タグ別アーカイブ: 心理

心理・意識・精神について

仕事中のモヤモヤの要因

最近あえて「仕事中のモヤモヤの要因」を探ってみることにしました。 そういうとまだ柔らかい感じですが、もっと端的に言うと本当は「どんなお客が嫌いか」ということです。 すると現段階では、大きく分けて3つの要素があるということに気づきました。 どんなお客が嫌かという面でいうと、次の三点になります。 頭が悪い お金がない 情熱がない これらは、さらに細分化することもできます。そして上の3つに統合していくこともできます。 例えば「素直さがない」は「頭が悪い」に入ります。 僕の中で素直さとは、文句を言わずこちらの言うことを聞く

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どうしても取り戻したかった感覚

20代の頃、天川村に行ってから第一の覚醒が起こった時の僕は、その後の人生が全て明るいものになると思っていました。 (その覚醒の詳細は「最初に病が治った思い出の地へ」で触れていました) その調子で行けば、もしかするともっと明るい人生になっていたのではないか、とも思いますが、結局そこから寄り道をしてしまったのはなぜなのか、そして、なぜあのときの感覚を取り戻せずにいて、取り戻したいと思うのかということを10年以上も時折考えていました。 日々特に煩いはなく落ち着いてはいますが、なぜあの時のような、「挨拶をしても無視するよう

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依頼主側の意図

自分の専門分野だけについて語り、依頼主側の意図を無視するような人によく出くわします。インターネットの普及により情報がパーソナライズされていった結果なのかもしれません。 これは商いに限ったことではありません。いたるところで「話が通じない」ということが起こっています。 専門性に特化していることは良いことのように見えますが、それによって盲点が出てきます。自分の専門分野以外のことは見えなかったり、問題を抽象化すること自体をせずに問題を「関係なし」とバッサリ切り捨てたりするようになってきます。 また職業人としての経歴が長くな

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狂った情報を祓う

多少涼しくなってきてマシになってきている感はありますが、今年は高気圧による暑さが続いたせいか、狂った人をよく見かけます。 また、今年はなぜか身の回りで脳出血を起こす人が続出しています。 すごく細かいところで言えば、やたらと道に飛び出してくる人がいたり、一時停止や左右確認もなしに細い道から自転車が曲がってきたりというようなこともよく起こります(ちなみになぜかその人に「どいて!」と言われたりもしました)。 直接の原因自体が何かはわかりませんが、ひとまず「狂った情報」が蔓延しているような感じがします。 それは「メディア的

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人を動かす

よく「人を動かす」ということについて語られたりします(そういうタイトルの有名な本もありますね)。 ただ、本当は「動かす」というのではありません。普段の日常で考えると一番いいのは「人が勝手に動く」ということのはずです(本来それすら茶番です)。 しかしながら、世間ではどうしても人を動かすということにあたって、変なやり方をしてしまいます。 そしてそれでも動かないので、怒り出すか、変なテクニックに走ろうとするか、自己犠牲に走るかというような感じになっています。 多いのは、「ゴネる」「正論ぽいもので押す」「諦めて自己犠牲に走

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不安の押し付け合い空間との縁切り

どうも社会において「不安の押し付け合い」をよく見受けます。これは各個人の問題ではなく、一時期の社会状況の変化とその時の情報汚染の影響だと考えています。 端的にはコロナ環境の影響です。その時についた「癖」とその影響による不安が根底にあります。 先に社会状況と情報汚染の影響の例について触れておきます。 体育会系の脳筋感や「脅して人を動かそう」という「ノルアドレナリンルート選択」は、おそらく第二次世界大戦をメインとした戦争の影響だと考えています。その時の社会状況における人の意識の最適化がそれだったという感じです。 そうい

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情報の破壊

気力や体力がない時、「治そう、回復させよう」と考えます。それでうまくいくときもありますが、うまくいかないときもあります。 それはマイナス要因が大きすぎる時です。 このマイナス要因というのは何かということを突き詰めると、意図の障害になっている情報状態です。 また、治しても治しても復活する体のこわばりや痛みがある時、特定の情報による慢性的な緊張や炎症が潜んでいる場合があります。 なので表面的に治療しても、また緊張によって復活します。 何かしらの表現としての情報が残っているわけですね。 で、それを意識上の解釈変更で正そう

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肚の据わりと集中力・やる気のルート選択

肚の据わりとやる気について、そして集中力・やる気のルート選択でも触れていきましょう。極めて大まかに軽くだけ触れておきます。 大きく分けると肚(はら)の気と、「集中力・やる気のルート選択」についてです。それぞれ別々のことについて触れますが、前者は東洋的、後者は西洋的かもしれません。 肚(はら)の気 まず、肚(はら)の気について触れていきます。気と呼ぼうがプラーナと呼ぼうがそのあたりは何でも構いません。 まあいわゆる下丹田、臍下丹田であり、あえてまとめると第一・第二チャクラについてです。第一は会陰や尾骨、第二は小腸・仙

