好々爺たちに紅一点

男性ばかりの職場に女性が、または女性ばかりの職場に男性が一人でも入ったりすると空気が極端に変わったりします。

特にその異性が若い人ならなおさらです。サボり癖やギスギス感などが程よくなくなり緩やかな緊張感と癒やし作用をもたらしたりします。

最近ではそうした事を受けてか、わざとそうした人員配置をしたりするようです。僕が勤め人だった頃も、おじさんばかりの部署に新しく女性社員が配置されたりしていました。

一応意図としては「自分の娘と同じくらいの歳の子にかっこ悪いおじさんだと思われたくない」という感じを出して、定年前で「くたびれ感満載」のおじさんたちを奮い立たせようというようなものだったと人事から聞きました。

反対に女性ばかりの職場にも男性新入社員を配置したりということもあるようです。「ギスギスした軋轢が程よく中和される」という効果を狙ってのもののようですが、先の女性社員にしろこの男性社員にしろ、本人たちの仕事の能力とは別件で全体のための機能をもたらしているという感じになるでしょう。

そうしたように、表面上の仕事のできとは別に評価すべき面があり、能力というものも個々で見るのではなく全体の中の役割というような面も踏まえて全体的に見たほうが良いような気がします。

人が独立して能力を発揮しているのではなく、あくまで関係性の中である機能を果たしているという感じになります。だからこそ、下手に数値でばかり判断してしまっては、バランスが崩れ、能力のある人も能力を発揮できなくなるということも起こりえます。

ただそうしたバランスも常に変化はしていきます。環境はもちろん、個々人の熟練やそれに応じた心境の変化もありますし、心境の変化に限ってはプライベートが要因となる場合もあるため、その場の環境の変化だけでなく様々な変化がバランスを変えていきます。

「くたびれおじさん」としても、最初は頑張るかもしれませんが、仲良くなってきて「別にくたびれている姿を見せてもいい」という心境になっていけば、元の意図から外れた結果になっていきます。

「かっこ悪いと思われたくない」という心境も、相手との距離によって変わっていきますし、多少の距離感がないとそれによる「踏ん張り」などは起こらないのではないでしょうか。

その場の「花」としての機能は、多少の緊張感あってこそという感じになりましょう。


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