唯物論的には、また、功利主義的には正しい理屈であっても、人の「心」を考慮しなかった理論は失敗に終わっていきます。合理性や数値の上での平等を叶えたとしても、それに携わるのが機械ではなく人である限り、人の心の動きや変化を無視することはできません。
むしろそうした人の心の本質を捉えることこそ、環境によって変化してしまう思考や意志の動きを捉えることこそが最も重要なことだったりします。
コスト的な合理性、組織としての統制のとりやすさを優先し、ヒエラルキーを形成して組織を作り上げていくと、その上位の階層には強力な権限がもたらされることになります。
組織としての形だけでなく、そうした権限を持った時の人格の変容というものも考慮していかねばなりません。
権限の集中によって起こる腐敗と嘘
だいたい肥大化した組織は、権限の集中によって腐敗していきます。
そして次第にそうした権力構造の中、平気で嘘が並べられるようになっていきます。
昔、何かで「二代目の社長の提案が大当たり」などという特集を見ましたが、あまりにも閉鎖的なその会社の風土から言って「そうは言いつつも誰かの手柄を自分のものにしたのではないか?」ということを瞬時に思ってしまいました。
実際にその施策が大当たりであることは本当のことでしょうし、発案自体の真偽についてはどうでもいいのですが、「不正・不祥事を隠す」という面だけではなく、手柄についても嘘が並べられることもありそうだとその当時思ったしだいです。
裏側はわからないが自分にとってどうなのかを見るだけで十分
病中の時にそのような感じのことを思ったので、さらに疑心暗鬼は進み、「良い人とされている人も裏側はわからない」なんてなことを思いました。
しかしその後、裏側がどうであってもひとまず「自分にとってはどうなのか?」というところだけを見るだけで十分ではないかということを思いました。
そういうわけで、良い人として通っていようとも、家や自社の社内などなど、自分の知りえない裏側でどうなっているのかというところはそれほど問題ではないということを思いつつ、どのような人でも盲信はするに値しないということを思いました。
あまりに期待が大きすぎると、その期待に対して裏切りがあったときには怒りが生じます。そして自分自身がその怒りを生じさせてしまうこと自体が愚かだという感じのことを思ったわけです。
表向きに非難されながら想像通りに腐っている人のほうがマシ
僕としてはそのように思っていますが、嘘を並べて「良い人」や「良い企業・良い組織」と思わせておきながら、その実腐敗しているのであれば、表向きに非難されながら、想像通りに腐っている人のほうがマシなのではないか、ということも同時に思っています。
表向きに非難されながらその実も腐っているというのならば一貫性があり欺瞞がありません。しかし、表向きは良い人、良い企業、良い組織という演出をしていてその実腐っているというのであれば欺瞞があります。なので、その嘘の分だけさらに腐りポイントが加点されるという感じになります。
ただ、いずれにしてもロクではないので、マシという表現が良いのかどうかはわかりません。しかし、質や量の問題ではありませんが、いわば「罪の上に罪を重ねている」という感じです。
それはイエスキリストの言う「パリサイ人による『見せかけの長い祈り』」のような感じです。
嘘と罵声と「架空の言い訳書類」
嘘を並べて身内に罵声を浴びせるという意味では、世の営業職などではよくある光景です。特に大企業ともなれば、支店が本社を騙すために工作するということもよくあるでしょう。
時に罵声を浴びせながら、架空の「言い訳書類」を従業員に書かせるということもよくあります。
生産性の意味では、本当に何の意味もないどころか、時間や労力まで使っているのだから逆にマイナスです。
マイナスなのですがそれがまかり通っているどころか、そうせざるを得ないような状況を作り出しているのは上層部なのだから、そうした人たちの組織づくりや経営方針が間違っているということになります。
上層部失格であり、株主に対する背任行為
しかし、それすら目を瞑っていたり、誤魔化されて気付けないということであれば、上層部失格のはずであり、知っていながらそうしているのならば時に株主に対する背任行為です。
そうしたごまかしが一切なくなったなら、何の生産性もない作業は減り、人々の生活は豊かになるはずですが、どうもそうはいかないようです。
原因は体育会系思想
その原因は、やはり体育会系思想などにあるような気がしてなりませんが、人のことなので自然に任せています。結局自業自得になるということで、時代錯誤を繰り返して体力が弱っているような企業は根本からそうした組織の状態を見直したほうが良いと思いますが、既成の権力構造の関係上なかなか難しかったりするのでしょう。
ということで、なるべくそうした領域、空間には飛び込まず、なるべくかかわらないことです。
嘘をついたりしなければならないような生き方など、人を幸せにするはずがないのですから。
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