カテゴリー別アーカイブ: さよなら私(みうらじゅん氏)

さよなら私(みうらじゅん氏)

すこぶるブルーな日には

気持ちというものは浮き沈みしやすいかと思います。 感受性が強ければ強いほど、外部現象の影響は強く、それによって気持ちが変動します。 その気持ちの揺れ幅が少ない人が「鈍感な人」「図太い人」などと言われます。 それはそれで才能なのですが、ともすれば、ただの「相手の気持ちがわからない人」になってしまいます。 うじうじ考えずに動けるのは才能ですが、考えない故に人にダメージを与えてしまうことがあります。 感受性が強いいわゆる繊細な人は、繊細さを極めることによって、感情の変化にとらわれない人になります。 図太い人も、感性が磨か

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あのかたが日本で

「さよなら私」に書いてあったのですが、十和田湖近くの新郷村(戸来村)がヘブライとの関連しているのではないかということで、「キリストの墓」みたいなものがあるそうです。 奥入瀬ビール ちなみにこのへんにある地ビール「奥入瀬ビール」は凄く美味しかったような記憶があります。 世界中でいろんなビールを飲みましたが、記憶の中では暫定世界一位です。 今度青森にでも行って、飲めたらすごくいいなぁと思います。 ゴルゴダの丘 僕は実際に行ったことがあります。 青森の方ではなく、イスラエルのエルサレム旧市街にある方です。 イスラエル旅行

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ドチャック

近代化はすべての文化を平均化し特徴のない世の中をつくります。いま一度、突拍子もない土着センスよ、カムバック! 近代化して選択肢が増えるのは問題ないような気がします。 歩いていこうが電車で行こうが、それを新幹線に切り替えようが、それは別に個人の選択の問題で、世の中に選択肢が増えるのはいいのですが、確かにどんどん特徴のないような世の中になってきたように思います。 なんでも有料の真意 有料、無料に関して気にもしていなかったことが、ちょっと手を加えて「有料」になってきているように思います。 なんだかイオンモールみたいなとこ

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磯をかぐ

僕はイカが食べれません。 ついでに言うと磯臭いものは全てダメです。 カニ味噌などは絶望的です。 あとエビの殻も無理です。 越前町 群馬県も大好きですが、福井県も大好きです。 特に越前海岸ですね。 思いっきり磯のにおいをかぐと、本能が反応するような気がします。 十代の時にバイクで越前町まで行ったことがあります。 それも12月です。しかも夜です。 僕は250ccでしたが、もうひとりの友達は50ccというツワモノです。 途中で小雨が降ってきて、日本海の突風と相まってまさに嵐の中「しおかぜライン」を走りました。 ダウンジャ

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いい人願望

いい人とはどんな人か、善とは何かについて、大昔からいろんなことが語られてきました。 定言命法 定言命法というものがあります。「AならばBをせよ」という仮言命法に対して、無条件での行為をさします。 イマヌエルカントの三大批判書のうち、実践理性批判という本に出てくるものです。 「君の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるように行為せよ」 結構有名ですが、実は雰囲気だけで、あまり意味をなさない命題です。憲法前文みたいなものです。 「それ、時代関係なく万国共通?」と聞かれているようなものです。 あまり「いい

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答えは風に舞っている

長い時間をかけて学校でつけてしまったクセは、すべてのことに答えを求めてしまうことです。 ― ― 人はダメな人と呼ばれないためにがんばっているわけです。しかし、問題なのはダメな人は本当にダメなのか?ということです。そもそも自分の判断基準はどこからきたのでしょう?疑いもなく、それが答えだと思い込んでいるフシがあります。 ダメな人とはどんな人のことでしょうか。 それを「判断しろ!判断する基準をつくれ!でないとおまえは。。。」と脅してくるのは、 久々に登場!「アイツ」こと自我です。 ここでわかりにくいかもしれないことをひと

