ギリシア人の理想

ギリシア人は、オデュッセウスのどこを賛嘆したのか?何よりもまず、嘘をつく能力や、狡猾(こうかつ)でおそろしい仕返しの能力、局面を収拾しうること、必要であるなら最も高貴な者よりも高貴に見えること、望むものになることができること、英雄的な頑張り、すべての手段を意のままにすること、才気を持つこと。― 彼の才気は、神々の賛嘆するところであった。神々はそのことを思うと笑う。 曙光 306 前半

ギリシア人、ギリシア人とギリシア人ばかり出てきますが、現代のギリシア人ではなく、古代アテナイを指して、といったところでしょうか。ギリシアに行ったことがないのに、「専門の方」くらいに思われてしまいそうなほど、このところ連発です。

古代アテナイを対象とすれば、ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった哲学者やアリストパネス、ソポクレス、アイスキュロス、エウリピデスといった劇作家について触れられそうですが、タイトルが「ギリシア人の理想」なのでどう進めていくのかが微妙です。ということで、引用中のオデュッセウスについて触れていきます。

オデュッセウス

オデュッセウスは、イーリアスの続編にあたる「オデュッセイア」の主人公です。「オデッセイ」もここから来ています。トロイア戦争においては、10年間続いた戦争に終止符を打つ要因となったトロイの木馬を立案した知将として登場します。また、セイレーンも関連しています。ご本人はあまり知られていないものの、よくよくいろいろな名称に関わっています。

といっても、ギリシア神話が好きな人しか関係無いような人です。以前の「演説家のスキラとカリブディス」では、「スキラ」と「カリブディス」について注釈に説明があったものの、「オデュッセウス」は説明がありません。

「オデュッセウスくらい知っているだろう」

といったところでしょうか。

それは「知識人」の思い込みです。簡単にでも説明を入れるべきでしょう。

今でこそすぐに調べられますが、電子辞書すらなかった時代なら、下手をすると、調べるのにすごく時間がかかったり、意味がわからないまま読み進めるしかありません。

例えとしての人物

昔からですが、野球選手で例えられると、どういう例えなのか全然わかりません。

よくあるのが

「例えば、イチローのように」

というものです。残念ですが、イチロー氏については顔と名前は一応知っているくらいで、椎名林檎氏と対談している動画を観た以外に、イチロー氏が一体どういう人なのか知りません。知らなくても困ったことは一度もないので、調べようと思ったこともありません。

野球どころかスポーツ選手は全然知りません。外国人選手の名前を出されても、白人なのか黒人なのか黄色人なのかすらわかりません。

どんな有名人であっても「顔と名前」がわかるくらいで、どんな人なのか、何をした人なのか、という点についてまで知っているかどうかは不明瞭ですから、あまり「その人くらい知っているだろう」とは思わないほうがいいでしょう。

そうした前提で話されると困ってしまいます。相手のことを考えたり、自分の意志をはっきりと相手に伝えるということを求めるのであれば、少なからず軽い説明を加えた方が良いはずです。

「自己逃避。」

これらは愚俗のことばにて

ギリシア人の理想 曙光 306

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

日本語のみ