一番籤(くじ)

これは非常に珍しいことであり、しかも人を有頂天にするものである。つまり立派に形成された知性を備え、そのような知性に属する正確も、好みも、体験でさえも持っている人間のことである。 曙光 458

最近やたらにコンビニで「700円買ってくじにチャレンジ」が多いですね。一番籤(くじ)ということでクジ引きについてです。

コンビニのクジ引きにおいては、繁忙時間の混雑を避けるために、当たりばっかり入っているくじボックスを用意して、早急に当たりくじを消化するということが多いのか、たいてい当たります。先日は1400円ちょっと買って二枚とも当たりでした。

当たりクジ商品が店内に無い

そういえば前に、当たりクジの商品が店内に無い、ということがありました。当たったのに交換商品がないという具合です。

在庫切れではありません。根本的にその店は仕入れていないのです。

そもそもくじ引きで当たったのは新商品であり、同系列の旧商品は店内にありました。デザインチェンジというわけではなく、旧商品がプレーンだとすると、当たった新商品は「梅しそ味」と行った感じです。

「他の店で交換してもらってください」

とバイトに言われました。

店長を呼びました。

そしてコンビニのフランチャイズ本部にその場で連絡しました。

他の店まで行く手間はタダではありません。

時間も労力もタダではありません。

そういうわけで、旧商品と交換になりました。

店舗オーナーの「ではお店まで」

こういうことは、特にいまに始まったわけではなく、なぜか店舗運営者というものは、自分たちの不手際であっても、相手に自分の店まで来るようにと言ったりします。

「そうしましたら、商品を持ってご来店ください」

A ふざけるな

ということです。

店舗まで行くのはタダではありません。

どうして相手の不手際にこちらが時間労力、下手をすれば交通費もかけなくてはならないのでしょうか?

己の不手際を棚に上げ、お客側に労力を使わせようとしているのです。

どういうつもりで、気安く「それではお店まで」と言っているのか疑問です。

お店側の不手際にも関わらず、お客の側がお店まで行くのが当たり前という論理はどこからやってくるのでしょうか?

世の中にはシャンプーの営業のようにおかしな人がいます。

それがその人達の方針、その人達の流儀というのならばそれはそれでかまいません。

まあ、それはそれで、当然にしかるべき方向性に経営は傾いていくでしょう。

一番籤(くじ) 曙光 458

Category:曙光(ニーチェ) / 第五書

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