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すべてを謳歌してくブーム

謳歌といえば「青春」でしょう。 これは決まりきったことのように使われます。 「青春」とは、無責任で、物事がよくわからない故に、全てに可能性を感じて興奮している期間です。 「永遠に青春」という人がいますが、なんか違うなと思ってしまいます。 「いつまでも若い」のが素晴らしいことのように思っているのでしょう。 おそらく「ため息だらけの人よりはいいだろう」というようなことなのでしょうが、興奮を求めても穴を掘って埋めるだけの行為です。 その年齢でしか味わえないような出来事があります。 ですので、いつまでも謳歌はしていいのでは

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いつかはすべてがナツメロ

流行らそうと思って流行らせたものは、後に寒気を催します。 そして時代時代で流行ったものにとらわれていると、「若者」に笑われます。そしてあげく「最近の若いやつは!」ということになって、「お面倒」になってしまいます。 昔のものでいつまでも評価されるようなものは、たいてい時代を意識しなかったようなものです。 「最近はこの作り方が流行っているから」 そんなことを一切考えずに作られたものは結局いまでも再評価されたりします。 よくメジャーデビューなんかすると、それまで英語で曲作っていたのに、「日本語で曲を作ってくれ」と会社に命

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「お面倒」の起源

「お説教」とは、そもそもお釈迦様がお弟子たちに向かって説いた教えのことです。それが後年、おやじが酔いにまかせて部下たちに向かって垂れる面倒くさい話。すなわち「お面倒」に変わってしまいました。 基本的に人は「最近の人」、つまり「自分より年下の人」にダメ出しをします。 本当に日に日に劣化していっているものもあれば、もちろん進歩しているものもあります。 「最近の若いやつは」 このセリフは人類が言語を持った時から発せられていることでしょう。 決して非難しているわけではなく、もう時代についていけない自責の念なのかもしれません

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動物はエライという境地

何かをエライとかエラクナイとかは考えないほうがいいのですが、「お題をまるごと流用」なので、そのままのタイトルでいきます。 昔、病に伏せていた頃、当時の彼女が京都市動物園に連れ出してくれました。 当時の僕は、ひたすら本ばかり読んで何事も難しく考えていて、何なら思考の限界まで極め尽さないと納得しないふしがありました。 その時の知識と思考鍛錬がいまでは財産と言えば財産ですが、人生で最も苦しんでいた時期でもあります。 本を読んでいないときはずっと考え事をしています。 その内容も「今度の休みはどこに行こうかなぁ」ならかわいい

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いくつになったら大人なのかな?

「大人」という言葉はかなり人を翻弄してきたのではないでしょうか。 これはかなり定義の難しい単語です。 心の大きい人とか自立している人とか日本では満20歳とかです。 成人という言葉も変ですね。「それまでは人じゃなかったのか?」とでも言いたくなります。 いうなれば言いたい放題言われてきたかわいそうな単語かもしれません。 あくまで「子供」の対義語のような位置付けですね。 その違いとして、酔ったおじさんなどからよく聞かされるのは「責任感」とかでしょうか。 「大人」 使用禁止 定義も曖昧で、あまり気にしてはいけない単語のはず

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やさしくてもかまわない

やさしくて何がいけないのでしょうか。 ひとつだけつっこみどころがあるとすれば、それはやさしさの定義が曖昧で、「弱さ」を「優しさ」と思っているだけかもしれない、という点くらいでしょう。 弱すぎると、助けることすらできなくなるかもしれません。 弱すぎると、やさしさを出す場面すらないかもしれません。 やさしいのは素晴らしいことです。 せっかくの優しさが無駄にならないように、少しずつ強くなっていけばいいのではないでしょうか。 ― たまに叱らないのが優しさに見えることがあります。 反省する動機が十分にあって、本人もダメージを

