マイ・フェーバリットな仏を探して

「どうやら仏像が静かなブームらしい」―「こんな時代だからこそ仏像」みたいな癒し効果が期待されているのでしょう。しかし本来、仏像とは「生きることは苦である」と悟ったお釈迦様がモデル。生前は偶像崇拝は禁じられていました。それが死後500年ぐらいたって、「そろそろ肖像権も切れたろう」と、だれかが気づき仏像は作られるようになりました。

仏教においても原始仏教においては、仏像等々を作りそれを拝むことは禁止されていました。

実はほとんどの宗教で偶像崇拝は禁じられています。キリスト教などアブラハム系でも本来は偶像崇拝禁止です。

そうした宗派においても何かしらの理由をつけて偶像を拝んでいたりしますが、仏像と同じように「そろそろいいかな」と、誰かが作り出したのでしょう。

偶像を観ると、かなり意識は変性しやすくなります。

前に少し触れましたが、偶像を用いることは雰囲気作りに相当貢献します。

過去記事 だまされるのはいつも言葉

つまり偶像を用いて変性意識を作り出し、何かしらをマインドコントロールしたい、意識を方向づけたいというような意図があるのでしょう。

偶像による癒し効果

偶像による変性意識生成には、癒し効果というのはあるのかもしれません。

昔、「癒し系」とかいうのを流行らせようと社会が頑張っていた時代があります。今でもそうなのでしょうか。

それは、ゴミをゴミ箱に入れずに撒き散らしておいて、後から掃除しているようなものです。

最初からゴミ箱に捨てていけば、ゴミは散乱しません。

効果を狙ってそれを探すより、最初から撒き散らさなければいい。

ただ、みんなに撒き散らしてもらえれば、自分たちは掃除用具を売りつけることができます。

そしてその掃除用具が、偶像であり、仏像などです。

なんとも馬鹿げているではないですか。

「世界掃除用具博覧会」を見に行くくらいならいいですが、なんだかすごいものかのように思ってしまうのは、広告にやられているだけかもしれませんね。

アートとしての偶像なら、単なる作品です。

ジョークならまだしも、それに本気で拝むなんて本当に馬鹿げています。

「え、これ作ったの職人さんでしょ?」と聞いてみてください。

「拝まなければ地獄に落ちる」とか「拝めば極楽浄土に行ける」などと脅してくる人こそ悪魔かもしれませんね。

もし悪魔がいるならそんなに馬鹿じゃないと思うんです。

すぐにバレるようなやり方では人を惑わさないでしょう。

あくまで「悪魔」というのは表現なので実在性を訴えかけているわけではありませんのであしからず。

改バージョン⇒マイ・フェーバリットな仏を探して 改


優れた悪魔は、悪魔と悟らせない「悪者

Category:さよなら私 / ないものねだり

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語のみ