生きていれば現象としての波があります。
万物は常に安定などせず、流転しています。
その波に一喜一憂しているのは、波に飲み込まれているからです。
いっそサーファーになるといいかもしれませんね。
波の上に乗ってみてください。
すると楽しいだけです。
浮き沈みがあっても、その上に立っているのだから溺れません。
苦しいどころか余計に楽しいだけです。
もう一段階すすんで、ただの流木をイメージしても面白いかもしれませんね。
人生という名の航海
「人生という名の航海」とは、たまに聞くフレーズです。
ただ、大きな波が来ると、船は沈みます。
「大船に乗ったつもりで」
などといっていても、座礁などすれば、すぐに沈んでしまいます。
水の上に鉄板なんかで挑むからそんなことになります。
大きな波を乗りこなす
大きな波とは、すごい嬉しい出来事やすごく悲しい出来事あたりでしょう。
自分を満たしてくれる存在として、変な教祖や水商売の人に「嬉しさ」をもらっても、それはそれで人生は壊滅してしまう恐れがあります。
そこまで極端にならなくても、「出世した」ことに喜びを感じるのはいいですが、降格を恐れるようになるかもしれません。
愛別離苦による悲しみ
死別によって、「悲しさのあまり沈みっぱなし」、ということもありえます。
いずれ自分か相手か、どちらかが先に死ぬ、もしくは同時に死ぬ、ということをわかっているはずなのに、すぐに「永遠」を安くで契約してしまうのが思春期です。
相手が死ぬことは、本当は悲しいことではありません。「アイツ」が泣いているのです。
「アイツ」のために、慈悲の心を持ってしばらくはアイツの自由にさせてもいいですが、主導権だけは渡してはいけません。
流木のように「ちょっとは沈んでもまた元通り」
ちょっと海に潜ってみるのは構いませんが、海底まで沈められて、もう海上には上がってこれない、というのは苦しいだけです。
いっそ派手な「豪華客船」などにならずに、流木のようにただ、漂ってみるスタイルがいいのではないでしょうか。
ちょっとは沈んでもまた元通り。
結構いいと思いますけど、いかがでしょう。
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人間というのは力むと水の中で沈んでしまいます。
力を抜くと浮きます。
非常にわかりやすいことなのに、なぜかそれを忘れてしまいます。
改バージョン⇒人生サーファー 改
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