咎められた記憶

多少表現は異なれ、「言われるうちが花」「叱られているうちはまだいい」などと言われることがあります。

「褒められて伸びるタイプなんで」などと言いつつ、自己評価が下がるからと説教されることを予め防ごうとするような人がいる中ではありますが、やはり言われているうちはまだ潜在的な可能性に期待を持ってもらえているということになるので、まさに言われているうちが花という感じになります。

スランプとでも言うべきか、何かしら不調が続く時期というのは一定周期でやってくるような気がしますが、勤め人の頃、究極的なスランプに陥り、当時の上司に「なんでそんなにチグハグなん?」と言われてしまったこともありました。

まあそんな時期ほど大きな変革の前触れでもあります。

そんなチグハグな時に、その当の上司に連れ出され、公園の前で説教をされたことがありました。

でもその説教が今でも一番ありがたく、今でも時折原動力として動いているフシがあります。

「君の人生なので、残れとも辞めろとも言わないが、いるならやれ」

というようなシンプルな説教でした。

意識としてやる気がないわけでもないのですが、やはりやる気は出ません。

まあそれを見越しての説教という感じでした。それで何かが解決したり、何かが変わるというわけでもありませんが、それでも「ありがたいなぁ」と思いました。

基本的に指導する側というのは嫌われたり、争いになったりすることを覚悟で話してくれているわけなので、ある程度の緊張を受け入れた上で相当のエネルギーを費やしてくれているわけです。

特に慢心や傲りや注意・知識の不足などではなく、ダメなことはわかった上での不調、スランプの時の指導など言葉を選ぶのも困難です。

そんな中かけてもらった言葉を受けて、しばらくしてから起業しました。もちろんそれは「叱られるのが嫌だから」系の退職ではなく、意図の明確化ゆえの退職でした。

上司に肩を押してもらったという感じです。

なので、退職して創業するということの原因となった出来事の一つですが、この時の思い出があるので、自分の会社や関連する企業が厄介み等々の変な攻撃をされたときには鬼になることにしています。

それはその上司への感謝の気持ちが含まれています。

Category:笑う月

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語のみ