物事の極端さや中途半端さ
何となくですが、近年は物事が極端です。 いや、別に近年に限ったことではないのですが、特に最近はそんなことを思います。 ある意味で中途半端な感じもします。 様々な業界で人手不足ですが、それほど豊かであるというわけでもありません。使える人材が偏っているというような感じでしょうか。 働いたら働いたで長時間労働になり、そうでなければかなり薄給になるということも極端です。 独り身なら独り身で時間とお金を持て余し、家族がいたらいたでカツカツになる、
残暑の音色
音楽テーマかなと思いつつも乱文的雑記にしようと思います。 最近盆が過ぎたからか、ラジオからフジファブリックがよく流れてきます。 若者のすべてと茜色の夕日。 若者のすべてに関しては、少し前までは「志村氏の声じゃないバージョン」だったので嫌気がさしていましたが、最近流れてくるのは志村氏の声。 それだけで少し嬉しくなります。 ― 様々なものの原点回帰を感じます。 意味不明な偏りを経て、結局元通りに戻っていくような、そんな気がしています。 ―

炎天下の全力疾走
「毎日をどのように過ごそう」と思った時に、特に「せっかくの休日なら何をして遊ぼう」と思った時、結局選んだのは、娘との「炎天下の全力疾走」でした。 別になんてことはないんですが、現代において逆に希少価値があるような気もしたりします。 炎天下なので、周りには誰もいません。 そういうのがいいんです。 いつも行動の選択においては、「走馬灯の材料」を選ぶようにしています。 変な感じですが、「死ぬ間際の走馬灯に描く思い出の材料としてふさわしいかどう

あの日のぼくらの秘密基地
よう、何年ぶりだろう。 覚えてるぜ。 26年ぶりだ。 確か夏だから、本当にちょうど26年ぶりくらいだ。 君はあの時はいなかっただろう。 二代目、ってことになるのかな。 娘を連れてきたぜ、あの子の娘ってわけじゃないけど。 「確かこの辺だったなぁ」と思いつつ、 何度も近くを通っては見逃しまくり。 やっぱり秘密基地だ。 ― 別に何を咎められるわけでもないけど、 大人の目を盗むためにひっそりと。 そんな夏だったな。 関連しているかもしれない記事

プラネタリウムを観るという夢
先日、妻と娘と三人で青少年科学センターに行ってプラネタリウムを観るという夢を実現してきました。これは昔からの夢です。 娘と青少年科学センターに行くのは二回目ですが三人でとなると初めてです。 ただ、行く前に少し、 「家族みんなでプラネタリウムというのも、冷たい熱帯魚の社本みたいで嫌だな」 となりましたが、関係なく向かうことにしました。 青少年科学センターのプラネタリウムに最後に行ったのは20代の時、プラネタリウムそのものは10年ほど前に滋
白詰草の花冠
お金がなくて、売るものもなくて、近くに生えていた野草を摘んでちょっとした花束にして「誰かが買ってくれないだろうか」と思うようなイメージが浮かんでくることもあります。 それはそれでいいんです。 それをちょっとした飾りにしたら、お店に人が入ってくるだろうか、なんてな期待をするというのもいいんです。 「ああ、お金にはならないか」と諦めるというのもいいんです。 「人を喜ばせた分だけお金が入ってくる。とは言うけどさ」 なんてな気分もいいものだと思

やわらかな陽の中で
陰と陽が統合された感覚を得てから、法人設立当時の感覚が続いています。何かしらの結果が出ても出なくても楽しいような感じですね。 そしてやたらといろいろな人とよく接するようになりました。 宅急便のお兄さんにすら「集荷の電話受付がAIのやつになってましたね」などと声をかけたりしてしまいます(ちなみにAIのやつは何も便利なものではなく、時間を浪費する感じです。お兄さんも「評判悪いですね」などと言って帰られました)。 一方、変なお客にもたまに当た
独り歩く夜道で出会った陰と陽
昨年は数え年で42歳厄年。ということなのか、昨年はなかなか散々な目に遭いました。その後日に日に良くなっていますが、たまに散々な目に遭うことがあります。それを無理に明るく解釈しようとすると、もっとおかしくなります。 特に陰陽にこだわりのようなものはありません。 しかしながら、誰かが流行らせたのか、世の中ではある時からやたらと「ありがとう」を言おうというような雰囲気があります。それはそれでいいことですが、見方によっては、陰と陽のバランスがお