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プレシャス・プレイ

人生とは本当に暇つぶしなのでしょうか。 「暇つぶし」などというと、すごく消極的に捉えられそうなので、ほかの言葉を使いたいところです。 たまに「人生なんて暇つぶしさ」と、ニヒリストを気取る人がいますが、ただ、ストレスから逃げているだけで、その言い訳として「意味はない」を乱用しているような気がします。 生きることは苦であると、お釈迦様は悟られましたが、そう思ってかかるとたまの楽がとても貴重に感じるというプレシャス・プレイではないでしょうか? 僕は違うと思います。相対的なもので測るとそうなりますが、それはあくまで比較です

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主役降板

もちろん主役は自分です。 ただ、普通に考えると自我の範囲のみでしか物事を考えられません。 それは仕方ありません。 たとえば、「人のお役にたつんだ」と考えてみても、「人に与えた分だけ自分に返ってくる」とか考えても、自我の範囲で考えて、「すごい金持ちが言っていて、自分も金持ちになりたいから」というスケベ心でやっているのが本音でしょう。 「損しているように見えてもいつかはお返しが返ってくる」と利益的なものを求めているに過ぎません。 そんなことを思うくらいならやらないほうがいい。 右手がしていることを左手に悟られないように

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淋しくならない努力

僕には淋しいという感情がありません。 昔はそうでもなかったのですが、相当鈍感になったのか、慣れてしまったのか、もう数年以上感じていません。 たまに、「あのまずいカレーどんな味だったかな?」と気になって、まずいと分かりつつももう一回食べてしまうような感覚で、「どんな感じだったかな?」と、もう一度味わおうとしても、もう味わうことはできません。 いまでは慣れたというより、本当にわからなくなってしまいました。 過去の経験からの想像で、こんな感じだったかな、という程度です。 本当になくなってしまいました。 ― こんな話をほか

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極楽の余り風

桂米朝さんの「夏の医者」の枕で「極楽の余り風」という言葉があるそうです。 猛暑の中にたまに心地よい風がどこからともなく吹き込んでくる。 何とも言えない心地よさでしょう。 「さよなら私」の中では仁和寺が出てきます。 もちろん僕も歩いていこうと思えば歩いて行ける距離に住んでいるのですが、裏の御室八十八箇所にはよく行きましたが、仁和寺本体には数回しか入ったことがありません。 猛暑の中の「極楽の余り風」もなかなかいいですが、春先から初夏にかけての日差しのきつい日に吹き抜ける風もなかなか心地いいものです。 一番印象に残ってい

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だまされるのはいつも言葉

外国人が来て、怒った顔で自分に罵声を浴びせるとき、大抵は「何か悪いことをしたかな」と思うものです。 でも本当は「うちのオカンのカレーは格別にうまい!今度食いに来い!」と叫んでいたらどうでしょう。 言葉がわからない故に勘違いしてしまいます。 言葉には力がありますが、それは言葉に力という属性を与えているからです。 言葉に意味というラベルを貼り付けているからです。 一方で意思の伝達にはかなり役立ちますが、苦悩の元凶にもなりえます。 漠然とした言葉の意味にとらわれて、いつも感情が振り回されます。 しかし本当は感情を揺さぶる

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のんきになるための一歩

のんきはまじめやふまじめという既成概念と違い、一種の才能なのです。「なるようにしかならないんじゃないの」と基本どこか大きく人生をあきらめていらっしゃる。努力をしないというのではありません。したけりゃ努力してもいいんじゃないと、あくまで自分のこともひとごとと考えていらっしゃる。 のんきは楽観主義とは少し違うような気がします。 一般的には、コップに半分残った水を見て「まだ半分もある」は楽観主義、「もう半分しかない」は悲観主義などといいます。 しかし、そんなことで分析されたくはありません。 「半分ある」 そう言ってあげま

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同じ

「同じ」であるということを安心材料に使ったり、「同じ」であることを強要なんかすれば、人生は壊滅的に苦しくなります。 昔、よくYahooチャットや某掲示板、自分のブログなどで大激論を交わしました。 夜の8時から論争が始まって、終わったのは翌朝6時ということもありました。 そのあいだ打ちっぱなしです。 でも、相手と喧嘩してたわけではありません。 あくまで、個人的な人格攻撃などではなく、思考の限界まで、相手の穴をお互いにつき合って、より高いレベルを目指していただけです。 もちろん主張というかアプローチは異なったものでした

