民間道徳と民間療法

民間道徳であっても、それが心をきれいにするようなことであれば、基本的には問題ありません。基本的には問題がないのですが、それを条件化してしまうので、最後の壁で結局逆戻りしてしまうことがあります。

たとえば、苦しんでいるような人を民間療法で苦しみを一時的に解除することはいいですが、その民間療法を条件にしてしまうとそれに捉われていきます。

ということで、民間療法と言っても精神・心に関する療法(?)のようなものとして占い・占い師についてでも触れていきましょう。

占い師

占い師に「あなたは大丈夫」と言ってもらって、ひとまず騒ぐ心が落ち着くのは結構ですが、その結果感情から占い師に依存したりします。つまり占い師無しでは大丈夫ではいられなくなるということです。

占い師ということで、占いなどを生業にしているということは結局、因果関係をそのまま見ている可能性はゼロです。絶対にありません。

だいたい占いに関する何かの本か師匠みたいな人に教えてもらった「法則的なもの」を「勉強して知っている」のがせいぜいです。そしてその内容が正しいかどうかは、その人が納得したかどうかという程度で、絶対性を帯びることはないのです。

占い師に落ち着けてもらっているという構図

「気分が良くなった、不安感が少し軽くなった」と、効果だけに着目して、良しとしたいところですが、結局占い師に落ち着けてもらっているという構図は、アイツの中で泳いでいるだけのこと。いずれは自分で向き合っていかねばなりません。

まず占い師に占ってもらおうとしたり、何かの行動の指針を示してもらおうと依存するような人は洗脳されやすい人です。

能動的に動くのではなく「相手の意見に反応して生きている」ということだからです。

その様な人は、すぐに広告の影響を受けますし、テレビで体に良い食材の特集をやっていれば、その日か翌日にスーパーに買いに行くような人です。

人に説教するような占い師

また、占い師と言えば、偉そうに人に説教するような占い師がいますが、どうして自分のことを「先生」などと言うのでしょうか。

ブックオフで100円の本に書いてあるような占いの法則を勉強しただけで、アイツに振り回されていることに気付きません。それどころか占いで「人を導いている」という優越感まで味わっているでしょう。人の人生を左右するほどの力があるんだという自惚れです。

一種の宗教

知り合いに「動物占いの源流の占い」のセミナーに数十万払って行った人がいます。その人は、それが一種の宗教であることに気付いていません。

「鴨が葱を背負ってくる(実際はそんなことをするのは人間だけで、鴨にとっても葱にとっても失礼な表現ですが)」と言った感じで、洗脳されやすい人がお金を払ってまで洗脳されに来てくれるという感じになっています。

結局は占いの理論を知って分析することで、他人がどういう属性を持っていて、それに対する対応策を知っていなければ不安だ、というようなことです。

そうした占いセミナーのようなものはほとんどカルト宗教だと思っておいても良いでしょう。面白半分に話を聞くくらいならいいですが、数十万円払ってセミナーに参加するということは狂気です。

仮に占い師が説くような、そのような宗教じみた法則があったとしても、そうした因果から抜け出そうではありませんか。

「コントロールしなければならない」
という自我の働き

それはまさに「コントロールしなければならない」とアイツに駆り立てられているだけです。外部を把握して対応しなければいけない、コントロールしないと自分に不都合が生じるかもしれない、という自我の働きです。

占い師に落ち着けてもらって、一時的にでもすっきりすれば、それが正しい道なのだと錯覚しますが、何かをしなければすっきりできない、というのはおかしいですね。

一時的に楽になることは結構ですが、そのことを、その心の流れをご自身で探ってみてはいかがでしょうか。

民間道徳と民間療法 曙光 11


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語のみ