必要以上の保護は人格の否定に繋がることがあります。その一例としては、歪んだ思いからフィードバックを奪うというようなものがあります。
店舗にてアンケート用紙を置いていたとしても、回収ボックスが店内にあった場合は、意図的に悪い意見は破棄されるというようなことが起こるように、フィードバックが無残にも阻害されてしまうということは世間の至るところで見受けられたりします。
そうしたものは、店舗スタッフの都合というものが大きく関わっているので想像に容易いですが、歪んだ愛情とも言うべきか、「微妙に言い返せないようなことを理由に、過保護になってしまい、フィードバックを奪うことによって逆説的に人格を否定してしまう人たち」がいたりもします。
ということで、勤め人の頃の思い出から進めていきましょう。
ひょんなことから参加したボーイスカウト
勤め人の頃の話になりますが、お客さんのところに訪問すると会社にボーイスカウトの入団案内ポスターのようなものが貼ってありました。
僕もビーバースカウトからシニアスカウト(ベンチャースカウト)の初めまで所属していたので、ボーイスカウトの話題になったりしました。
ということで、そのお客さんはカブスカウトのリーダーをされているようだったので「リーダーにならんか?」的なことを勧誘されてしまいました。
結構ブランクがあるので、とりあえずは様子を見てみますという感じで、次回のカブスカウトの集会に参加することになりました。
カブスカウトの集会にて
小2か小3くらいから小5くらいまでの「小学校の中学年あたり」で構成されるのがカブスカウトになりますが、まだ小学生ということで結構な頻度で保護者の方々が参加したりします。
その時も例のごとくたくさんのお父さんお母さんが参加していました。
その日は飯盒炊爨ということで、カレー作りがメインイベントとなりました。
僕はカブスカウトのみんなと一緒にカレーを作ったりして、久々にスカウト時代を思い返したりして楽しいひと時を過ごしました。
カレーが出来上がり、その前に少し何かしらの遊びをして腹をすかせてから食べるという感じの流れのようでした。
その間、僕は保護者の方々が集まっていたロッジににて衝撃を受けることになります。
カレースワップ
ロッジでは保護者の方々もカレーを作っていました。
そして、まさかとは思いましたがカブスカウトのみんなが作ったカレーと鍋ごと交換し始めました。
意味不明の出来事に、ひとりの保護者の方にツッコんでしまいました。
「交換するんですか?」
「食中毒とかになったら大変だから」
「…」
終わったと思いました。
そしてそうは言いつつも、いざ食事の際には、要加熱のチーズを上からふりかけているというのが絶望的でした。
―
まあおそらく「それじゃあ彼らが作った意味を奪うことになるじゃないか」とツッコんでも
「じゃあ食中毒になったら誰が責任を取るんですか?」
という感じになるのでしょう。
個人的には、それ込みのボーイスカウトだと思いますし、食中毒とまではいかなくても、例えば激不味だったとしても「ちゃんと気をつけなかったからこんな結果になった」ということから「次からはこうしよう」というフィードバックが生まれる機会を奪っているだけじゃないか、と思いました。
もう一度いいますが「終わった」と思いました。
その後、この集会に誘ってくれたリーダーとお話しましたが、「こんなのに付き合ってられませんよ」というと「やっぱりしっかりしてた時代の経験者はみんなそう言っちゃうよな」と、辞退を潔く受け入れてくださる形となりました。
きっと繊細な子は気づいているはずです。
人参を切る係だった子は、「自分が切ったのと形が違う」というふうに。
「おい、責任を取れ」と言われ、責任感を学んだ日
まあ初対面であり、アウェイ空間であり、既にカレーは交換済みかつ多勢無勢という感じだったので、その日は「終わった」という気分だけで帰ることになりました。
その、帰り道にて自分が現役だったときのことを思い出しました。
団によっては体育会系を凌ぐ体育会系的な空気のあるボーイスカウト。
僕が所属していた団も、少し上の世代はかなりの体育会系ノリだったようでした。
僕たち世代とひとつ下の代があまりに数が多く、先輩はあまりに少ない感じだったので、僕たちがボーイスカウトに上がる頃にはそうした空気は弱まってきていて、「ひとつ上の先輩が二つ上の先輩に警棒で殴られる」という感じを見たりはしつつも、僕たちは標的にならずに済んでいた感じでした。
僕たち世代は協議の上「暴力と体育会系ノリは根絶しよう」ということになり平和なボーイスカウト時代を過ごしました。
と、それは時代錯誤的で、懐古主義に見えますが、その当時、まだ鬼軍曹的な二つ上の先輩が班長だった時、僕とひとつ下の後輩は味噌汁作りを任され、それに失敗し、ちょっとした事件を起こしてしまうのでした。
適当に作った豆腐の味噌汁
まだボーイスカウトとしては新米だった僕(小6)とひとつ下の後輩(小5)は、キャンプ初日の夕食調理において「ひとまず味噌汁でも作っておけ」と命令され、ゲームの話をしながら豆腐の味噌汁を作ることになりました。
そうした汁物の調理でありがちですが、水を大量に投入してしまい、濃度を合わせるべく味噌を延々と追加していくハメになってしまいました。
班員は6、7名でしたが、およそ30人前の豆腐の味噌汁が出来上がってしまいました。
30人前と言っても、小さい器にではなく、300ml以上は余裕で入る結構大きめの器に30杯という感じです。
「おい、どうすんねん」
と、鬼軍曹的な先輩に言われ、僕と後輩は黙り込んでしまいました。僕のひとつ上の先輩を警棒で殴っていた二つ上の先輩です。
一人10杯の味噌汁
「おい、味噌に対してどう思ってんねん。大豆さんに対してどんな気持ちを持ってんのかな?」
「すいません」
「どうすんねん?
ほかすんか?
大豆さんはほかされるために生まれてきたんか?」
「すいません」
「おい、責任を取れ」
「はい」
「二人で全部飲め」
…
ということで、作りすぎた味噌汁の責任を取るため、二人で味噌汁を約10杯ずつ飲むことになりました。おそらく2、3時間はかかったでしょう。
塩分の過剰摂取になるため大量の水と共にという形になりますが、何度トイレに向かったかはわかりません。おそらく人生最高記録の頻度だったと思います。
同級生や後輩が「手伝います」と言ってくれましたが、最初のうちは鬼軍曹的な先輩が「それでは責任を取ったことにはならん」と言ってそれを制止したりしていました。
その後「サポートあり」が許可され、1、2杯は免除される形になりました。
おそらく器には300ml程度ずつ入れていたと思いますので、一人3リットルくらいは味噌汁を飲んだと思います。
鬼軍曹的な先輩は、僕に稲中卓球部を勧めてくるような人だったので、教育目的と言うよりもいじめ的な面白半分で命令した程度だと思いますが、「食中毒を心配する保護者」であれば大問題にしそうな感じがしてしまいます。
でも僕たちがすんなり受け入れたのは、「大豆さんへの思い」に対する先輩の説教を「それもそうだなぁ」と思ったりしたからです。
そういうことにはならないようにと気をつけていれば、味噌汁10杯の試練もなかったわけですし、味噌汁10杯事件のおかげで、それ以降は確実に気をつけることにもなり、その根拠となる理屈も納得しているという感じになります。
それは明らかにフィードバックの世界です。
まあ確かにハイキングで汗は流した後とはいえ、病気になるレベルで味噌汁を飲みすぎて目が飛び出そうになったりはしました。が、個人的には良い思い出だと思っています。
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