アフォリズム 251-260
- 251.別のところにある理由
- 252.利己心の範囲
- 253.異性への理解と取り扱い
- 254.暇と哲学
- 255.研究や実験とアンケート
- 256.逆効果としての思いやりや愛情
- 257.人としての言葉と女としての言葉
- 258.勤め人の視野の制限
- 259.最大限に楽しむ
- 260.「知るか!」
251.別のところにある理由
ムキになって抵抗している者は、たいてい別のところにある理由によって、理屈の通らないような抵抗をしているという場合がある。
その理由を言うと別のところで都合が悪くなったり、恥ずかしくなるからこそ、話が通じないということが起こる。
あえてそこに触れなくても良いが、あまりに相手が醜悪なのであれば叩き落とすように触れられたくないところに触れてやってもよい。
252.利己心の範囲
生存本能ゆえの利己心があるのは致し方ないにしても、その利について、どの範囲までを対象としているかによって、人の良さというものが決まっていくフシがある。
253.異性への理解と取り扱い
個人差はあれ、異性というものがどのような性質を持ち、どのように取り扱えばよいのかを理解するには、かなりの年月を要する。そして、一生理解しない者も数多い。
もし理解していても「理解している」というと角が立ち、得することはほとんどないため、理解していても理解していないふりをする者もまた数多い。
254.暇と哲学
真に哲学的思考をする者は、「彼は暇だから哲学のことを考えている」というようなことを言いつつ、伝統的で権威性のある哲学者の名前が出てきた時には押し黙るような、生活や社会のこと程度しか考えることのできない者に何を言われようと、何の影響も与えられない。
255.研究や実験とアンケート
それは研究や実験ではなく、ただの人に説明したり、「自分は仕事をしています」と説得するためのアンケートではないか、と言いたくなることはしばしばある。
ただ学者がやると研究や実験と呼ばれ、企業がやるとアンケート調査と呼ばれるにすぎない。お勉強の先にある「権威」などその程度である。
反論者に対して「あなたはデータを持っていますか?」と切り返すことに利用するということが主な目的であるが、その程度のデータ、調査方法を証拠と認めるかどうかというところは、ほとんど個人的感覚にしかすぎない。
256.逆効果としての思いやりや愛情
思いやりや愛情というものは、時に逆効果となることがある。
弱さから生ずる過剰な思いやりや愛情は、相手から思いやりや愛情、自立心、ありがたいという感情を奪い取ってしまう。
257.人としての言葉と女としての言葉
言葉を発する相手が女性の場合、人としての言葉であるのならば耳を貸しても良いが、女としての言葉であるのならば耳を貸してはならない。耳を貸した途端に「男」が破滅に向かう。
258.勤め人の視野の制限
勤め人の視野を狭めているものの一つは、知ったところで操作できる範囲が限られているという点である。
例えば税制などが変更されたとしても、給与所得の範囲での対策くらいしかできないゆえに、それ以外の分野の仕組みを根本から見ようとしない。
259.最大限に楽しむ
今この場の出来事は、選びうる最高のものでないにしても、最大限に楽しむことはできる。
それが「問題の解決」であろうが、時に生じる怒りの感情であっても、それを楽しむことはできる。
260.「知るか!」
どのような時でも、「知るか!」と思ってしまえば肩の荷は下りる。口に出してしまえば、さらにその効果は高まる。
思考の取り扱いというものは、本来その程度で十分である。
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