その弱点を芸術家として処置する

もしわれわれがあくまで弱点なしではすまされず、それをわれわれに対する法則として結局やはり承認しなければならないとするなら、私は各人に少なくとも、彼がその弱点を自己の美徳の引き立て役にし、その弱点によってわれわれが彼の美徳を熱望することができるほどの、芸術的な力を希望する。 曙光 218 前半抜粋

弱点というものは基本的に隠される事が多いでしょう。それは弱点をつつき、「いじめてこようとする人」が、かつて存在し、今でも付近に潜んでいる可能性があるからです。

世の自己啓発コンサル、通称エヴァンゲリオン、じゃなかったエバンジェリストたちは、「弱点は裏を返せば強みになる」とポジティブに考えろ、と人に説き伏せる癖があります。ということで「強み発見セミナー」などの自己啓発セミナーを開催したりしています。

彼らの弱点は、それが「居直り」のような構図になり、繊細な人にとっては抵抗感としてやってくるということがわからないことです。結果、自責の念がやってくる可能性があります。

強みと説得

「強み」というものは、誰かを説得する際に使われるものですが、そんなことをする必要はありません。そんな瞬間は、誰かに「お世話になろう」という場面や、誰かにすごい人と思われたい、もしくは、すごい人だからいじめないで欲しい、という主張をするときにしか使いません。

いずれのケースも、人を説得しなければならない、という錯覚の上で自分の頭の中だけでもがいていることです。

例えば、強みをアピールするといえば、就職活動の面接などですが、就職するということは、誰かが作って、現在も誰かが所有している会社などに「お世話になる」ということです。

自営業を始めたり、自分で会社を作ったりする分には、「サークルで代表をしていました」などと主張する必要はありません。

起業した際も、金融機関に融資を受けに行く際は「強み」などをアピールしなければならない時がありますが、融資を受けるような、つまり設備投資にお金がかかったり、人件費などの分の運転資金などが必要な業種でなければ自己資金で回していけるわけですから、必要ありません。

それでも安定的に収益があるのならば、強みなど見せなくても向こうから営業にやってきます。

弱点はこのように表れる

さて本題の弱点ですが、隠そうとしなくても、それは勝手に個性として仕事などで「特徴」として滲み出てきます。

自らが弱点だと思う点は、人にやってもらいましょう。しばらく集中力を総動員しながらやってみて、合わないような仕事ならば、やはり向いていないので、その旨を誰かに伝えて得意な人にやってもらったほうがいいでしょう。

すごく遅刻する人

しかしながら、遅刻してしまう、約束を忘れてしまうという点などは、社会においては弱点としてあまり許されるものではありません。遅刻してしまうのならばアラームを、約束を忘れてしまうのなら、手帳を駆使した方がいいでしょう。

たまにすごく遅刻する人がいますが(平気で3時間遅刻「論拠としての気分」)、それで通用するのなら特に口出ししませんが、うちは、無断での「ありえない遅刻」などは即刻取引停止です。相手がどんなに有名な人でも、即取引をお断りさせていだだいてます。

遅刻しないだけで信用がつく

裏を返せば、そういう「遅刻をしてしまう人」がいるおかげで、遅刻しないだけで信用がついてきます。「遅刻しそうなだけでも連絡を入れる」、というだけでかなりの信用がつきますから、その程度の簡単な事をさておいて、広告などを乱発しているのが不思議です。

横柄な態度

遅刻どころか、少し横柄な態度を取られただけで、取引中断です。それくらいでないと、嫌な人と一緒にいなければならないという無駄が待っていますから、まともなお客さんに申し訳なくなります。そんな人を相手にしている時間、優良顧客やまだ見ぬお客さんに費やしたほうが有意義でしょう。

これは、「一瞬でも怒るとすぐに冷徹になってしまう」という僕の弱点かのようにみえる「癖」が、仕事に表れている一例です。ただ、怒ると言っても感情自体は一瞬で消えています。

その弱点を芸術家として処置する 曙光 218

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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