「頭がいい」ということはかなり安易に使われています。
回転が速いのか、ものすごく知識量があるのか、それとも理論に抜け目がないのか、それらを前提として置かないまま、曖昧に「頭がいい」という言葉を使っています。
知能指数の高さをやたらに主張してくる人がいます。
「頭はいいほうがいい」これは、「モテ」を意識しているから出てくる発想ではないでしょうか。
苦悩の元凶としての思考
以前、植物の生き方について触れましたが、思考は苦悩の元凶です。
主従関係を逆転させて、それをただの「一構成員」として使えるようになったとき、苦悩はなくなります。
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結局、頭の回転が速くても、たくさん物事を知っていても、それが役立つかどうかはまた別物です。
「全部無駄だった」
これにがっかりしてしまうのは、何かを期待していたからです。
何かをもって、何かを得ようとしていたとき、それがかなわないと人はがっかりします。もしくは相手を責めることになるでしょう。
争わないということ
こんなことを言うと、逆に頭のいいとされる人たちを叩く材料として使われそうですが、それも意味がなければ、しないことにも意味はありません。
「別に勉強したけりゃすればいい」
皮肉でもなんでもなく、そう思えるといいかもしれまん。
「暗記ばかりしても意味はない」
もし言うなら、暗記のストレスから逃げずに言うことです。
ともすれば、自分側に都合のいい材料を集めようとしますが、そんなことをせずに本質を直視すればいいのではないでしょうか。
社会とは戦いだ、ということで、「戦いならば」と、相手の弱点を探そうとします。
でも、本当は「万人による闘争状態」ではなく、「万人の『アイツ』による『アイツ同士』の闘争状態」です。
「そんなバカなことばっかしてないで大人になれ」などと、大人ぶらなくてもいいじゃないですか。
大人でないと恥ずかしい、大人でないと生きていけない、と思わせているのは「アイツ」と「義務教育」によるタッグです。
「大人だと思われる範囲で、馬鹿にされない楽しみ方はなんだろう」
などと考えずに、バカにされながらでも好きな方を選べばいいのではないでしょうか。
「大人」も「頭がいい」も「馬鹿」もすべて解放してあげましょう。
改バージョン⇒キープ・オン・バカさ 改
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