カテゴリー別アーカイブ: miscellaneous notes 雑記

miscellaneous notes 雑記

祝十一周年

本ブログもついに十一周年を迎えることになりました。ちなみにこれで2259記事目になります。今回は、単純に十一周年というタイトルです。 祝十周年の時は2181記事だったので、この一年で80弱くらいの投稿をしたことになります。 さて、常連さんいつもご高覧ありがとうございます。コメントを寄せていただいた方やcontactからご連絡を頂いた方、また、ひっそりと読んでいただいている方々、いつもありがとうございます。 アクセス状況 この一年でこのブ

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「女の支配欲から逃れる」という僅かながらの可能性

結局のところ、女性というものは基本的に支配欲の権化であり、僕は、この「女の支配欲から逃れる」という僅かながらの可能性をこの人生のうちの男としての人生の最大の目的にしているフシがあります。 「身の周りの他人を支配し、自分で勝手に決めた理想、自己実現を叶える」 具に観察するとそのようになっています。 「他人を支配して」いかにサボるか、「他人を利用して」いかに自分は恐怖や不安から逃れるか、他人に気を使わせ、いかに「他人の労力」で自己の理想生活

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消えていく中の懐かしさ

そういえば比較的最近The pillowsが解散したようです。それだけでなく昨年からいろいろなものが終りを迎え、消え、新しい風景に変わっていったりしています。 娘としても「病に倒れる前におばあちゃんとよく行った思い出の店」が閉店して工事をしている風景を見て、喚くわけでもなくショックを受けたように静かに涙を流したりすることがありました。 様々な店舗が閉店したり移転などを行うということは、コロナ環境と資金のあり方(主にゆるすぎる融資。不安の

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狂人たちの中にいて狂人にならずにいること

狂人たちの中にいると、狂っていないはずの自分がおかしな存在として扱われ、彼らと同じような狂人にならないと不快感が生じてしまうというような同調圧力がかかることがあります。 古くは中学生時代の体育会系的な圧力、その後も脳筋要素が強かった勤め人時代の職場もそんな感じでした。 最近では、介護関連でよく狂人に出くわしました。 狂人は狂人であることを認めません。 狂人から見れば僕の方こそ狂人に映ります。 相手から見て狂人である僕を何とかしようとして

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吠えたける悪魔の取り扱い説明書

「吠えたける悪魔」はどこにいるかというと、結局は自分の内側にいます。 その構造を分解して考えればすぐに見破ることができます。 例えば、僕が父の中にいる「吠えたける悪魔」を浴びて何かしらの嫌な思いをしたとすれば、その嫌な思いという情報、「父をはじめとした家族との関係性において生じた何かしらのもの」がその本体になるわけです。 人を通じてやってきたからと言って、その人自身が悪魔であるわけではありません。そしてその「悪しき情報」や現象を呼び起こ

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デコピンで終わり

強くなるということは、大きくなるということです。 大きくなるということは、囚われないということです。 ー 時に、「どっちの選択が囚われないということなのだろう?」という難題がやってきます。 「どっちの選択をすることが『囚われていない』ということになるのだろう?」 というような感じですね。 そんな時は、「どっちの選択をすることが『囚われていない』ということになるのだろう?」ということに囚われないことです。 そうするには少しコツがあります。

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私の厄払い

厄年というものは「役がつく」などと言われたりします。それはそれでいいですが、昨年の本厄は、のしかかってくるものが大きすぎて相当縮こまってしまったような気がします。 ということで世間では神頼み的に厄払いをしたりもするようですが、僕は単に休養によって厄払いをしました。 しかしながら、きっかけがあります。 それは年始に親友が我が家にやってきた時のことです。 昨年は、育児と在宅業務をほぼ同時にしながら、夫婦で数ヶ月の副鼻腔炎、たまに急性胃腸炎等

