一本槍に一辺倒

対象が学問であれ、政治主義であれという感じになりますが、ある一人の人物やひとつの主義にいつまでもしがみついているような人たちは「途中からはルーティンで、何も考えていないのではないか?」ということを思っています。

人にもよりますが、十代、二十代の時はだいたい何かに感染します。感染と表現すればよいのか憑依と表現すればいいのかはわかりませんが、何かに没頭し移入してしまうという感じです。

それは音楽だったり、何かの思想だったり、それらを含めて誰か特定の人物だったりしますが、そうしたモノが持つ情報の空間に感染し、その人物が憑依するという感じのことがチョロチョロ起こります。

そうした現象が起こらなかったという人もいると思いますが、周りを見渡してみるとそうした感染や憑依が起こらないというタイプの人は、いわゆる「普通」の人ばかりです。

例えば僕は中学生の時にベースの演奏を含めロックに感染し、様々なアーティストが憑依しました。ということで、カラオケという空間はあまり好きではありません。

音やその空間が「ペラペラ」に感じるので、不完全燃焼を起こしてしまいます。ということであまり行く気はしないのですが、そうした感染がなかった人は、カラオケを楽しめてしまうのでしょう。

ということで、感染・憑依現象は、諸刃の剣でもあります。音楽を深く味わえるようになった分、不完全燃焼も起こしやすくなってしまうという感じです。

で、そうした感染や憑依が起こるということはまだわかるのですが、例えば20歳の時に没頭してしまったある主義思想をその後にもずっと引き摺っている人たちもたくさんいます。

いまだに啓発の意味を込めたようなビラ配り、ポスター貼りなどをしているような人たちです。

また、同じ人物やある特定の主義について語ることでそれを仕事としているような人もいます。

そうした人達を見ていつも思うのですが、本当に深く深く考えていけば、その奥にあるものを捉えようと本気で考えていけば、そうした主義などの領域から脱してしまうのが当然なのではないかと思っています。必然的に守破離のステップが訪れるはずなのですが、どうもそうではないようです。

それは他の思想家に乗り換えていくというような感覚ではなく、ひとまず感染したような主義思想、憑依した人物の思考をより洗練させていくという作業が当然に起こると思っていますが、どうもそうではないようです。

で、よくよく見てみると、本当に考えたりしたのは感染・憑依後数年くらいで、その後は同じような人たちとのコミュニティの中で単に「作業」をしているだけだったりします。

これは守破離で言えば、ひたすら「守」であり、単にある主義に執着しているようにしか見えません。

「考えることを放棄し、単に流れ作業になっているだけではないのか」、「単に一度形成された空間に心地よさを覚え、そのぬるま湯に浸かっているだけなのではないか」とすら思えてしまいます。


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