祝三周年記念のときはあまり時間がなかったので、それほどかけませんでしたが、この「すばらしい日々」の投稿の宣言をしていました。
そういうわけですばらしい日々についてお送りしていきましょう。
高校入学の少し前、中学三年生の時
あれは確か高校受験の頃かそれより少し前のまだ少し寒い頃だったでしょうか、ほとんど勉強をしないまま受験を「クイズ」程度の感覚に扱い、ベースを毎日弾く日々を送っていました。
他校の同級生の中には既に「ライブハウスで演奏した」という人もいたので、「早くバンドライフに明け暮れたい」というような気持ちでいっぱいの頃です。
僕には弟がいます。
そんな時期を過ごしていた頃、弟は登校拒否気味になっていたりしました。理由はよくわかりません。
ただ、弟がいるおかげで僕はたくさん成長できたと思っています。
ある日、「さあベースを弾こう」とワクワクして家に帰ると、なぜか弟が発狂気味です。
母が何か諭していますが、とりあえず状況はよくわかりませんでした。
「お金渡すから、気晴らしに何処かに連れてってあげて!」
勢いのある言い方ではありませんでしたが、いきなり母にそんなことを依頼されました。
「うーん…どうするか…というかオレだって受験生やぞ…」
くらいの感覚でしたが、ひとまずは非常事態の空気感が出ていたので、「うん。ちょっと待って」といいながら、夕暮れ時、既に作ってあった夕食を音速で食べた後、弟を連れてどこかに行くことになりました。
さあ一緒にどこに行こう
「個人的にはゲーセンに行きたい。マーブルかビーマニをやりたい」
そんなことも思いましたが、
「小学生を連れて行ったら補導されるだろう」
ということで自分の中で却下になりました。
「弟と一緒にマクドとか?」
「いや、そうなると人生相談コーナーみたいになるからなるべく話さなくていいところにしよう」
「うーん。カラオケか?」
「いやいや兄弟でカラオケとか寒いぞ」
とりあえず幾許かのお金を渡されたものの、行き先に困っていました。
「そういえばアイツが一回連れて行ってくれたライブハウスなんてどうだろう?」
既にライブハウスで演奏経験のある他校の同級生が一度連れて行ってくれたライブハウスに行くなんてどうだろう?そんな案が浮かびました。
弟に聞いてみると
「行く」
と答えが返ってきました。
「自転車で行くと結構遠いぞ」
そんなことも言いましたが、
「行く」
と答えが返ってきました。
いざライブハウスへ
もうあたりはすっかり暗くなって、少し寒くなってきた京都の街を自転車で走る中学三年生の僕と小学六年生の弟。
普通こんな場面は「おうちへの帰り道」のはずですが、僕たちは一路ライブハウスに向かっていました。
合間合間、信号待ちでボソボソ話しながら、僕はいなかったため、内容はよく知りませんが先ほど激昂した後だったため、弟は妙な落ち着き感がありました。
この時、その一年ほど前に起こったボーイスカウトのキャンプでの出来事を思い出しました。
ハイキングでの出来事
時をその一年ほど前に戻しますが、僕はボーイスカウトのキャンプで8人位のメンバーを抱えながら最上級生としてハイキングをしていました。
メンバーは、班長で中学二年生の僕と、副班長の同級生。あとはほとんど年下で一番下のメンバーは小学五年生です。弟もボーイスカウトに所属していましたが別の班でした。
いつもハイキングは朝から出て夕方には目的地につくというコースか、朝から出て昼に目的地について、夕方には出発地点に返ってくるというものがほとんどです。
このときはキャンプだったので一方通行でした。つまり朝から出て夕方に目的地に着くというタイプのロングランハイキングです。
キャンプなので重装備、というかすごい量の荷物を抱えて山道を歩くというハードなハイキングです。本当に上級生は一人あたり最大20kg位の荷物があります。
最近ではかなり甘くなっているようですが、その当時ボーイスカウトは団によってはかなりハードな内容が盛り沢山でした。僕たちの団も例に漏れず、かなりハードな内容が多かったです。
で、その日、山の中の道なき道を歩いていると、どうも様子がおかしくなってきました。
明らかに迷子状態であることに気づきました。
山道といっても本当に車道のような道ではなく、ちょろちょろと水が流れる川沿いのような野生丸出しの道です。
ペースを考えると、明らかにハイキング後半の車道のようなところに出ているはずなのに、いつまでたっても車道のようなものは見えてきませんでした。
その時既に時間は3時くらいになっていました。
とりあえず荷物をおろして、同級生の副班長と僕で、地図とコンパスを眺めての会議が始まりました。
「目印になるあの山は多分地図上のこれだと思う」
「ということはこのあたりか」
明らかに目的地からは程遠いところにいました。
距離で言うとあと10キロ以上。このまま計算すると、ある程度の傾斜がある山道で荷物を抱えてなので時速2kmと換算して目的地まであと5時間ほどかかります。
既に15キロくらい歩いていたため、小学生組は体力が限界に近づいていまいした。
何人かの小学生は泣き出しました。
しかし泣いても叫んでも山の中です。誰も助けてはくれません。
とりあえず最上級生だった僕たちは、同じように泣きたい気持ちになりながらも、この状況をどうするかに知恵を絞るしかありませんでした。
そこでとりあえず少し休憩を取ることにしました。
靴を脱いで川に足を浸けて疲れを取ることに専念しました。
この時、既に水筒の水がなくなっていたメンバーもいました。
他のメンバーももう残りが少ない状態でした。
