名声を憚る

甲。人がその名声を避けるということ、彼に讃辞を述べる者を故意に侮辱するということ、讃辞を憚って、自分に関する判断を聞くのを憚ること。― これは見当たることだし、よくあることだ。― 信じようと信じまいと! ― 乙。それは明らかだし、当然のことだ!一寸だけ我慢したまえ、高慢な貴公子殿! 曙光 224

憚る(はばかる)」は、差し障りをおぼえてためらい、遠慮することさすようですが、名声を避けるという点については、先日の威厳と恐怖心で触れましたね。これは相手の高慢を避けるという意味で、こちらが高慢になってしまうという一種の正解のないパラドクスのようなものです。

確かに相手に讃辞を述べさせるということは、相手に力を与えたことになりますが、それを拒絶するということは、相手に力を与えまいとする一種の防御であり、相手を驕らせまいとすることによって、こちらが驕り高ぶってしまうという抜け道のなさがあります。

社会のそれは、一種の広告戦略であり、目的が違います。自らの権威を保つために、誰かに名声を「与えてあげている」という踏み台的利用の仕方です。

どうせ伝えるなら事実を事実として伝えれば事足りるものを、誇大化して伝えてしまうのはどうしてでしょうか。その奥の動機を探ってみることです。

憚るべき讃辞や表彰

相手から表彰されたり評価されたりすることは、相手に力を与えることになるため「ご遠慮させていただきます」という感じで讃辞や表彰を憚る方が良いケースもあります。

まあいつも思うのですが、表彰する側とされる側、讃辞を述べる側と受け取る側の間には、評価する側の方に力があり、評価される側の方には力がないというような構造をもたらしてしまう場合があるからこそ、そうしたものを憚るほうが良い場合もあるという感じです。

それは表彰行為であれば、表彰された人よりも、表彰する権利を持った〇〇賞の選考委員のほうが偉くなってしまうということになりますし、「食事をおごられること」や「パーティーに参加すること」にしても、相手のほうが偉く力があるという構造を作ってしまう場合があるということになります。

名声と見返り

さて、褒めることによって何かの「見返り」を要求していないかどうか、具に観察した方がいいでしょう。

その見返りは、実際の購買や好感度アップだけではありません。攻撃されないこと、名声を与えることによって自らの権威を保とうと誇示すること、探ればいくらでも出てきます。

では、名声を頂戴するにあたって、それを受け取ったほうがいいのか拒絶したほうがいいのか、どちらでしょうか。

それはどちらでもかまいません。

名声をもらったからといって、それ自体は問題ありません。問題があるとすれば、そんなことに欣喜雀躍すること、そして失うことに恐怖してしまうことです。

名声を憚る 曙光 224

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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