待ちつる人は来らず

この世界においては、自然的な確率が渦巻いている中、常に可能性は重なり合っていて、純粋に意図した瞬間に確定してしまうという感じになっています。

それは自ら意志を確定し能動的となるという場合もありますが、表面的に自らが働きかけなくても起こってしまうという格好になっていることもよくあります。

そんな感じで、再会を望みつつも「待っていても来ない」という場合もありながら、逆に「待ってもいないのに来てしまう」という場合もよくあります。

いつかまた巡りあってしまう人たち

「久しく会っていないなぁ」と思っていた友人がいました。「どうしてるかなぁ」とぼんやり思っていると、その友人のお母さんが職場にパートさんとして勤務していて、それからまた再会したというようなことがあります。かつてそのお母さんと会ったことはないのですが、顔と名前と推定年齢から「もしや」と思い聞いてみると当たりだったというような感じでした。

そのような感じで、一旦縁が切れていたかのように思えて、どこかでまた巡りあってしまうということがたまに起こったりします。以前、「何としばしば!何と思いがけない!」でも触れていましたが、同級生と遠方でばったりということもよくあります。

そのような感じで、朧気ながら「いつかまた元気な姿を見せて挨拶したいなぁ」と思っていた人と再会した時の話についてでも触れていきましょう。

「いつかまた元気な姿を見せて挨拶したいなぁ」と思っていた人とのふとした再会

勤め人の頃ですが、ある時大阪で研修があり、会場に行ってみると、病中の時の彼女の弟がいました。なんと弟くんが同じ会社に勤めていたのです(なお、別のケースで友人の弟が勤めていたということもありました)。

それだけでも凄まじい奇跡ですが、帰りに一緒に電車で帰っていると、「京都駅までおとんが迎えに来てるから、一緒に帰る?」という言葉をかけられました。

19歳当時、「娘がこんな負け組と」と言った感じでやや不服そうな彼女のお母さんが繰り出すチクチクした攻撃から守ってくれたお父さんです。

僕は少しドキドキしながらお言葉に甘える形でお父さんを待ちました。

かなりの年月を経て再会し、しかも自宅まで送ってくれました。

「元気そうで良かったわ」という一言が沁みました。

待ちつる人は来らず。

待たなくても来る人は来る。

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