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夫婦仲の秘訣

夫婦仲の秘訣は何ですか? というような話題がありますね。 「あれこれをしてくれる」云々、「こういうところがいいと思う」云々、様々な意見がありますね。 逆に仲の悪い人たちや「一方が当て馬のポンゴになっている夫婦」は「別れるに限る」というようなものもありますね。 しかし、どれも本質とは異なります。 答えを言いましょうか。 男側の自信です。 それだけです。 その自信に根拠がなければないほどいいですね。 つまり、最も良いのは「根拠のない自信のようなもの」です。 そこまでいかない場合でも、何かで自信を持っていればまだマシです

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話し相手が欲しい時

話し相手が欲しい時、話を聞いて欲しいというような感情が昂った時、普通は話し相手を探そうとしてしまいます。 たいていそんなふうに話し相手が欲しい、話を聞いて欲しいと思っている時は、何かしらの抑圧されたもの、鬱憤といったものが溜まっていたり、頭がまとまっていない状態だったりするので、聞いている側は面倒だったりします。 ほとんどの場合は、建設的な意見が欲しいのではなく、ストレス解消を目的としています。 旧来から掲示板やチャットというものもありますし、最近では、話し相手を探す系アプリの広告がよく出たりします。 しかしながら

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ヒゲ、メガネの面白さ

ヒゲを生やして縁の太いメガネをかけている人を見ると、 爆笑してしまうんです。 そんなに自分を隠したい? それ、かっこいいの? かっこいいね。 きっと。 僕は思わないけど。 ― 特に行く気もないショッピングモールにたまたま行く用事があって行くと、 ヒゲ、メガネの人が子供を連れていたりするんですよ。 え、どこかの誰かは、あれに抱かれてんの? ということすら面白いんですよ。 え? あれがインサイダー取引したの? ― いいよ。 僕の鼻毛を笑ってくれても。 鼻毛を「かっこいい」とは思ってないけど。 ヒゲにメガネ。 かっこいい

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第2201回投稿記念

これで2201記事目になります。ブログ創設から2201回目の投稿ということで「第2201回投稿記念」です。小6事件という個人的な「続きもの」を投稿していたので「第2200回投稿記念」ではなく第2201回目の投稿となってしまいました。 前回の第2100回投稿記念は、2023年1月18日だったので、前回からの101記事は、1年半弱かけて投稿したという感じです。またローペースで、かつ、アフォリズムで少し数を稼いだ感はあります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。 また、contactからご連絡いただいた方、

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小6事件⑤ 最終章「ともだち」の完成と「友だち」

前回:小6事件④ 行かないで愛しき人よ 女神さんがいなくなり、僕の「ともだち化」は加速しました。 そして中学生になりました。 入学の前後あたり頃の自分は、「女神さんが引っ越した先は親戚の家の近くだから住民票を移して自分も転校する策略」などばかりを考えていました。 上級生に喧嘩を売って、あえて痛くない程度に負けて「いじめられているから仕方ない」という構造を作って大人を説得するというのがいいだろうか? という事ばかり考えていました。 さて、最上級生から最下級生へ。 今度は少し年上も標的にしよう。どんどん大人にも挑んでい

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小6事件② 注目とニセモノの始まり

前回:小6事件① 事件と「ともだち化」の始まり とーもだち!とーもだち!僕の頭にある意味での「よげんの書」が出来上がりつつありました。 おそらく学級委員になったのは、少年野球をやっているZ君。人畜無害です。おそらく野球つながりで相当の票を獲得していました。 名簿の画像を送ってくれた同級生女子、― Cとしましょう。との話し合いの末、おそらくZ君だったということがわかりました。 そこで、ある程度納得がいきました。同じクラスには少年野球組が多く、ある程度仲の良かったやつも野球つながりでそっちに流れたということです。 それ

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小6事件① 事件と「ともだち化」の始まり

僕の中の全てではないにしろ、自我の3/4くらいは、20世紀少年で言うところの「ともだち」であり、デスノートで言えば「キラこと夜神月」です。熱血だったり、スマートだったりといったヒーロー側ではありません。 そのきっかけは、小学校6年生の頃の事件です。 それまでは生きていました。 ですがその時から、世界が歪みました。 傷つきすぎた僕はその事件を「捏造」していました。記憶に蓋をするための捏造です。 小学6年生になってしばらく経ったある日、学級委員を決める選挙的なものがありました。 そうしたものはいつもスルーしていたのです

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紙に書き出すこと

紙に思考の内容を書き出すことで、思考はまとまり、感情は落ち着いていきます。できれば紙とペンでというのが理想です。書くと思考スピードが落ちます。その速度の低下が、本音を発露させやすくなるポイントになります。 本来の効果はそれだけではありません。自分自身への共感、理解、そして信頼に繋がっていきます。つまり根拠なき自信につながっていきます。他の側面で見れば、思考を書き出すことは、ヴィパッサナーのひとつの類型として考えることもできます。思考を観察するということですからね。 ブログ投稿もその役割がありましたが、やはり長年運営

