内集団バイアス(内集団びいき)

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内集団バイアス(内集団びいき)とは、外集団の者より内集団の者に対して好意的な認知・感情・行動を示す傾向であり、より望ましい属性を認知し、高く評価し、優遇するという認知のあり方である。

内集団(ないしゅうだん)とは、もちろん「自己が所属する集団」であり、会社であれ、団体であれ、家族であれ、自己が所属する集団は、各々の領域において内集団である。

なお、現在属しているかだけでなく、経歴といった形で自分の属性のあり方として内集団の概念や内集団バイアスが出ることもある。例えば、「母校の後輩だから大目に見よう」というのも内集団バイアスである。

家族主義傾向が強い儒教文化圏における家族や、財閥系大企業、官僚の世界などに多いが、内集団への所属意識が強ければ強いほど、自己と集団とを同一視するようになり、愛着という名の執著や自己犠牲をも厭わない忠誠心が高まる傾向にある。

「うちの子に限ってそんな…」という考えが浮かぶ場合は、その子供の人格をよく知っているからということを超えて、「身内だから良い風に捉えやすい」というバイアスが影響を与えている可能性を検討するべきである。

内集団バイアス(内集団びいき)の働き方

こうした内集団バイアス(内集団びいき)が強く出ると、時に内集団の外側の人たち、つまり「外集団」に対する差別的行動が起こることがある。極端な例はナチスであり、内集団の狂気にも同調し、外集団に対する迫害を肯定するようになる。

財閥系の企業にありがちだが、例えば、ガラガラの駐車場であっても、グループ会社の車で訪問しないと建物から一番遠いところに駐車させられるというような現象が起こる。

また別の例として、体育教師が直接的に顧問などではなくても体育会クラブに属するもの(内集団)を優遇し、文化系クラブに属するものやクラブに属さないもの(外集団)を冷遇するというのも内集団バイアス(内集団びいき)の一つと言えるだろう。それは一種の差別の根源であり、特に客観的公平性が求められる公僕たるものはそれを慎むべきだと考えられる。

単純に内集団バイアス(内集団びいき)とは、内輪びいきを意味するということになるだろう。

内集団の概念と範囲

この内集団の概念については、家族、会社、学校、団体、友人グループ、生活地域といった自分自身が所属しているという所属集団のみならず、自分が入りたいと希望している集団などを含む準拠集団として捉えておいたほうが良い。基本的に内集団とは、所属する集団を意味するが、実質的な所属だけに範囲は留まらないということになる。

内集団と外集団という概念は分離を前提としており、その分離のあり方、内集団とみなす範囲が具体的であればあるほど、帰属意識が強ければ強いほど排他的になるため、差別や争いを生み出しやすくなる。

逆に対象範囲、内集団として包括する範囲が広がって「抽象的」になっていけば行くほど、そうしたネガティブなバイアスは和らいでいくと考えられるだろう。

例えば、自分は京都人だという帰属意識が強いと、京都以外に対して排他的になる。しかし、関西人として捉えると排他性は弱まり、日本人として考えるとさらに和らいでいく。

その上でアジア人という捉え方をすればさらに排他的な感覚は弱まり、地球人として捉えれば国際的な排他意識はなくなっていく。

さらに、自分を「動物」として考えれば、人と動物との間の差別意識が無くなり、「生き物」だと捉えれば、植物などとの分離意識もなくなっていく。

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Category:心理学

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