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不安こそ生きてるあかし

不安は人を成長させます。 筋肉に負荷を与えるとムキムキになっていくように、ストレスというものは人の心を成長させます。 ただ、そこから抜け出せずに無限ループして神経をすり減らしている状態の人がいます。 期限の定まった不安なら、終わる時点が決まっているのでクリアはたやすいですが、たとえばニートの人なんかは、お金をくれている人が死ぬくらいでないと終わる決定的なきっかけがないので苦しんだままだと思います。 なんとなく生ぬるい生臭いような生活が続きます。 でも、どこか本気では楽しくなくて、どこかでストレスを感じています。 突

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不安からの逃避法

「不安だ」の下に「スティック!」をつけ、大声で叫びましょう。 「不安ダスティック!」。なんだか素晴らしいことのように思えますよ。 不安の対義語は安心ということになっています。 二元論化して考えればそうなのかもしれませんが、そう考えると安心するのは難しいように思います。 不安について少し考えてみましょう。 たいていはそわそわしている状態です。 なぜか落ち着かなくて、そわそわそわそわしています。 ほとんどの場合は、「うまくいかなかったらどうしよう」と、なにか直近のできごとについて考えているか、 漠然と「俺はこのままで大

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そこがいいんじゃない!

「そこがいいんじゃない!」あまりいい状況でないと脳が判断したとき、すぐさまその呪文を唱えましょう。口に出して言うとさらに効果的です。 アファメーションなどと言われます。 言霊がどうのこうのありますが、あれも方便です。 特別企画中(今のところ「自分なくし」だけですが)、一貫して多用している「アイツ」は自我のことです。 アファメーションは、自己宣言、自分への意思表示、決意表明などと言われますが、アイツの引力の影響下にあるときには、アイツの力を抑えるのに効果があります。 頭で考えていることすら、実は自分のほんの一部なので

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あきらめることから始めよう

最近では様々な本で「あきらめる」の意味が解説されるようになりました。 「真理を明らかにする」 「明らかに眺める」 などと言われます。 確かにその通りなのですが、「真理」などと言われると、胡散臭さが拭えません。 すぐにアイツは「どうして真理といえるのですか?」と投げかけてきます。 もしくは「眺めて何になるのですか?」と攻めてきます。 ふと字面だけを追うと、アイツにいいふうに使われます。 2つの手法 これを避けるためにはいくつか方法があります。 本当はたくさんあるのでしょうが、ここでは2つだけご紹介しましょう。 そのう

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人生の選択ってやつ

イエスかノーか、この選択の連続で、ずーっと生きています。 大事件の時だけが選択しているときのように錯覚しますが、 常に選択の連続で、願いの成功の連続で成り立っています。 人は「決める」というとストレスを感じてしまいます。 なぜなら、「決めたからには責任を」という洗脳が解けないからです。 決めたからには責任を そんな話が大好きな人がいます。 たまに部下に営業目標を紙に書かせて、「お前が決めた営業目標だろ!」と怒鳴る管理者がいます。 書かされただけなのに、怒鳴られた方は大変です。 ただの脅迫なのですが、一応自分で書いて

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脳との最終戦争

うまいもんが食いたいとか、素敵な恋人に出会いたいとか、楽して生きたいとか、アイツが次々に要求してくるものに必死で対応しているのが悲しいかな「自分」です。言うなれば脳の奴隷が自分なのです。 脳との最終戦争とは銘打っていますが、戦ってはいけません。 「アイツ」の思うツボです。 ただただ、その構図だけ思い出せばいいと思います。 「俺、脳の奴隷になっていないか?」 と問いかけるだけでいいでしょう。 正確には自我です。 よく「俺は会社の奴隷じゃない!」と飲み屋で叫んでいる人がいますが、それでもその会社に居続ける理由はなんでし

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