外国人が来て、怒った顔で自分に罵声を浴びせるとき、大抵は「何か悪いことをしたかな」と思うものです。
でも本当は「うちのオカンのカレーは格別にうまい!今度食いに来い!」と叫んでいたらどうでしょう。
言葉がわからない故に勘違いしてしまいます。
言葉には力がありますが、それは言葉に力という属性を与えているからです。
言葉に意味というラベルを貼り付けているからです。
一方で意思の伝達にはかなり役立ちますが、苦悩の元凶にもなりえます。
言語による説得は感情には勝てない
漠然とした言葉の意味にとらわれて、いつも感情が振り回されます。
しかし本当は感情を揺さぶるものの方が強いのです。
言語による説得は、感情には勝てません。
大酒が体に悪い、ギャンブルなんか儲からない、などとわかっていても感情のままに行動してしまいます。
短い言葉と写真から連想させたり雰囲気を与える
はっきりものは言わなくても短い言葉と写真から、連想させたり、雰囲気を与えることによってうまく自分側につかせる手法があります。
ナチスが用いたことで有名ですが、そんなことはもっと大昔にとっくにバレています。
ナチスのアレが有名になったのは、選挙などというB層でも参加できる制度が整ってから、わかりやすい形で使ったからで、古くはお祈りや呪文などでかなり使われていました。
酸欠と雰囲気がもたらす変性意識による幻覚
宗教的儀式は単なる酸欠と雰囲気での変性意識による幻覚によって、人を翻弄してきました。
窓のない部屋、ロウソク、お香などに加え、大量の人を同じ空間に閉じ込めるので、すぐに酸欠になります。
そこに短いキーワードを詰め込んで、演出することによって人に幻覚を見せるのです。
実際には見えなくても、体が浮いたような錯覚を覚えたり、変な光くらいは見えるものです。
そんなことは脳を騙しているにすぎません。
先の投稿でアイツをパワーで押し倒すという、アファメーションについて触れましたが、それの強力版です。
自分自身でやったり、遊びならまだしも、他人を巻き込んで洗脳して、奴隷のように使っていくのだから始末が悪いですね。
それくらい、言葉には力があり、また、脳は頼りない存在です。
でも本当は力などありません。
声に出る言葉は、ただの音です。言語は情報です。反応は現象です。
力を与えれば力を増してきます。
それで、自分が騙されることもありますし、アイツを騙すこともできます。
力を与えて使ってもいいですが、使うときは使い方には気をつけたいですね。
改バージョン⇒だまされるのはいつも言葉 改
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