やりたい事はなんですか?叶えたいことはなんですか?
自己啓発系の人が大好きそうなことを言ってみました。
僕はやりたいことが特にありません。
以上です。
…では、面白みも何もないので、少し触れることにします。
実際に、あまりやりたいことがないのですが、おそらく意識に上がってこないのでしょう。
実を言うと特に欲しい物もありません。
全て叶っているゆえに憂いがない
どうして何もないかというと、全て叶っているから。
叶うという表現は本来的にはおかしいのですが、すべてが目の前にある、そして目の前になくてもそのうちやってきます。
ですので、何の憂いもありません。
一般的に言われる、「やりたいこと、叶えたいこと」は、ほとんどが「アイツ」による命令であることが多いと思います。
もっと無意識レベルで求めたものは、すべて目の前にあるのに、アイツは自分の存在意義のために「渇望感」を押し付けてきます。
それはそれ可愛いのですが、所詮戯言です。
たまに苦しいような局面もありますが、「そんなのもありじゃないですか?」くらいに思ってしまいます。
媒介なんか必要ない 直結すれば?
「遠回り」についてお知らせします。
何かに向けて「頑張っている」人には残念なお知らせかもしれませんが、それよりもっといいお知らせなので、そのまま言うことにします。
何かを叶えて何某か満足したいとします。でもその満足はそんなものを媒介しなくても感じることができます。
「欲を捨てなさい」という類ではありません。
そんなことを言っても「無理」となって終わります。
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たとえば1億円の家が欲しいとします。で、実際住んでみたところで、少しは快適かもしれませんが、実はそんなに大したことはありません。
その1億円の家での暮らしなどがしたい、ということで「10億円今すぐ欲しい!」と思います。
でも本当に欲しいのは家そのものではないはずです。
ならば、暮らしてみたときに感じる快適さを先に感じてしまいましょう。
なんとなくほんわかした気分になるはずです。もしならないなら、ただの駆り立てです。
残念ですが、実質的な快適さが欲しいわけではなく、ほかの部分で変な思考に苦しめられているだけかもしれません。
そうなると仮に住めたとしてもそんなに快適ではないでしょう。
「ほんわかした気分になるぞ!」などと力んでいる状態はアイツに振り回されている状態です。
特に意識しなくても、何をどうこうしなくてもほんわかした気分がずっと続きます。そのためには、わかりにくいですが、何もする必要はありません。
自分が求めているものは、本来的にあまり認識できない
たいていは現状の判断からの推測や、テレビで見たスターがモデルになっているだけで、アイツの範疇で考えられていることです。
実は勝手に目の前に現れてきます。
その結果が今見ている世界です。
結果をいじっても、仕方ありません。
いじろうとしても「アイツ」にはそんな力はありません。
もうただ身を委ねるだけでいいと思います。
それをアイツはアイツのフィルターでフィルタリングした世界を見せてこようとします。
フィルターのない世界は、とてもすっきりして美しい世界ですが、目の前にあります。
別次元に存在しているものではありません。
すぐ目の前にいつもあります。
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