本ブログも七周年を迎えることになりました。ちなみにこれで1942記事目になります。今回も祝六周年の時と同様に、単純に祝七周年というタイトルです。
祝六周年の時は1775記事だったのでこの一年で170弱の投稿をしたことになります。
さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、いつもありがとうございます。
アクセス状況
この一年でこのブログにやってきた人の数は、170,737名ということのようでした。その前の期間は279,159名だったので年間ベースで11万人弱減少しました。
COVID-19による社会環境や関心の変化、そして検索アルゴリズムの変更などが影響しているのでしょう(若干ながらサイトの表示速度も影響していそうです)。あと菊花の約が影響していそうです。
男女比は、男性 51.35%、女性 48.65%といった感じです。
昨年に比べて男性のアクセスが若干増えました。
23区を市扱いにした上での市町村別アクセストップ10は、横浜市、大阪市、名古屋市、新宿区、港区、札幌市、京都市、さいたま市、福岡市、世田谷区という順になりました。
なお、国外アクセスの1位はアメリカで、全体のうちの0.35%がアメリカからのアクセスでした(スパムが多いため中国とロシアは未だにアクセスを拒否しています)。
ソーシャルからのアクセスのうち、76.10%がTwitterから、15.07%がFacebookからでした。僅かながらYou Tubeからのアクセスもありました。
年齢層
- 25-34 28.96%
- 18-24 23.48%
- 35-44 22.84%
- 45-54 12.00%
- 55-64 6.59%
- 65+ 6.14%
順序としては、18-24 と 35-44 が入れ替わる感じになりました。
デバイス
- mobile 71.66%
- desktop 25.16%
- tablet 3.17%
昨年に比べてややdesktopの比重が高まりました。
サイト内検索
毎度おなじみサイト内検索です。
この一年で2604の検索ワードがありました。
検索回数上位は、不安や死にまつわるものばかりでした。社会環境が影響しているような気がしました。
ちなみにZ会は検索回数27位でした。
サイト内検索を強化
検索という行動が意外にも多かったため、今回の七周年に合わせてサイト内検索を強化してみました。
頂いたコメントや添付ファイル(画像詳細)ページを検索対象としたり、「高度な検索」で、カテゴリーやタグのチェックによる絞り込み検索をつけてみました。
考えてみれば投稿数は1900を超えており、画像詳細も2700程度あるので、細かなものを含めれば合計4600程度の個別ページが存在することになります。
基本的に検索、絞り込みは過去に向かうような感じですが、好みに合ったページへの到達を容易にするということが必要になってきたような気がしたため、今回の七周年に合わせてそうした機能を強化してみました。
ただそうなると、既知の概念を元とした偏りが生じやすくなります。ということで、逆方向とまではいきませんが、趣向や投稿との関連性とは関係ない提案をお手軽にという意図でランダムリストを作ってみました。
さて、七周年ということでいつものごとく普段とは少し違うような感じで進めていきます。
選びぬかれた赤唐辛子と、塩と、ビネガー
物心ついてから記憶している限り、タバスコペパーソースの背面には「選びぬかれた赤唐辛子と、塩と、ビネガー」と記載され続けていました。
しかし先日新しいタバスコを買うと…
選びぬかれた赤唐辛子と、塩と、ビネガーの記載はなく、「オーク樽で3年間熟成された昔から変わることのない製法」という記載に変わっていました。
それほど頻繁に新しいものを購入するものではないので、いつ頃変わったのかは知りませんが、「選びぬかれた赤唐辛子と、塩と、ビネガー!」と軽く叫ぶようにつぶやいてしまいました。
一種の喪失感であり、思い出の公園が潰されたような気分になりました。
仕方がないといえば仕方がないのですが、これはドラえもんの声は大山のぶ代氏でないと受け付けないというものと同じです。
記憶によって構成されている人格の構成要素を書き換えられたような格好になるので、喪失感が訪れ、短期的に混乱するという感じになります。
自分で意図して行う家の建て替えや車の買い替え等々であれば、自分の意志の反映という感じがするのでそれほどのショックはありません。たとえ家族が買い替えたとしても、そのタイミングをある程度把握することができますし、段階を踏んで受け入れられます。
しかし不意打ち的に「選びぬかれた赤唐辛子と、塩と、ビネガー」が無くなったということは、その不意打ち性により、短期的にですが頭が痒くなってしまう出来事でした。
父の感性に響く楽曲
さて、さらに全くの余談に移りましょう。実家に帰ると、自宅よりもかなり優れた音響環境となっているため、ほぼ確実にある程度の音量で音楽を流すことになります。
まあ圧縮で潰れている部分はあるとしても、動画を再生してPCから吐き出す音ですら、普段聞いている音よりも格段に良音となります。
ということで、たいてい何かを流すのですが、SUPER BEAVERを流したときだけ例外なく父が部屋に入ってきます。
とりわけCD音源ではなく、ライブ動画を流したとき、1曲目と2曲目の間に
「ん~何をごちゃごちゃ言うとんにゃ~」
と言いながら部屋に入ってきます。
つまり、父としては、響くものがあるからこそ、「何事か」などといった言い訳をしながら部屋に入ってきて、聴いて去っていくわけです。
友情をつなぐものと「話の幅」
さて、「選びぬかれた赤唐辛子と、塩と、ビネガー」とSUPER BEAVERで思い出しましたが、以前友人にSUPER BEAVERのアルバム「SUPER BEAVER」を贈ったことがあります。
理由は単純で、極端に言えば「僕たちが友達でいるために大切な部分」を欠きつつあるように感じたからです。
環境は変化し、「重要なもの」が変化し、話の内容が変化していくのは致し方ありませんが、「そればっかり」になるのはどうもいただけません。
就職活動中であれば、就職活動の話ばかりになったりして、そうした時期ではない人とは話が食い違っていったりします。また、よくありがちですが、結婚した人、子供がいる人等々で話題がそれていったりします。
でも古くからの友人ということであれば、「僕たち」を構成しているものの源流は、もっと古くに一緒に歩いた道に沿う形になるはずです。それを懐古的に話し合うということばかりというのも違うような気がしますが、一応源流としてはその部分になるはずなので、そうした面が見えなくなるということは、どこかしらで友情が壊れつつあるような気がしてしまいます。
そういう意味でだいたい友人の奥さんなどは「僕たち」にとって深いところで邪魔者になります。相手としても同じようなものでしょう。
家庭を第一にするというのはいいですが、話の内容まですべてそうしたものに基づくものというのはいただけません。
「古くからの友情が壊れる」という様を見たり、経験したりしたことは何も今に始まったことではありません。お金や職業、権力的なものが原因となっていることもありますが、十中八九、異性が原因で壊れていっています。
そんなことで壊れるなんてなんだか虚しいような気がしますが、異性の方を優先してしまうということはある程度致し方ないのかもしれません。
異性の方を優先せずに過ごすには、概ね次のいずれかの条件が必要になります。全くモテないか、もしくは、モテすぎて異性をある意味余裕で扱うことができるかのいずれかです。
ということを友人全員に求めることは歪んでいますので、ひとまずは現状のままということになります。
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彼との思い出も人格の上では僕を構成しているもののひとつです。
「そんなことで壊れてしまうくらいの友情であればどうでもいい」という感じにもなりますが、どうでもいいというわけでもないので、「SUPER BEAVER」を贈りました。
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といった感じで七周年です。
引き続きご愛読くださいませ。
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