このハードな運動の中、あと5時間は持ちません。
ひとまず目の前に流れる清流の水を利用することにしました。
近くの木を使って火をおこし、石でかまどみたいなのを作りながら、キャンプの備品のアルミ製の底の深い皿を使って、川の水を煮沸しました。
それを川の水で冷やして飲みました。
一部は熱湯のままアルミ製の水筒に入れて川の水で冷やして、後半戦に備えました。
幸いライトは持っています。
「夜になろうが、必ずメンバー全員で目的地のキャンプ場まで行く」
僕と同級生の副班長は、この状況の打破と、不安になる下級生を何とか奮い立たせることに専念しました。
上級生が下級生の一部の荷物を持ち、目的地への方向とは逸れるものの最短ルートでいける「最寄りの車道」まで言って、通りがかった車に助けを求める計画を立てました。
あまり携帯電話も普及していない時代だったため、そこでヒッチハイクをするか、誰か代表者がキャンプ場まで連れて行ってもらって、事情を説明し、引率の大人のリーダーに迎えに来てもらうという案になりました。
「最寄りの車道」までは推定で1時間。
下級生たちも残りの力を振り絞る気持ちになってくれました。
それから約1時間。ガードレールが見えてきました。
メンバー全員で、最後は猛ダッシュで車道まで走ったのを覚えています。
きっとボーイスカウトの創設者ベーデン・パウエルはこんな経験を子どもたちにさせたかったのかもしれません。
ー
それからしばらくした後、車道に佇んだり、少しずつ目的地まで歩いたり、ということを繰り返していると、前方から引率の人の車が見えてきました。
とりあえず下級生を車に乗せてもらって先にキャンプ場まで送ってもらいました。
それからすぐ後、先ほどの車と別の車が僕たちのところにやってきました。
そして僕たちは車に乗り込んで、キャンプ場へと向かうのでした。
後から聞いた話ですが、ルートをプランニングした人が、地図のマーカー箇所やルートを間違えていたそうです。
ライブハウスに着いて
さて、時間を中学三年生の時に戻します。
中3の僕と小6の弟。
なんだか変な雰囲気のままライブハウスの入り口にやってきました。
なんだか変に大人になったような気分で、カウンターに向かうと、昔のライブハウスにありがちな、出演者が受付をやっている感じでした。
というよりも既にその日のライブは後半に突入していて、受付不在です。
「すいませーん」
曲と曲の合間に大声を出しました。
すると、フジファブリックの金澤ダイスケ氏のような人がやってきて、
「もうすぐ終わりですけど、今やってるバンドと次のバンドで」
「いやぁいいんです。いくらですか?」
「いやー…じゃあ500円で」
おそらく、別に勝手に入っても大丈夫だったと思いますが、母からお金はもらってますし、弟の手前もあります。
僕は弟と二人分、1000円をその金澤ダイスケ氏みたいな人に渡して、ライブハウスの中に入りました。
なんだか少し胸を張りながら。
弟としては人生で初めてのライブハウス。
僕は人生で二回目か三回目。
普段見るようなことのない照明の中、変な様子の弟の手を引いて、ハコの後ろの方の少し段になった床にしゃがみ込むのでした。
初めて聞く爆音の空間。でも弟は大丈夫だったようでした。
コピーバンドばっかりがひとまずコピー曲を演奏するような感じの日。
その時「今やってるバンド」は、多分エアロスミスか何かをやっているようでした。
僕は何となく知っていて、弟は知らない曲。
その後、ベーシストが、スラップでベースソロみたいなことをしていました。
「オレ、ベースでああいうのするのは好きじゃない。楽曲に溶け合って一緒に歌うようなベースラインが好きなんや」
弟にそんなことを話しかけたりしました。
よくわかったような、よくわからないような、それでも会話を含めて楽しそうな弟。
「今日、この場所を選んでよかった」
僕はそんなことを思っていました。
すばらしい日々
そして、「今やってるバンド」が終わって、その日最後のバンドつまり「次のバンド」の出番に変わりました。
何があったか、その日弟にどんな思いが巡っていたのかを僕は知りませんでしたが、そんな話は一切せず、「次で終わりかぁ」なんて思いながらもう少し長くこの時間を過ごしたいなぁと思っていました。
「早く高校生になってバンドライフに明け暮れたいなー」
そんなことも思いながら最後のバンドの演奏が始まりました。
その日はコピーバンドばっかりでしたが、世代が少し上だからか、僕たちがあまり知らない曲ばかりでした。
ほとんど何を演奏していたのかは覚えていませんが、
「おまえもギターか何かやるか?」
ショパンの幻想即興曲を弾けるほど圧倒的に僕よりピアノが上手い弟におそるおそる聞いてみました。
「僕はドラムがいい」
「そうかそうか」
そんな会話をしながら最後の曲になりました。
「ユニコーンの『すばらしい日々』をやります!」
そんな感じで「すばらしい日々」が始まりました。
「僕はまだそんなに歳を取ってないけど、こんな感じの人生を過ごしていくのかな。いつかこの曲の意味がわかるようになるのかな」
そんなことを考えながら、
「もう今日のこの時間、この思い出はこれで区切られて、終わっていくんやなぁ」
中学三年生の僕と小学六年生の弟。
「すばらしい日々」に包まれて弟と二人、ライブハウスの片隅で三角座りをしながら、いろんなことを考えていたことを時折思い出します。
「きっとこんな感じでいいんやな」
時は1999年。僕が少しだけ大人になれたような気がした日のこと。
最終更新日: