アフォリズム 331-340
- 331.時間を潰すという発想
- 332.「運とかじゃないです」と言っていた者
- 333.煩悩と私
- 334.数量的な偉業の判断
- 335.銭湯や温泉での振る舞い
- 336.一喜一憂
- 337.職業的、経済的安定を求めるのであれば
- 338.自我の都合と心の都合
- 339.保護者からの影響
- 340.欲や怒りが静まった時に生ずるもの
331.時間を潰すという発想
「時間を潰す」という発想は、楽しみ自体を見つけにくくし、また、集中力も奪っていく。
332.「運とかじゃないです」と言っていた者
しきりに「運とかじゃないです」と言っていた経営者は、つまり「自分の実力の誇示」を意図しており、どこかしらでモテようとしていたと推測される。
「運とかじゃないです」と言っていたこの者は、後に大きな負債を抱えて廃業した。ただ、さらにその後については知らない。
いかに確率を上げるようなことをしたとしても、結局は不確定要素ばかりであり、なぜそうなったのかの極めて厳密な因果関係は、よくわからない。
「自分の実力を自分で信じたい」というようなことを思うのも結構だが、自分には関わりようのない幾多の要因があったという事実を棚上げしているようでは、自分が関われるような様々な要因すらもいずれ見逃していくだろう。
333.煩悩と私
「私」というものが、様々現象、様々な結果に対して、事前に期待を生み出し、現象を解釈して煩い、そして悩む。
この悩みというものは、とどのつまり、次の「私の期待」である。
334.数量的な偉業の判断
ただ単に数量的なものが大きいというだけであって、偉人の偉業とされているものは、何がすごいのか不明なものが多い。
そうしたものは、本質的な結果や今現在における姿勢が偉大であるのかを約束するものではない。
335.銭湯や温泉での振る舞い
銭湯や温泉で股間を隠すものは自意識が高く、本人としては煩いが多い。
336.一喜一憂
一喜一憂してしまうこと自体に憂いがあり、一喜一憂すること自体が煩わしい。
337.職業的、経済的安定を求めるのであれば
職業的、経済的安定を求めるのであれば、「安定を求めて公務員」というような発想は、根本からズレており、本来は、どこにいっても通用するスキルをつけるという方が正しい。
外から見た限り条件が良さそうであっても、思想や価値観の同化の強制があるかもしれないというようなことをはじめ、「そこが良い環境であるかどうかは別問題として残っている」ということは、あまり考えないのだろうか?
338.自我の都合と心の都合
認識する働きとしての「心」の都合を考えた場合、自我にとっての都合がそれと一致することは稀である。
339.保護者からの影響
両親等々の保護者からの影響について、それに抵抗し否定することは相手との絆を裏切るような気持ちになる。そこから様々な葛藤が生まれ、苦が生じる。
そのような時、「教えられたままではなく、自分で見て聞いて感じて、自分で決める」と思っておくと、そのような裏切りの気持ちも多少なりとは和らぐだろう。
340.欲や怒りが静まった時に生ずるもの
欲や怒りが静まった時、「暇」「退屈」というモヤモヤしたものが顔を出す。
欲や怒りは、否定されたり非難されたりしやすいが、この「暇」や「退屈」というものについては、さほど問題視されない。
しかしながら、これこそが欲や怒りの根源であることを忘れてはならない。
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