どんなバカな女でも、頭のいい男を操ることができる。
しかし、頭の悪い男を操るには相当賢い女でなくてはならない。
といった旨のことを言った人がいます。
どんなバカな女でも頭のいい男を操ることを可能にしているのが「男のつまらないプライド」というものです。
「男のつまらないプライド」というものは、大抵の男性が持っています。ただ、頭のいい人ほど、うまくフィルターにかけているので、なかなか悟られないように工夫をしてしまっている故に自覚もあまりありません。
単純な人ほどカマかけにストレートにキレます。
「たられば」の想像力を利用しようとしても、失敗に終わることが多いという具合です。プライドをすぐり、煽る形で転がそうと思っても「煽りやがって」とキレられて失敗に終わるという感じです。
そんな男のプライドを「くだらない」と思う人も結構いると思いますが、男のつまらないプライドとは一体どのようなものであるのかという点について触れていきます。
「男をみせる」という際の「男」って何?
「男のプライド」というものについて示しているようなセリフが「男をみせる」というようなものです。「男を見せてやるぜ」ですね。
この「男をみせる」という際の「男」についてですが、これには「漢」という字が使われることもあります。痴漢の漢ですね。
嘆くという字とあまり変わらないことに今気づきましたが、それはさておき、「男(漢)」です。
「男を見せろ!」という時の男とは一体何なのでしょうか?
おそらくそれは「勇ましさ」というものでしょう。マ男と書いて勇ましいです。
こうした勇ましさのようなものをくすぐり煽る形で奮い立たせるようなことが試みられることがありますが、そうしたものは「モテることが正しい」と思っている男にだけ通用します。
男のプライドの根底にあるのは「勇ましくあれ」というようなものです。
これは、本当はビビってもいたしかたない局面で、恐怖をもろともせず立ち向かっていくという精神というようなものになるのでしょう。
その対象が戦闘であれ、派閥争いであれ、ひとまず闘いがメインになります。ですので「戦闘力」という言葉に敏感に反応します。
「勇気を振り絞っている姿」や「一途な思い」などが大好きです。
それを文句なしにかっこいいと思っているフシがあります。
それは裏を返せば「恐怖心にやられそう」「誘惑に負けそう」とどこかで思っているので、そういう仮想の「敵」に対して勇敢な自分に酔いしれたい、そしてその姿を見てもらってモテたい、と思っています。
何かと戦うことが大好きです。でも、どこかに無理があるというか、無理をしていることは否めません。
しかし、それを戦うことなく、しかも無理せずできるタイプの人がいます。
たくさんいるとは思いますが、代表的なのはゴータマシッダールタという人です。
世間ではもうベロベロなのに、まだ日本酒を一気飲みするような人を「男の中の男」と言いますが、次元が違います。
その人が男の中の男なら、彼は男の中の男の中の男をはるかに超えてしまいます。
男の中の男の中の男
ベロベロのさなか、「まだ飲めるぞ!」といって日本酒を一気飲みできる人が一応世間では男の中の男とされます。
後輩が、「先輩、もうやめといたほうがいいっすよ」と言っても、「俺を誰だと思ってるんだ!」といって聞きません。
一応そういうタイプの人が「男」とされています。
そこで、古代ギリシャにソクラテスというおじいさんがいたことを覚えていらっしゃるでしょうか。
「健全な青少年に変なことを教えている」という罪で、裁判にかけられ、死刑を宣告されました。
「もう脱獄しましょうよ、お師さん」という弟子たちに対して、
彼はシラフで、「不正に対して不正を犯すより、不正を受け入れてやるよ」といって、不当な裁判での死刑判決を受け入れ、毒杯を一気飲みしました。
「男のつまらないプライド」の原点といえるでしょう。
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