事後処理的な発想により見えなくなるもの

先日、年末調整にかかる業務をしながら、改正された所得税関連について色々と調べていた時のことです。

一応念の為にと、様々な改正内容を概説したような記事に次のようなコメントが付いていました(別にそうしたものを見たいわけではないのですが…)。

「こんなこといちいち記事にしなくても計算ツールで全部出てくるわ」

それを見た瞬間

「ぷっ」

と吹いてしまいました。

まあ言いたいことは分かりますが、やはり結局「事後処理的なことしか頭にない」という「格差」を感じてしまいました。

おそらく「今の時代は」的に「現代に適応していますよ」というような前のめりツッコミなのでしょうが、税務にしろ事後処理のみというわけではありません。

結局こういうところが、現代におけるテクノロジー、というよりも「『テクノロジー』という部分しか見えず全体的なリテラシーが欠如してしまう」という環境的な弊害なのではないか、と思ってしまいました。

もちろん計算ツールで出てきますし、僕も基本的には税務ソフトフェアを使用しています。

先を見越して対策をするという視点

しかしながら、税務会計の分野では、事実をただ書類にまとめるという点だけでなく、先を見越して対策をするというような視点もあるわけです。

こうしたものは「士業」と呼ばれるような方々の分野に共通しているようなことですが、大きく分けて「既に起こっていて確定的なこと」に対する処理と、「先を見越して対策をすること」という2つの側面があります。

法務で言えば、既に起こったトラブルの処理ということもありつつ、予め紛争を防ぐという「予防法学」という概念もあるわけです。

それと同じように税務においても、既に起こった結果に対する書類上の処理だけでなく、様々な対応策を考えて実行するというような視点もあるわけです。

既に確定している結果だけであれば、確かにコンピュータの出番です。繰り返し・演算・記録が得意ですからね。

事実自体を変える人的作業の範疇のこと

しかしながら、次のような点については、その事実自体を変える人的作業の範疇になりますし、事後処理的な発想だけでは何ともなりません。

例えば、現時点では、配偶者が70歳以上で、老人控除対象配偶者である場合、控除額は納税者本人の年収900万円以下の場合で48万円です。

一方、同居老親の控除は、控除額が58万円あります。

ということはどうなるかというと、一般論で考えた場合、父・母・子が同居していて、まだ現役で働いている父が母を配偶者控除で使うと控除額が48万円で、その子が同居老親として控除で使うと控除額が58万円となる、ということになります。

同居ではない「同居老親等以外の者」場合、控除額が48万円となり、父の老人控除対象配偶者と同額になりますが、例えば比較的近くに住んでいて、週1で帰ったりするのであれば…

と、これくらいにしておきましょう。

まあ、そんな感じで考えると親族間のトータルの税額が変わってきますからね。

その他、以前であれば賃貸物件の敷地に自動販売機があると…というような感じのことがありました。そうしたものであれば「様々な出来事があって、その後に封じるために改正された」というようなストーリーの流れすら見えてきて面白かったりもするわけです。

なので、一見無味乾燥な文であっても、その奥にある意図が垣間見れれば面白いですし、改正の流れを見続けていればストーリーすら見えてきます。

そして、味気のない一文から発想が生まれてきたりもするわけです。

コンピュータにできることはコンピュータを最大限に活用すればいいですが、それらは人的な作業まで取り扱ってくれるものではありません。

ということで、鼻で笑うように格好をつけるのはいいですが、その分だけ「見えない点」が生まれ、ひとつの可能性を排除してしまいかねません。「その結果損してしまう」ということが起こったりする、というのは、自然な因果のような気がします。

ということすら見えないのでしょう。

それを見えなくするもの、それがモテのこじらせです。

Category:finance お金に関すること

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