僕と妻を結ぶもの
ふとした日の妻からの差し入れ。
「ほら、『ありがとう』とか言わへんミスチル」
そうか、これが僕と妻を結んでいるのか。
なんてなことをふと思ったりします。
ふたり絵本クラブ
若いときは想像もしていなかったことのひとつが、娘との「ふたり絵本クラブ」です。 絵本の読み聞かせに関しては、お腹の中にいる時から(声を覚えてもらいたかったのです)ですが、その後も一日最大5時間(英才教育的なものを強要しているのではなく、強要されているのは僕の方)の読み聞かせを繰り返し、結局は絵本の創作をするというところに落ち着いています。 作:娘 絵:僕 という感じです。 最近特に熱中する対象があまりないのですが、幼児の自由な発想を絵本

消えていく中の懐かしさ
そういえば比較的最近The pillowsが解散したようです。それだけでなく昨年からいろいろなものが終りを迎え、消え、新しい風景に変わっていったりしています。 娘としても「病に倒れる前におばあちゃんとよく行った思い出の店」が閉店して工事をしている風景を見て、喚くわけでもなくショックを受けたように静かに涙を流したりすることがありました。 様々な店舗が閉店したり移転などを行うということは、コロナ環境と資金のあり方(主にゆるすぎる融資。不安の
叩きたくなる衝動
人には「美味しいから」という理由に基づいて「食べたい」というのではなく「食べたくなる」から食べたい、という類の衝動があります。 好きなだけでなく、聴くと無性にベースが弾きたくなる、ドラムを叩きたくなる、ギターを持ってピッキングハーモニクスをしたくなるという衝動もあります。 同世代前後の人にしかわかってもらえないかもしれませんが、僕は中学生の頃からD-SHADEというバンドがかなり好きです。 (また靴が当時を彷彿させます) 中学生当時、あ

私の厄払い
厄年というものは「役がつく」などと言われたりします。それはそれでいいですが、昨年の本厄は、のしかかってくるものが大きすぎて相当縮こまってしまったような気がします。 ということで世間では神頼み的に厄払いをしたりもするようですが、僕は単に休養によって厄払いをしました。 しかしながら、きっかけがあります。 それは年始に親友が我が家にやってきた時のことです。 昨年は、育児と在宅業務をほぼ同時にしながら、夫婦で数ヶ月の副鼻腔炎、たまに急性胃腸炎等

顔の好みを超えた本能レベルでの拒絶
大変失礼なのですが、僕は人生で数回、女の人の顔を見ただけで吐きそうになったことがあり、一度は本当に目の前で吐いてしまったことがあります。 容姿の美醜というより、好みの顔ではないというものが大きく、理性で考えると「個人的感想として、美しいというわけでもないが、その人の顔を好む人もいるだろう」というような感じだったりもします。 本当に「本能レベルでの拒絶」というものになるのだと思います。 思考ではどうしようもない防御反応のようなものなので、

吠えたける悪魔との戦い
今に始まったことではありませんが、なぜか僕には吠えたける悪魔が常に挑んできます。 その吠えたける悪魔との戦いを何十年も繰り返しています。 おそらく元々は、父の中にある「劣等コンプレックス」や「愛着障害や承認欲求」のようなものです。そこに「社会的洗脳」というものが絡み、エネルギーの逃げ道を塞いでいます。 そのイメージが直接間接を問わず僕に挑んできます。 ちなみに聖書中の「サタン」とは、「道を塞ぐもの」「邪魔をするもの」というような意味があ

