腹の底から笑えるということは幸せですが、「笑い」というのは、笑おうとして笑えるものではありません。
「表情だけでも笑っていると本当に気分が明るくなる」
というのは、どうやら本当のことのようですが、それは「微笑み」であって、「爆笑」ではないはずです。
いちおう、顔の筋肉の具合が、本当に気分を変えるようですが、「暗い顔をしているくらいなら、嘘でも笑顔を!」という使い方です。
腹の底からの笑いには使えないでしょう。
本気の笑いを自作
普段生活している中で、基本的にはそんなに腹から笑える出来事などありません。
そこで、笑いを求めてエンターテイメントに頼るわけですが、自分の感性と合ったお笑いなど、数に限りがあります。
やはりなんとか自力で作っていかねばなりません。
その際の3つのアプローチです。
盲点を外す
どうしても、慣れ親しんだ環境が一番落ち着くのでしょう。
それがくだらないような環境であれ、抜け出すストレスに比べればなんてことないのです。慣れていますから。
僕はコントが大好きでした。
そこで、落語というものに興味はありませんでした。
20歳くらいになってやっと、落語の世界を知ることになります。
最初は、やはり違和感が拭えないので、変な気持ちになりますが、わかってくると楽しみ方もわかってきます。
「一番興味のないことをあえてやる」
これは時にかなり有効です。
「笑いということはこういうことだ」という一種の偏見、ある種の盲点を外すと、笑いの対象が広がっていきます。慣れ親しんだもの以外の笑いの可能性を試していくという感じで、この盲点は外れていきます。
解釈を試す
目の前に起こる現象は同じでも、それを感じ取った人によって面白かったり面白くなかったりします。
この些細な現象を面白いふうに捉えるにはどうしたらいいか、それだけを考えて、見る角度を変えてみたり、妄想してみたりします。
昔、松本人志さんの著書にありましたが、トラックの運転手さんを見て、「ただのドライブだったらどうしよう」などと考えてみることです。
目の前にいる、ジョグ(原チャリ)に乗っているおばさんが走り屋だったらどうしよう。
など、なんでもいいので批判的になることなく、思うがまま目の前の現象の解釈を変えて遊んでみてください。
作品を自作
最近では動画など簡単に撮れるので、いろいろ試してみればいいのではないでしょうか。
アフレコなどもできるので、いくらでも作りようはあると思います。
ただ、「歌ってみた」、「踊ってみた」のように、動画共有サイトに上げて評価を計るのはやめたほうがいいと思います。
あくまで、自分が楽しむための作品作りです。
周りの目を気にしないのでやりたい放題です。
自分の意外な一面が見れるかもしれません。
作り笑いが苦手なら
「表情だけでも笑っていると本当に気分が明るくなる」ということで、明るくなるために笑おうとしても、作り笑いが苦手な人もいます。であるならば、思い出し笑いができるように、爆笑ストックの記憶を予め保持しておくことをおすすめしておきます。
僕はこれを爆笑ストック200と呼んでいます。
思い出し笑いによって、軽く笑った後に人と接すると、穏やかなコミュニケーションのスタートが穏やかになります。
ただ、あまりに笑うと、脳筋体育会系が「何をヘラヘラ笑っているんだ」とキレてくることもありますので、少しは注意が必要なのかもしれません。なお、「何を笑ってるんだ」とキレてこられても、笑顔で押し続ければ、相手は折れたりします。ということで「押しきれそうなら笑顔で、押し切れなさそうなら若干控えて」といった感じで、笑いと明るさのパワーに応じて取り扱いを考える程度という感じになるでしょう。
改バージョン⇒腹の底から笑える幸せ 改
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