奴隷と理想主義者

奴隷と理想主義者ということで、いかにも奴隷で理想主義者っぽく映る人々について書いていきましょう。

日本でも2017年時点で戦後70年ちょっとくらいですが、終戦直後は焼け野原、その頃は今とは随分違った「普通」があったはずです、その後高度経済成長期などを経て、何故か日本のスタンダードのようなものが確立しているかのような風潮があります。

歴史としても半世紀くらいで、しかも状況は様変わりしているはずなのになぜか人生観だけは固定化されているような変な風潮です。

20歳位の時、つまり活字中毒の時に、よくこんなことを考えていて、「ひとまず『普通』はどうやってできていくんだろう?」というようなことを考えていました。

理想の人生や理想の生活といったようなもの、いわば実生活的な幸福論の土台となる日常的な「普通」や「普通の人生観」とはいったいどのようなもので、どのように形成され、どのように普通として取り扱われていったのかというところをひとまず考えてみようと思いました。

組織が大きいところが作った仕組み

その時はとりあえず「組織が大きいところが作った仕組みがいわば『妥当』になっていて、手間とか価格帯とかそういう面でひとまず何も考えずに生きる上では、効率上合理的になっていること」という感じでした。

すごく「日常」で考えた場合ですが、「濃口醤油」も別にキッコーマンでなくてもいいわけですが、だいたいどこにでも売っていて、味に外れが無いという感じで、「わざわざ他を見つけにいく必要がない」というような妥当性でそれが普通になっているという感じです。

だから、別にそれと確定しているわけではなくても、探しに行く手間や金額的な面、他の方法論などを模索するのも面倒なので、ひとまず大企業が敷いたレールの上を無難に行けば、「無難に行ける」ということが、いわゆる世間の普通なのかなぁ、なんてなことを考えていました。

何回ファミレスに行けるんだ?

いちおう普通に関して大まかなイメージを作ったのはその時ですが、ある種そういうものに疑いをかけだしたのが、意外なことに携帯電話料金でした。10代半ばの頃です。

同級生が携帯電話料金を月々数万円という話を聞いて、

「いやいや何回ファミレスに行けるんだ?」

と個人的に思ってしまったからです。今でも思っています。

玄関を少し出たところで携帯で話している同級生にばったり会ったことがあります。

固定電話ならもっと安いのになんでそんなことをするのだろう、そういう疑問が「普通ってなんだ?」という問いの大きなきっかけになりました。当時お金がなかったことにも起因しているでしょう(10代ですからね)。

このような「お金の使い方」や実質的効用、そして「お金の流れ」などに対する疑問が元で、「お金を貸す人借りる人」で触れたような、変なお金の使い方をする人、すぐにお金を借りる人に対する裏側の心理を洞察するようになったのです。

金融や会計、税制を学んでから

金融や会計、税制を学んでからというもの、そうした感覚にさらに拍車がかかりました。

といっても、僕は学校で専攻していたわけではなく、そのほとんどを病中の活字中毒期に、本を読む形で学んでしまいました。

最初は「猫でもわかる経済学」みたいな本でしたでしょうか。

病院の待ち時間が長すぎて、本棚の本はほとんど読破してしまい、その中にそんな経済学の初心者本があって、それがきっかけで派生し、金融や会計、そして経営学などもたくさん読みました。

そうしているうちに、また「社会の中で普通とはどういうことか?」というような問いがやってきました。

もちろん読んだ本の内容を頭に入れておくだけでなく、何かを紐解こうとする形で思索が始まりました。

するとどうしても、「世間の普通は妥当に見えて全然妥当ではない」としか思えませんでした。それはマネーの動きを見てもそうですし、必要とされている消費物なんかもそうでした。

その時の一番の収穫のひとつは「実質的な効用を使用期間で割って、1日当たりの金額に換算する」というようなもの、「自分が生産に寄与した分はかなり抜かれている」というもの、そして「お金の価値は信用創造でぐちゃぐちゃ」でした。

経済や金融のリテラシーが高まっていくプロセス

高校生くらいの時に思っていた普通はあっけなく崩壊しました。

そして、そんな普通をこなしている人を「奴隷で理想主義者」というような感覚で見てしまうようになりました。

で、結局普通とは何だったのか、それは「大きな組織がいざという時の実力行使を前提としてほとんど一方的に決めた取り決め」という感じでした。そして、それを染み込ませるための情報コントロールがたくさん組み込まれている、という感じです。

洗脳の結果としての消費行動

奴隷と理想主義者 曙光 546

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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