日々の花束
先日11/22はいい夫婦の日でした。そうした日に、妻に花束の一つでも渡すということはどれくらいの家庭で行われているのかは知りません。 そうした日に限らず「日々の花束」ということで、僕の中ではランダムに花束を渡すということにしています。 属性として妻や母であったとしても、どれだけ年齢を重ねても「女の子」という部分がなくなったわけではありません。 花束を渡すという習慣の発端 こうした花束を渡すという習慣が習慣づいたのは、両方のおばあちゃんの

悪しき伝統や価値観
少し上の世代が持っていた悪しき伝統や価値観についてでも触れていこうと思います。 年齢的に僕は前後世代との狭間にいて、「社会をどう捉えるか?」にあたってちらほら混乱があったような気がします。 そんな中、悪しき伝統や価値観を「僕達世代で断ち切ろう」というようなことをした思い出もたくさんあります。 意味不明な暴力の否定 例えば、ボーイスカウトにおいて、年齢が2つ上の人たちは、1つ上の人たちに暴力を振るっていました(「フィードバックを奪う人たち

どうしても取り戻したかった感覚
20代の頃、天川村に行ってから第一の覚醒が起こった時の僕は、その後の人生が全て明るいものになると思っていました。 (その覚醒の詳細は「最初に病が治った思い出の地へ」で触れていました) その調子で行けば、もしかするともっと明るい人生になっていたのではないか、とも思いますが、結局そこから寄り道をしてしまったのはなぜなのか、そして、なぜあのときの感覚を取り戻せずにいて、取り戻したいと思うのかということを10年以上も時折考えていました。 日々特

浦島太郎感からの脱却
ここ数年の僕は、まさに浦島太郎でした。ある程度頭が元に戻ってきた時、社会を見渡すと、「どこだここは?」というような気分になっていました。 コロナ環境やコロナ罹患、そして娘との生活とそれによる睡眠不足、母の脳出血等々、様々な要因によって頭が破壊され、一時的に世界の把握ができなくなりました。一度地に落ちたようなものです。その一部は「感染後の集中の乱れ」で触れていました。 しかしながら、そんな浦島太郎感もなくなりました。さらにいうと以前よりも

ふと立ち寄る公園
思い出がたくさん詰まった公園というものはいくつかありますが、ふと立ち寄る公園があります。 最近、母が退院したので実家に行く機会が増えたこともあり、実家近くの公園にたまに寄ってしまいます。 昼間や夕方となればいつもは子どもがいたり営業マンがサボっていたりと、誰かがいるのですが、先日、珍しく夕方にも関わらず誰もいないという状況で公園のベンチに腰掛けました。 「公園」というより公園の中の場所場所にそれぞれ思い出があるため、記憶を旅するような感

男と男の一騎打ち
「男と男の一騎打ち」というような機会はさほど多くありませんが、やはり節目節目でそのような感じのことがちらほらありました。 大口の取引や、起業前に職場の上司と話した時等々もありますが、それらはさほど大したことはありません。 人生で一番の「一騎打ち」はやはり、妻のお義父さんに結婚の挨拶をしに行った時です。 ものの数分ですが、妻に対する気合いと娘に対する気合いがぶつかり合う瞬間ですね。 その時の誇り以上の誇りの感覚はありませんし、また、その時