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バンジージャンプ的な思い切り

最近親友がマカオタワーにてバンジージャンプをしてきたそうです。 飛ぶ前は震えが来るそうですが、飛んでからは何ともないということのようでした。 本能的な恐怖の反応は出ます。 しかし頭では一応かなりの確率で大丈夫だということはわかっています。 そんな中でも、一緒にその場に行った全員が尻込みし、彼だけがバンジージャンプを楽しんだということのようでした。 特にバンジージャンプを飛ぶ必要はありませんが、それができるかできないかというだけで人生にお

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休養と加速

個人的には昔から年に数回ショートバケーション的なものをちらほら挟むようにしています。とはいっても、そうしたものを取りにくい状況が続いていて、なかなか実現しませんでした。 今回の年末年始を中心に休んでみようと思いつつも、家族というものの存在すら本来の孤独的な休息にはならないので、あえて仕事を遅めから開始することで強制的に休むことにしました。 「別に大丈夫だ」という感想自体が、弱まっている時に慣れてしまって大丈夫であると感じているだけかもし

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父への評価と仕事や資産

よく父との仲や父への評価と仕事運や金運は大きく関わっているというようなことが言われます(なお、お父さんがいない人は、対象は父性の象徴になるというだけです)。 確かに過去を振り返ってみたり、今現在でも周りを見渡すと「不本意なフリーターのような状態や引きこもりニートになっている人(主に男性)」はたいていそのお父さんを嫌っています。 もちろんそのお父さんには嫌われる要素があるのでしょう。嫌う要素があるのだから仕方がありません。ということで、そ

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弱気と縋り根性の破壊

毎年、年末年始には親友と遊ぶことにしています。彼とは四半世紀という長年の付き合いの中でお互いの「自分では見えない部分」の情報の歪みを矯正し合っています。 今年も例年のごとく彼がやってきて、「自分では見えにくい悪しき情報」の抽出を行ってくれました。 前回の「他人の都合と抵抗」における「他人の空間に引っ張られる」とはつまり一種の「弱気と縋り根性」の感染であり、その破壊によって意志の方向を変更します。 僕が直接弱気と縋り根性を持っていたという

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他人の都合と抵抗

他人の都合というものは厄介なものです。 何が厄介かと言うと、時に「自分を尊重する」というものと「相手を尊重する」というものがぶつかるからです。 抽象化して統合された都合を発見できればいいのですが、相手が狂っていたりすると、相手の都合ばかりが迫ってきたりします。 そうした感じで迫られた時に、「相手の都合や状況も理解できるからなぁ」と思って関わるとロクなことが起こらないという場合があります。 手をかけようと思って手をかけること自体が、相手を

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顔の好みを超えた本能レベルでの拒絶

大変失礼なのですが、僕は人生で数回、女の人の顔を見ただけで吐きそうになったことがあり、一度は本当に目の前で吐いてしまったことがあります。 容姿の美醜というより、好みの顔ではないというものが大きく、理性で考えると「個人的感想として、美しいというわけでもないが、その人の顔を好む人もいるだろう」というような感じだったりもします。 本当に「本能レベルでの拒絶」というものになるのだと思います。 思考ではどうしようもない防御反応のようなものなので、

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新年 2025

あけましておめでとうございます。 2025年になりました。 元日は例年のごとく白味噌の雑煮を食べました。 ちなみにこの白味噌ですが、たいていスーパーでは主に二種類の白味噌が売られています。この時、「四条堀川らへんの白味噌」を選ばないと「スプーン7杯でこの白さ」的な騙しを食らうことになります。 きゅうりの古漬け そういえば年末に正月準備というほどではないですが、家族で外食ついでに買い物に出かけた時、久々に某漬物屋さんのきゅうりの古漬けを久

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さよなら2024

2024年が終わります。12月生まれということで41歳になりました。数え年で42歳厄年です。流れ作業についていけるかもしれない、黒夢のファンでございます。 ということで、2024年の思い出についてでも触れていきましょう。 数々の「試練」 今年は数々の試練を与えられるような年になりました。 試練感にはいくつかの「山」があり、それぞれなかなかの厳しさがありました。 母に関するものだけではありませんが、やはりそれは母が倒れてからのものが中心と

