「自然音」の礼拝

自然音がリラックスするというのはよくあるケースです。自然界にある音は、耳に入っても特に気に触りません。それどころか自然を感じられて穏やかな気持になってきたりもします。以前少し触れましたが、逆に不自然な機械音はイラッとしてきます。「ピッ」系ですね。

しかしその中間である、自然的な音でありながら、自然界ではほとんどありえない音というものがあります。鐘を鳴らしたような金属音です。

「自然音」の礼拝ということで、坊主がカンカン鳴らしていた音についてでも触れていきます。

坊主がカンカン鳴らしていた音

先日、遠い親戚の葬儀に参加しました。その時の坊主がカンカン鳴らしていた音は、携帯電話などの音ほどは不自然ではないものの、頭に響く音でした。

ついでに日本語ではなく漢文で経典をよんでいましたが、変な声の出し方です。いつもこんな場面では「しょうた!」を思い出します。

唱えるだけなら棒読みでもいいはずですが、「おぉおおーえぇぇえー」など、変な音程の変化をつけてきます。これはアドリブではなく、教えこまれたものであり、ある意図があるのかもしれません。それは、軽い催眠状態です。

四つ打ちによる催眠効果

よく四つ打ちの曲は、「ぼーっとしやすくなる」ということを聞きます。一定のリズムですから。それと同じことを高音域は鐘、低音域は木魚でやっています。

パチンコ屋などでは四つ打ちの曲ばかりと聞きますが、それと同じことです。考える力を麻痺させようという試みです。

おそらく催眠効果を狙ったものであり、経験則的に強烈な変性意識を作るための方法論としてそんな四つ打ちを繰り返しているのでしょう。

念仏ジャンキー

元々、法然なども念仏ジャンキーであり、薬物の力は借りないものの、集中力を高めることによって得られる恍惚感の虜になってしまって、「これで極楽へ行ける」と最後の最後で集中力をアイツに逆利用されてしまった一人です。

一定のリズムと共に延々と念仏を唱え続ければ、阿弥陀如来と一体化できるというような感じの「念仏ジャンキー」です。これは、催眠状態に陥ってアファメーションを繰り返しているという感じで捉えることができます。

そうして自我意識が低下した状態で念仏を唱えることで、頭の中に幻影を作り出して一体化したような錯覚をもたらしていたということです。

これは方法論と幻覚の種類だけの問題で、やっていることは違法薬物を使用しながらクラブミュージックを聞いて飛んでいる人たちとあまり変わりません。

催眠状態への誘導の手法

その念仏中毒の時に開発されたのが、アイツの力を一旦弱めるための催眠状態への誘導の手法です。

その際中に、結局変な光の代わりに、妄想を実在するかのように観てしまって、「これよ、このやり方よ」とジャンキーになってしまいました。見たところで、見ただけですから、それ以上ではありません。

その時の誘導法が弟子たちに「形式として」伝わって、「カンカンカンカン」と「ポーンポーンポーンポーン」と騒音おばさんのようにリズミカルに、そして「おー」に集中させて「おぉおー」と音の変化で不意打することで意識を変性させようとしてきたのでしょう。

つまりは、ボーっとさせて暗示をかける、という手法です。

本能的に反応してしまう音などもあります。本人たちは意図していないかもしれませんが、狂気です。傍から見るとそうとしか思えません。

客を騙そうとする場合、客よりも先に営業担当を騙す、ということがよく行われます。ということで、坊主は自分では気づいていないかもしれません。そもそも洗脳されているからそんなことを職業にしているのですから。暴利を貪っているという感覚がないのかもしれません。しかしながら、狂気です。

時給30万円ですからね。

そのうちそんな騙しも通じなくなることを見越してか、テーマパーク的に「拝観料ビジネス」を資本主義的にやっているのでしょう。

「自然音」の礼拝 曙光 157

Category:曙光(ニーチェ) / 第三書

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