子守唄と夏の空
自転車で少し動き、自転車を置いて歩くようななんてことのない散歩でも とてもきれいな空に出会うことがあります。 娘が2歳の頃はそんなことがよくありました。 どんどん先々進む娘に付き合うと、とんでもないところまで歩くことになります。 「だっこ!」 ちょっと待ってくださいよ。 体力を使い果たした彼女は、うとうとし始めています。 我が家の子守唄「Love so sweet」の出番です。 「3歳になってもだっこしてもらえる?」 ああ、そういうロマ
小6事件のその後 「絶交」
前回:小6事件⑤ 最終章「ともだち」の完成と「友だち」 とーもだち!とーもだち! さあゲームの始まりです。愚弄な同級生諸君。ボクを止めてみたまえ。 ということで、親友のおかげで部分的には落ち着いたものの、ともだち化は進みました。 思春期、第二次性徴期ということもあるでしょう。 僕は小6事件の張本人が、Aであることを記憶の中で封じ込めていました。 しかし、中学2年生くらいの時に事件が起こります。 この頃のこの事件の影響で、俗に言う「いじめ
小6事件⑤ 最終章「ともだち」の完成と「友だち」
前回:小6事件④ 行かないで愛しき人よ 女神さんがいなくなり、僕の「ともだち化」は加速しました。 そして中学生になりました。 入学の前後あたり頃の自分は、「女神さんが引っ越した先は親戚の家の近くだから住民票を移して自分も転校する策略」などばかりを考えていました。 上級生に喧嘩を売って、あえて痛くない程度に負けて「いじめられているから仕方ない」という構造を作って大人を説得するというのがいいだろうか? という事ばかり考えていました。 さて、
小6事件④ 行かないで愛しき人よ
前回:小6事件③ F先生A先生 ぼくはどうすればいいの? 「唆され立候補し自己投票した1票のみだった学級委員選挙事件」があった時、唆した当のAは「言い訳」をする程度、他の人は選ばれた人に意識が向き、一部の比較的仲の良かった同級生男子は若干気まずそうな空気を出した程度でした。 そんな中、机に伏せている僕に、ひとりだけ「大丈夫?」と声をかけてくれた女子がいました。状況を理解してくれた唯一の人です。 それまで同じクラスになったことはなく、話し
小6事件② 注目とニセモノの始まり
前回:小6事件① 事件と「ともだち化」の始まり とーもだち!とーもだち!僕の頭にある意味での「よげんの書」が出来上がりつつありました。 おそらく学級委員になったのは、少年野球をやっているZ君。人畜無害です。おそらく野球つながりで相当の票を獲得していました。 名簿の画像を送ってくれた同級生女子、― Cとしましょう。との話し合いの末、おそらくZ君だったということがわかりました。 そこで、ある程度納得がいきました。同じクラスには少年野球組が多
小6事件① 事件と「ともだち化」の始まり
僕の中の全てではないにしろ、自我の3/4くらいは、20世紀少年で言うところの「ともだち」であり、デスノートで言えば「キラこと夜神月」です。熱血だったり、スマートだったりといったヒーロー側ではありません。 そのきっかけは、小学校6年生の頃の事件です。 それまでは生きていました。 ですがその時から、世界が歪みました。 傷つきすぎた僕はその事件を「捏造」していました。記憶に蓋をするための捏造です。 小学6年生になってしばらく経ったある日、学級
紙に書き出すこと
紙に思考の内容を書き出すことで、思考はまとまり、感情は落ち着いていきます。できれば紙とペンでというのが理想です。書くと思考スピードが落ちます。その速度の低下が、本音を発露させやすくなるポイントになります。 本来の効果はそれだけではありません。自分自身への共感、理解、そして信頼に繋がっていきます。つまり根拠なき自信につながっていきます。他の側面で見れば、思考を書き出すことは、ヴィパッサナーのひとつの類型として考えることもできます。思考を観

母の日に母と二人きり
母の日に母と二人きりになった時のことについてでも書いておきましょう。 昨日は母の日でした。だからというわけではありませんが、弟と母の様子を見に行きました。 普段は弟がよく面会に行って世話をしてくれています。 風邪をきっかけにしばらく気管支炎のようなものが続いていたので面会を控えていましたが、最近病院に行くと「夜に出る咳は単なる過敏反応」ということだったので、何かが感染することもなし、久しぶりに母のところに行きました。 面会人数が限定され

おんぶ散歩の効用
最近いただいたご連絡の中で、娘や育児について触れられているものが結構あったので、おんぶ散歩の効用についてでも書いていきましょう。 こうしたものを書くのは俗に言うイクメンアピールのようで避けたいところですが(行政に定義されてたまるか根性ですね)、特に非公開にする必要もないので触れていきます。 ただ、僕は養子のうさぎ他、たくさんの動物のおかげで世話に関してそれを趣味化する性質があるだけであって、そうでない人に強要するのはやめてください(何と