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吠えたける悪魔との戦い

今に始まったことではありませんが、なぜか僕には吠えたける悪魔が常に挑んできます。 その吠えたける悪魔との戦いを何十年も繰り返しています。 おそらく元々は、父の中にある「劣等コンプレックス」や「愛着障害や承認欲求」のようなものです。そこに「社会的洗脳」というものが絡み、エネルギーの逃げ道を塞いでいます。 そのイメージが直接間接を問わず僕に挑んできます。 ちなみに聖書中の「サタン」とは、「道を塞ぐもの」「邪魔をするもの」というような意味があ

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「爆笑」の世界を選択するとどうなるか

知識の習得という逃避と内なるものへの実践のスピンオフ的に「爆笑」の世界を選択するとどうなるか、という点について触れていきます。 かなり俗っぽい例となりますが、「爆笑」の世界を選択すると、「ヒゲ、メガネの面白さ」が見えるようになります。ヒゲ、メガネがやってきて爆笑させてくれるという現象が起こります。 個人的な意図はないのですが、先日、家族イベント的なもので某神社にてご祈祷のようなものに参加した時です。 宮司がヒゲを生やしていたんです。 ふ

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リソース不足と他責思考

リソース不足と他責思考についてでも触れていこうと思います。 会社経営であれ、育児や介護といったものであれ、何かがうまくいかないと他責思考になる人達がいます。 たいていは「初めの見積もりが甘かっただけ」ということが原因なのですが、他責思考に陥っていては解決してくことはできません。 大切なのは高い視点と意図を持つことです。 「最初の見積もり」が甘いというのは致し方ない面があります。どれだけ事前に情報を集めたとしてもそれは「その当時のその環境

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やたらと物をもらう「受け取り運」のようなもの

前回の予告通り、やたらと物をもらう「受け取り運」のようなものについて触れていきます。 僕の妻は、僕がびっくりするくらい人から物をもらって帰ってきます。主に食料品です。 僕は僕でどちらかというと物ではなくなぜかお金をもらうことがあります。勤め人時代、なぜかお客さんに「お金あげよ」といって相当な数の小銭の入った袋をもらったこともあります。 しかし人から物をもらう数と量で言えば妻には勝てません。 食料品の受け取りに関して言えば天才の域に入って

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情報を外に出すことによる調整

情報を外に出すことによる調整ということで、個人的備忘録を書いていこうと思います。雑記らしい雑記です。 少し前に「外に出すことと内に秘めること」で、ブログと対人運の相関について触れていましたが、「その後どうですか?」と思っている人も一人くらいはいるかもしれません。ということで、少しだけ触れていこうと思います。 変化としては抜群の変化という感じでしょうか。 ブログ自体は新規投稿の他、アイキャッチ画像の追加や内部リンクの増設等々を行い、現在も

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絶望の価値

絶望の価値

実は絶望には考えられないような価値があります。 どのような価値か? それは世界を捉える歪みを正し、曇を取ることです。 世間的な表現をすれば「自分を取り戻す」ということになります。 絶望というものは、望みを持たないということです。 その時、「自分」を構成する全てとの関係性をひとまず切ることになります。 そして「現実」から離れます。 そしてさらに、現実が決めるのではなく、私が決めるという立場に立つことになります。 自然で強力でこの上ない確信

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十二月の憂鬱

毎年十二月になると、月の中ほどまでの間に激しい憂鬱がやってきます。その重圧は、十一月の後半くらいからやってきます。 振り返ってみると、夏の暑さが厳しかった年ほどそうなる傾向にあります。また夏や秋にスケジュールを埋めすぎるとそのようになりがちです。 ここ数年は、毎年のように十二月になると限界に近づきます。 睡眠と栄養の不足、そして「他人の空間」に入りやすいからでしょう。 睡眠が不足したりしてくると消化能力が落ちて食事量が減り、結果栄養不足

