにあいつも同じクラスだったとしたら?」
「同じクラスだったとすれば自分に投票はしていない。ということは凄まじい『友情一方通行』だったのか?」
と凄まじくソワソワしてしまいました。
―
紙に書き出して発見した僕は、本当に仲の良かったあいつやあいつ、あいつにあいつ(自作すごろくを一緒に作っていたやつとかですね)が同じクラスだったのかどうか確認したくてたまらなくなりました。
実家に帰るのは面倒なので、同級生女子に連絡をして卒業アルバムの僕のクラスの名簿を送ってもらいました。
経緯を話すと
「総統、デスノートですか?」
という感じで言葉をいただきました(そういう話をふったわけではありません。彼女には、やはり「ともだち」や「キラ」であることを見抜かれています)。
「君も同じクラスじゃないか、削除する。『絶交』や。バハハーイ」
「え~小学校の時はそんなに仲良くなかったやん」(まあ確かに、彼女と仲良くなったのは小6の後半から中学くらいの時です)
幸い、「自作すごろくメンバー」は一人も同じクラスではありませんでした。
「記憶が捏造されていた。犯人は、BさんじゃなくてAやと思う」
「Aならやりかねんね。その頃から狂ってきてたから」
「Aが同じクラスかどうかの確認もしたかった。当たり。やっぱり同じクラス」
―
さて、時代を小6に戻します。
口車に乗り、特に出る気もなかった学級委員選挙に出て自己投票の1票しか獲得できなかった僕は、多少なり仲の良いやつもいるはずのクラス全員が「友だち」ではないことに気づきました。
「あれは嘘か、あの思い出は意味無しか」
という感じになりました。
じゃあどうする?
「友だちじゃないんだ、友だちだと思っていたのは僕だけだったんだ、友だちは誰ひとりいないんだ」
じゃあどうする?
「あの程度の仲なんて何にもならないんだ、何の役にも立たないんだ」
と言う一方で、きっと「仲間外れにされたくない」という思いもありました。されているわけではないのですが、そんな気分になりました。
そこで「嘘であっても注目を集める」ということを始めました。
20世紀少年のともだちの如くとなりました。
「ともだち化」の始まりであり、注目とニセモノの始まりです。
その日までただ自然に生きていた僕に、魔が降りてきた瞬間でした。
それまで「自信」という概念すらなかったのに、自信という概念が生まれ、そしてそれを喪失しているという感覚が生じました。
つづく
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