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思い切る際の気合い

人間、短期的なストレスにはある程度対応できても、中長期的なものにはなかなか耐えられません。そして、短期的なストレスすら避けてしまうということの理由に「中長期的にかかるストレスを想像すること」が挙げられます。 ストレスというのは負荷であって、「暑いなぁ」とか「スクワットで太ももがきついぞ」といった身体的な負荷もありますが、精神の上でのストレスもあります。 それ自体はなくなりません。ただ、反応を変えるというか、ストレスを感じた時の反射のあり方を変えることはできます。 ただ、根本的な部分を避けて枝葉の部分だけを対処するよ

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現実を無視する

「なんとかなる」の続編です。 それは「現実を無視する」です。 「現実が変わらないのであれば困る」ということになりますが、その意見は自我の意見です。現実を変えるために「なんとかなる」と思い込もうとして、安心したフリをするというのは誤りです。 「なんとかなる」と心底思って安心して意識の向きが明るくなったのに、現実を確認してまた騒ぐということを繰り返してはいけません。 なので、より厳密に言えば、「なんとかなる」の状態になったら、不安・恐怖を伴う思考や妄想を無視する、かつ、現実を無視するということです。 「現実を無視する」

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なんとかなる

「なんとかなる」 これは僕が17歳くらいの時、父の事業破綻の影響が家庭内にも本格化し始めていた時、母が買ってきた招き猫のような置物に書いてあった言葉です。 「なんとかなる」 うん。いい言葉ですね。 ということで、なんとかなるということについて、自我とバトルを繰り広げてみましょう。 「なんとかなるという証拠を見せろ」 というのがアイツこと自我ですね。 なぜですか?なぜ証拠を見せろ、ということになるのでしょうか? 安心したいからですね。 いつの話ですか? ひとまず今ですね。 「今すぐに安心したい」 ということです。 も

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短文コミュニケーション

「短文コミュニケーション」しかできないというのは考えものです。その傾向は、比較的高齢の人たちに増えているような気がします。短文以外になると頭がカーっとなり、短文しか記述できないというような感じになっていくのでしょう。 そんなことを思ったのは最近の業務のメールのやりとりです。 相手が還暦前後の年齢以上になると、短文しか返ってこないということが起こりやすい傾向にあります。 短文コミュニケーションは会話に近い感じになりますが、それしかできないとなると、大きな情報空間を構築したり操作したりすることができません。そういう生活

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選ばれない側の「つまらない人たち」の行動

世の中では選ばれない側の「つまらない人」たちが、群れて自分たちと同じようなレベルにまで引きずり落とすということをしようとします。インターネットの普及によりその行動はより起こりやすくなりました。 マスコミが盛り上がるというのも結局人の関心を刺激して収益を上げるということなので、つまらない人たちが反応することを取り上げるというのはご商売柄致し方ないことです。 ちなみにこの「つまらない人たち」というのは、僕から見てつまらないという意味ではありません。ご本人たちがご本人たちの日常を「つまらない」と感じている人たちです。 そ

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「誠実」という若き男の悩み

古今東西、若き男の悩みというものは特に変わっていません。若き男と表現するものの、思春期以降老年期までの間にたいていの男性にはいつか訪れる悩みです。有名どころで言うと、サマセット・モーム氏はその悩み、怒りを「人間の絆」で表現しました。 まずは事実を知り、そして、それをどう取り扱っていくかというところが問題です。これを曖昧にすると、老年に差し掛かるまで悶え苦しむことになりかねません。 これは、本能と理性の問題でもあります。 それは、端的には「誠実」に関する問題です。 これを乗り越えると、煩いが極端に減ることになります。

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イメージの反映としての機能

久しぶりに実家に行った時に、外付けハードディスクを持ち帰ることにしました。 実家PCが壊れた(おそらく電源)ということもあって、外付けHDDの写真や音楽を家のPCに移し替えておこうと思い、移し替えついでに昔の写真を見たりしていました。 そしてついでにZERO STAGEに当時の写真をちょっと追加してみました。 やはりインターネットやパソコンというものは、一周してブログが一番良いような気がしました。 こうしたものをビジネス利用するというのもいいですが、それだけになると、本来の楽しみというものが失われていくような気がし

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閉ざされた傷の蓋

物事の表面上の出来事を追い、現実的対処をしているだけでは何度も繰り返されるような問題が起こることがあります。 解決したかのように見えて、構成する人や状況を変えて何度も起こる現象です。 やはりその奥には、巧妙に隠された原因があります。 コロナ感染以降ですが、一度地に落ちたような感じになりました。凡夫に戻るような感覚です。 ただそれには理由があります。いわばやり残していることを片付けようという意図です。やり残しているというよりも、「あっても構わないが、キレイにしておいた方が良かろう、そうするには一度凡夫に戻る必要がある

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既にあるものと心

無限にある既に形成された状態、そうした混沌と心について触れていきましょう。もちろん、ここで触れることは通常の思考では意味不明のように見える可能性もあります。そして、あえて証明の証明のようなことはパスしていきます。 まずこの空間は、いまただ単にあるものがあるという状態です。 それはこの瞬間に確定しています。同時に、時間というものもあくまで自我が「再生」の如く捉えているだけになります。 この心はただの認識する働きです。受け取るだけです。 どの視点を通じて捉えるのかというところで、通常、自我というものを通しているように見

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