ネオフォビア(neophobia/新奇恐怖)とは、自分の知らない新しいものには恐怖心を抱いてしまうという心理で、今まで慣れたものとは異なる新奇な刺激に接したとき、それを非難したり恐れたり避けようしたりとすること。
このネオフォビアは、本能的な心理であり、生存本能として「生き延びること」を最大の目的とした場合、今までどおりでも生きてこられたのだから、新しいもの、未知のものは基本的に危険であり避けるべきであるというような本能を発端とする。
逆に言えば慣れ親しんだものは「それが何であり、どのような属性で、どのような機能を持つか」ということを把握しているため安心するということになる。
新しいものであっても、自分の知識・経験の中から推測されるものであれば、ネオフォビア(新奇恐怖)は和らぐと考えられるが、対象が何であるか推測するにあたり、前提となる知識のようなものがなければ無いほどネオフォビアは高まると考えることができる。
ネオフォビアと新しいものへの「非難」
いつの時代も「最近の物」や「現代の若者」が非難されるのは概ねこうしたネオフォビアが原因となっている。いつの時代も「理解できないものは恐い」ということになる。
特に自分たちが経験したことのあるようなものの延長ではないような「新しいもの」であればあるほど、どういったものなのか理解するための前提知識が無ければ無いほど恐怖心は高まっていき、それに比例して非難の強さも強くなる、という感じになる。
新しいもの、知らないものに対する恐怖が、新奇性のあるものへの非難となり、同時に今ある環境の中に留まろう、慣れ親しんだものを選ぼうとする要因にもなる。
なお、本能ベースの恐怖であるため、野生動物ではこうしたネオフォビアの表れ方は大きい。しかし、野生環境から家畜化されていくに従いネオフォビアは減少する。
逆に新奇な刺激に注目する場合もある
しかし一方で、「環境の変化への適応の多様性を高めるため」といった種の保存・反映を目的とすると推測されるが、動物や人間の乳幼児においては逆に新奇な刺激に注目し接触しようとする傾向もある。
こうしたネオフォビア・新奇恐怖の概念は、「起業家がいくら力説しても起業する人があまりいない」ということを裏付ける要因となりうるだろう。自分の知らない世界に飛び込むのは生存本能的に恐いからと言うことが原因であり、現状でも生きていけるのにわざわざリスクを冒す必要はないという感覚が最優先されているということになる。
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