雄弁家の学派

一年間沈黙していると、われわれはおしゃべりを忘れて、雄弁を学ぶ。ピュタゴラス学派の人々は、その当時最上の政治家であった。 曙光 347

雄弁家になるためにということで、一年間も沈黙しなくても、一ヶ月、一週間くらい沈黙するだけでおそらく雄弁になっていくのではないでしょうか。人によっては一週間くらいの沈黙だと、たまりにたまったエネルギーが一気に解放されて逆に無駄話をしゃべりすぎてしまうこともあるかもしれませんが、たいていは、うまく話せるようになるものです。

雄弁と沈黙

雄弁(ゆうべん)とはもちろん優れたる弁舌を意味し、ベラベラベラとよく喋りつつも人を感動させるほどという感じですが、端的に「口が上手い」という感じで口達者を意味します。

が、そんな雄弁家になろうとするならば「黙れ」ということになっています。

沈黙するだけでなく、テレビや雑誌やゲームといった情報もすべて遮断した方がいいでしょう。

日常生活に置き換えても、一週間も資料の準備をしてプレゼンテーションは一時間、ということはよくあることです。その一週間の間、話す内容をどんな内容にしようかと考えていても、実際に話せる時間は少しだけ、そこで取捨選択能力、要約力がついていきます。

日常会話などほとんどが無駄話です。

そういったノイズを排除しながら、重要な内容だけ一週間も沈黙しながら黙々と考えていれば、考えがまとまった後でも、もう無駄話の題材になるような無駄な情報は印象が薄れ、無駄なおしゃべりをしなくなります。

無駄話というのは人と人の関係性の一種の「膨らまし粉」です。

それがないと間が持たないということです。

しかし、無駄話なのだから無駄な話です。

そういう時はいっそ沈黙にチャレンジしましょう。

面白くも楽しくもない無駄話

面白くも楽しくもない無駄話を避けてこそ、主題が明確になり雄弁家になっていくはずです。

一見無駄話のように感じるような話題で、営業さんがお客の断り文句に対して事前に楔を打ったり、ミルトン・エリクソン氏が催眠をかけるというのならば話はわかりますが、通常そうした意図を持たない無駄話は、頭の散らかりにしかすぎません。

特に流行りものというものは、一番面白くないものです。

流行りを持ち出す人は自分が楽しい人くらいに思っているかもしれませんが、同じようなレベルの人達だけで楽しいだけで、特に楽しいものでもありません。

数年後には赤面してしまうような言い回し

数年前に「からのー、からのー、からのー」ばかり言っていた人には、今一度

「もう『からのー』は言わないの?」

と聞いてあげてください。

最近では、ハッシュタグを用いてつぶやきのようなものを加える事によって、創作性を上げようという流れがちらほらあります。

ハッシュタグはそういう使い方のものではありません。

だいたい、そこの並んでいる言葉はGReeeeNのアルバムタイトルのような文が多く、非常に寒気がします。

#あっ、ども。はじめまして。

#あっ、ども。おひさしぶりです。

と言った感じです。雰囲気で言えばそんな感じです。

「あっ、ども。はじめまして。」であれば、アルバムのことについてでも投稿しているのかな、という推測が立ちますが、どうもそうではありません。

この流れを察知して、数人の「なぜか『友達』になっている人」のフォローを外しました。

そのセンスを疑ったほうがいいでしょう。

数年後に赤面してしまうようなものは、面白くないものです。

そういった意味でキャシィ塚本の「タイガーマスク」は名作です。20年近く経ってもまだ生きています。

雄弁家の学派 曙光 347

Category:曙光(ニーチェ) / 第四書

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