買い物のとき品物が安いとわれわれのけち振りは増して来る。― なぜか?小さな値段の差が、たった今けちの小さな眼をこしらえたからであろうか? 曙光 305
「けち」は、吝嗇(りんしょく)を意味しますが、節制とは異なり、細かな点についてでも物惜しみをするような様を意味します。
ニーチェの「曙光」には、今回のように「けち」や「浪費」という言葉がちらほら出てきますが、やはりそういう言葉が出てきた時はたいていお金にまつわるテーマになります。といいつつ「見え坊で、けちで、賢くない」の時は、パンチングマシーンの話になりました。
特価 処分品
買い物の時、「本当に必要なもの、欲しいもの」それを突き詰めると、たいてい何も買わずに帰ることになります。
必要というからには「必ず要る」ということであり、無ければ何かが成り立たないということになります。
そう考えると極めてシンプルにコアなポイントだけ考えた場合は、生命維持くらいが本当に必要な事柄になります。
そういうわけで僕は特に欲しいものがなく、街中に行っても何も買わずに帰るということがよくあります。
一瞬「買おうか」と思ってしまう意識を観察する
「まあ、あった方がいいだろう」
というレベルのものすら買わない、ということを徹底すると、おそらく何も買わずに帰ることになります。
その時に「特価 処分品」だからといって買う、ということすらしてはいけません。しかしその文字を見た時に、一瞬「買おうか」と思ってしまう意識を見逃してはいけません。そういう時こそ観察のチャンスです。
「買ってもいいのに、渋るなんて我ながらけちくさく感じるなぁ」
という感想が起こるかもしれません。
「100円だからいいだろう」思想
しかしながら、浪費家、借金体質の人は、まさに「問答無用」で買います。なぜなら「100円だからいいだろう」という思想を持っているからです。「お金を貸す人借りる人」でも触れましたね。
浪費家は「使うことがなくてもいい、この価格だから」
と思っています。これが「100円だからいいだろう」思想です。
そういう時は、まず買わずに一回帰ってください。
そして欲しければもう一回、買いに行ってください。
面倒くさいでしょう。
その「めんどくささ」がよい判断基準になります。
「めんどくささ」の応用
これは人に怒り散らす、という時にも使えます。
まずは腹がたっても、ひとまずその場では怒り散らさないということが大切です。
そして、一回その場を離れて、できたら3日くらいおいてから、それでもまだ怒りが来るなら、なるべく怒りを抑えて理性的に「やっぱりおかしいぞ」と言う。
そんなことをアランが言っていました。いや、アラン以外にも提唱した人はいるような気もします。
「だって欲しいもん!それにこの価格なら別にいいじゃないか!」
と、なっている所に、価格ではなく「めんどくささ」という費用を付加することによって、擬似的に「特価」を通常価格水準にしてしまうということです。
厳密に言えば消費行動は浪費だらけです。
浪費とケチ、ケチと節制を論ずる前に、一度は試してみたほうがいいでしょう。
無駄にならずに残ったお金は、最強の代替性があります。
ということは何にでも使えるということです。
それなのに特に何にも使わない。
ということは自然に貯まります。
自然に貯まっても、また使わない。
どんどん貯まります。
そのような具合で、貯まったお金を使い切れなくなります。
「このままじゃ貯まりっぱなしだなぁ」
ということになります。
その時点で、けちくさい考えはどこかに行っているでしょう。
けち 曙光 305
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