正しく観ることが確率論を超える

欧米の確率論的な方法がもてはやされてはいますが、営業にしろ何にしろモノを売るのは実は結構簡単だったりします。

統計や御用聞きを含めたマーケットインは確率論的に物が売れる確率を上げようというようなレベルの低い考え方です。

それは「流行りの髪型にすればモテるのではないか?」というタイプの発想です。

しかしよくよく考えてみると、たった一人の最愛の人と出会えれば「たくさんの人にモテたい」というような気持ちもどこかに行ってしまいます。

大きな工場をもって世界的に展開しているような大企業ならば確率論の方に意識が向いてしまうのもわかりますが、彼らは一種のスター・タレントです。とりわけ小規模事業者においては、タレントを目指すのではなく、最愛の人との出会い、最愛の人との愛のある生活の方に注力すべきです。

市場の原理

世の中では、モノを売るにあたって確率論的に確率を上げようとばかりしています。

しかしながら、細かなテクニックをいくら追ってみても、そうしたテクニックは次第に知れ渡ります。

市場の原理として、市場は常に変動していきます。人々を取り巻く環境の変化などももちろんですが、少し前までは頭一つ抜きん出ることができたような強みもみんなが真似をすることで強みではなくなっていったりします。

例えば、赤い色は人の注目を集めます。特に信号のなかで目立つ必要がある色は赤であり、次は黄色です。

ということで、マクドナルドはそうした点に着目して赤と黄色でロゴを作りました。

では、そうしたマクドナルドのテクニックをみんなが知るとどうなるでしょうか?

街中が赤と黄色のお店でいっぱいになります。

街がコンクリート色を基本としていろいろな色で構成されていたのならば赤と黄色ロゴは目立っていましたが、みんながそれをやることで、「目立つお店」という強みはなくなります。

それが市場の原理のひとつです。

だからこそ確率を上げるようなテクニックを知ること自体は別にいいですが、それに慢心してはいけないのです。

そしてそうした確率を上げるようなテクニックを追い求めるよりも、自らの体験を元とした強烈な熱意を持つことの方が他の追随を許さない強みになるのです。

体験を元とした強烈な熱意

なんだかんだでアフィリエイターについて批判的なことを書いたりしていますが、別に全てのアフィリエイターのことを批判し否定しているわけではありません。

ここで豆知識のお時間です。

日本において「如来」という言葉は、何だか多神教の神々のような扱われ方をしていますが、元々原始仏教や南伝仏教においての如来は「人格完成者」とか「これ以上学ぶことがない人」というような意味だったりします。

そしてそんな「如来」を示す言葉の中には、「語ったとおりに行い、行ったとおりに語る」という意味があります。

言わば言動が一致しているという意味を持ち、同時に自ら体験したことを語るという意味をも持っています。

そういうわけで、僕が非難の対象としているアフィリエイターは、記事をパクッていった人たちのように、単に収益を上げるためだけに自ら体験もせずに語ろうという人たちのその心だったりします。

まれにアフィリエイターの中にもすごい人達がいて、車のパーツなら車のパーツ、プラモデルならプラモデルが好きすぎて、そうした熱意のもとに記事に思いをぶつけていたりします。

そうした人たちは、自ら体験し、体験したこと語っています。クレジットカードや保険商品のアフィリエイト報酬が高いからといって、金融素人の割に金融について語っている人とはわけが違うわけです。

そう考えると、あまり興味もないのに就職希望ランキングで上位だからと入った会社で「これを売ってこい」と言われてものを売るというのも、本質からはズレているような気がします。

概して優れた営業さんは、その商品のことを知り尽くしています。

といっても、知った上で何かを隠しながら詐欺的に売りつける人もいるので何とも言えませんが、少なからず自分が扱う商品については、語らせたら何時間でも語っていられるほどに知っていたりします。

最も良いのは自らの体験を元とした熱意です。

自分が使用してみて人生が変わったと思えるほどのモノなのであれば、売れなくても語るだけで楽しかったりします。

といってもそんな熱意を利用して洗脳まがいのことを行う会社もありますから何とも言えませんが、少なくとも自分が体験したとおりに語り、多少のズレはあっても語ったとおりに体験できるという魅力を人に伝えるということが大切です。

そう考えると、先日の「好評発売中」の幟(落語的思考)は「…」になりますし、使用したこともないのに「オススメ7選」などと語れる神経がわかりません。

シンプルに正しく観る

世の中の仕事の種類は多岐にわたりますが、基本的に会社というものは仕事内容の7割位は同じことをやっていて、基本原則は極めてシンプルだったりします。

人の役に立つことで、かつ、利益が出ることをするということや、物かサービスを需要のある人に知らせて売るということなどなどです。

で、そうした時に「もっとたくさんの人に知らせれば、より一層売れるのではないか?」とか「デザインを工夫すれば数%売上が上がるのではないか?」とか「値段を10%下げれば、購入者層が少し広がるのではないか?」というような数値的なことをよく考える人がいます。

そうして考えられること自体はいいですが、全てには限度があります。人口には限りがありますし、需要にも限度があるのです。

ということで、会社の大きさというものにもある程度の限度があります。それを無限に大きくできると思うことは無知がもたらしています。

そういえば最近Gibson(ギブソン)が日本で言う民事再生法の適用を受けたということでいわば事実上倒産したそうです。

レスポールなどなど一応世界最高品質の音を出す製品を造る老舗楽器メーカーですが倒産してしまいました(まあそのままギター分野だけは継続するか、どこかが買収するでしょう)。

なお、僕もレスポールスタンダードを持っています(Gibson Les Paul Standard)。

ギブソン・レスポールを使ったことのある人ならご理解いただけると思いますが、レスポールサウンドは唯一無二であり、世界中にたくさんのファンがいるギターです。使用ミュージシャンは数え切れないほどいます。

一応人気があるのはヴィンテージモノにはなりますが、ギター一筋でいたならば倒産することはありえません。

確率論的に観るなら

確率論的にシンプルに正しく観るのならば、大勢の人から小さな人気を獲得しようとするようなことでもなく、細かなテクニックで確率を上げようとすることでもなく、体験を元とした強烈な熱意を持ちながら、その熱意に応じてくれる人だけを相手にすることです。

ライバルを見ること無く、自分の熱意とお客を見る、それだけです。

会社経営となるとよく「差別化」という言葉が出てきますが、無理やり考えて演出した細かな違いなど、そうそう大した魅力にはなりません。

そうしたものは確率論的に少しの差別化が少し売れる確率を上げるという発想です。そうしたものは低レベルなモテテクと変わりありません。

モテテクを知ること自体はいいですが、それで何とかなると思っている人がモテないというのが正しい見方です。

そうしたことを知り、やってみること自体は良いですが、そんな領域にいる限り永遠にモテることはないのだということを悟ることがゴールだということです。

Category:company management & business 会社経営と商い

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