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あてにならない専門家たち

あてにならない専門家たち

ここ数年「あてにならない専門家たち」に出くわす機会が増えました。直接話をしたときにも「頼りないなぁ」と思うことが多く、また多少専門的な本を読んでも「答えになってないじゃないか」というようなものが多く、結局何の頼りにもならないということをよく経験しました。 考えてみるとそうしたことが起こるのは育児や医療、介護の分野でそれまで慣れ親しんできた領域とは畑違いのところばかりです。 人の尊厳と可能性 これは領域が違うからということではなく、その業

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耐え難きを耐えるわけがない

個人的にですが、基本的に「耐え難きこと」を耐えるわけがありません。そこで自分にとって最も耐え難きこと、怒りが沸点に達するポイントは何なのかという点ですが、それは端的に「頭の悪い人が主導権を握り、決定権を持っていること」です。 世の中では「バカでもいいんだよ」「アホでもええねん」というようなことを言う人がいます。その人に何の権限もなくその人の人生においてだけであればそれで構いません。 しかしながら、それでは困る場合があります。 ということ

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日々の花束

先日11/22はいい夫婦の日でした。そうした日に、妻に花束の一つでも渡すということはどれくらいの家庭で行われているのかは知りません。 そうした日に限らず「日々の花束」ということで、僕の中ではランダムに花束を渡すということにしています。 属性として妻や母であったとしても、どれだけ年齢を重ねても「女の子」という部分がなくなったわけではありません。 花束を渡すという習慣の発端 こうした花束を渡すという習慣が習慣づいたのは、両方のおばあちゃんの

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介護や育児の道しるべとしてのリテラシー

介護や育児というものは疲弊すると言われています。普通に考えるとその通りです。 しかしながらそうした疲弊をできるだけ低減させるということは可能です。そのためにはリテラシーが必要になります。 疲弊している人としては、「他の家族にやってもらう」という発想をしがちですが、それ以外の方法も実は無数にあったりします。 また、リテラシーが不足しているために、様々なことを諦めるということも起こり得ます。 リソース不足を感じ、出産を諦めたり、介護のために

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外に出すことと内に秘めること

基本的に情報は外に出した方が良いと思っています。それがどのようなことであれ、どんどん外に出していった方がうまくいきます。 良いことでも悪いことでも思っていることはどんどん外に出していった方がうまくいきます。 それは協力者が現れるというような実利的なことだけに留まりません。 一番の利点は意識の向きが良い方向に変化するということです。 外に出す情報が「悪いこと」でもです。 外に吐き出したいような「悪いと思っている情報」を外に出すことができな

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悪しき伝統や価値観

少し上の世代が持っていた悪しき伝統や価値観についてでも触れていこうと思います。 年齢的に僕は前後世代との狭間にいて、「社会をどう捉えるか?」にあたってちらほら混乱があったような気がします。 そんな中、悪しき伝統や価値観を「僕達世代で断ち切ろう」というようなことをした思い出もたくさんあります。 意味不明な暴力の否定 例えば、ボーイスカウトにおいて、年齢が2つ上の人たちは、1つ上の人たちに暴力を振るっていました(「フィードバックを奪う人たち

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「目の前のたったひとりのために」という視点

「目の前のたったひとりのために」という視点さえしっかり持つことができれば、案外様々なことはうまくいきます。 しかしそんなことは何となくわかっているようなことで、使い古されたような印象もあります。ただ、そうした視点を持っているはずなのにうまくいかないということも起こり得ます。 その原因はいくつか考えられますが、ひとつは「目の前のたったひとりのために」と思いつつ、その相手への意識がはっきり向いていないということです。また、一つは、相手のため

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人の尊厳と可能性

本投稿で「雑記」400投稿目となりました。ということで、「人の尊厳と可能性」についてより身近に、そしてより深く雑記らしい雑記を書いていこうと思います。 最近「プロ意識が欠如している」というか、「もうちょっとしっかりしろよ」という人によく出くわします。 まあ職業というものをどういうふうに捉えているのかによりますが、たいてい「お金のため」とか「親に半ば強制されて」等々嫌々その仕事をしているという人ほどプロ意識が欠けています。 患者のことなど

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