虚栄心をもたない
情熱的な人間は、他の人々が考えるものをあまり考えない。彼らの状態は、彼らの心を虚栄心以上に高めるのである。 曙光 394 マルチネットワーク全開の人の勧誘文句が「あなたもランボルギーニに乗りませんか?」だったということを筆頭に、今回は虚栄心です。 「本当にランボルギーニに乗っているなら虚栄じゃなくて本当に金持ちじゃないか」 という人もいるかもしれませんが、お金で消費物を買って使うことで得られる贅沢など、たかだか知れています。 そして、まず「みんなに羨ましがられているはずだ」と思うのは誰ですか? 自分ですね。 という
危険な美徳
「彼は何ものも忘れない。しかも彼はすべてを大目に見る。」― そのとき彼は二重に憎まれる。というのは、彼はその記憶と寛容によって二重に人を恥ずかしがらせるからである。 曙光 393 危険な美徳ということで、引用とはあまり関係ありませんが、動物保護団体について、ちょっと考えたことを書いていこうと思います。 まあ少しショックでした。 まずは参照記事のご紹介から行きましょう。 動物保護団体の崩壊 動物保護団体の崩壊 〜ネグレクトになった保護団体〜(リンク切れとなったようです) 動物愛護団体だったりとかは結局、ボランティアと
礼儀の条件
慇懃無礼(いんぎんぶれい)という言葉があるように、丁寧過ぎる対応で逆に相手に対する皮肉を込めているようになってしまうというパターンもあります。 礼儀の条件ということで、礼儀について触れていきますが、これは一種の洗脳であり、意識的な結界でもあります。基本的なマナーというものは「相手を不快にさせない」というものであるはずなのに、礼儀が形式的になった故に、「礼儀がなっていない」という無駄な不快感を呼び起こすものにすらなっています。 礼儀を重んじろというのはミスター脳筋こと孔子が統制のために説いた道徳です。礼儀を重んじると
悪の瞬間
活潑な性格の人々が嘘をつくのは、ほんの一瞬のことでしかない。そのあと彼らは自分で自分を偽ってしまい、確信をもち、正しい。 曙光 390 嘘をつくのはもちろんですが、嘘をつかれる瞬間というのもなかなか嫌なものです。 その嘘の内容にもよりますが、だいたいは自分都合のスケベ心か身の保身くらいなもので、方便のような気づきのための嘘や「相手を混乱させないための嘘」というタイプのものではない嘘は許してはいけません。 嘘がどんな感じに嫌かというと、「なめている」という面がもっとも嫌なポイントではないでしょうか? 相手を軽視してい
才気を隠す
だれかがその才気をわれわれに隠す現場を取り押えると、われわれは彼は人が悪いという。しかもお愛想と博愛のために彼はそうせざるをえなかったのだ、とわれわれが邪推すると、なおさら一層そういう。 曙光 390 「能ある鷹は爪を隠す」と、散々言ってくる仕事のできないおじさんがいました。 そんな言葉を説きながら、同期の社員がえらく出世したおかげで口利きで多少出世させてもらったという実績を持つ人です。 「一体あなたのどの面が『能』なのかね?」と言いたくなるほどです。 京都人的な発想ですが、「能のある鷹は自分からそんなことを言わな
すこし重すぎる
とても正直ではあるが、愛想がよいとか愛すべき人物であるとかいうにはすこし重すぎる人々は、お愛想をいわれるとたちどころに、まじめに世話をやいたり自分の能力を提供したりして、これにこたえようとする。 曙光 389 前半 世の中には「甘え上手」というタイプの人がいます。 相手にしてはいけません。 なぜならその人達は甘えるのが上手いため、世話をしたとしても、そのお世話に対しては何も思わないからです。 ほとんど当然のことのように思っており、むしろ一度世話をすると、その次に世話を断ったときには拗ねるか、怒り出すか、関心をなくし
良心の疚しさのない悪事
良心の疚しさ(やましさ)のない悪事ということで、洗脳されてしまった人たちによる「良心の疚しさのない詐欺的営業」についてでも書いていきましょう。 「本当に頭の中はどうなっているんだろう?」 と、僕にはあまり理解できないような人たちがいます。 いい人なのですが、疚しさなく詐欺を行っているような人たちです。 ご本人は良心の疚しさなく仕事という社会的な活動をしているつもりでしょうが、売っている物自体が詐欺的商品である場合もあります。それを詐欺的商品であるかどうかを見抜けないというか、見抜こうともしないというのはどうなのか、
道徳的な流行
道徳的な全体判断は何と変化したことだろう! 曙光 131 序 毎度おなじみ道徳の時間です。 世の中には宗教という形を取らなくても、変化感じの思想とか道徳的教義をもって群れる集団があります。あまり言い返せそうにない道徳によって人を洗脳するという感じです。 まあこうしたものの大半は、来世主義だったり、「もうすぐ宇宙人がやってきて地球を支配するから、今のうちに宇宙人側につくんだ」というようなものであり、結局、自分よりすごい存在がいて、その存在に駄目な自分の人生をなんとかしてもらおうというような教義で溢れています。 以前、
乞食
乞食は禁止すべきである。乞食にやるのは癪にさわるし、やらないのも癪にさわるから。 曙光 185 まあこの物乞いに関するニーチェのアフォリズムは、結構有名だったりしますね。この「乞食は禁止すべきである。乞食にやるのは癪にさわるし、やらないのも癪にさわるから」は、事あるごとにニーチェの代表的な格言として出てきます。若干の日本語訳違いがあったとしても、結構目に触れた方も多いのではないでしょうか? といっても、禁止しようにもできないですからね。こうした問題は、社会福祉として国家がなんとかしていくしかありません。 実際に貧困
結婚前の熟慮の見本
もし彼女が私を愛するとすれば、長く続けば彼女は私にとってどんなに重荷となることであろう!またもし彼女が私を愛さないとすれば、長く続けば彼女はそのときようやく私にとってどんなに重荷となることであろう!二つの違った種類の重荷が問題であるにすぎない。― それゆえわれわれは結婚しよう! 曙光 387 モテないが正しい、ということをいつも言っていますが、あまり理解されないような事柄ですので、もう少し深く書いてみようと思います。 男女ともに、本当にモテないが正しいということを悟った時、どうなるのでしょうか? 男女ともに、モテを
悲壮な人々と素朴な人々
胸をたたいて悔み、自分自身を悲惨で卑小だと感じる観客のことを考えるあの楽しみのために、悲壮さを示しうる機会をひとつも見のがさないことは、極めて高貴でない習慣であるかもしれない。したがって、悲壮な状態を嘲笑したり、その状態のとき自分にふさわしくない振舞をしたりすることは、高貴な心のしるしであるかもしれない。フランスの古い軍人貴族は、この種の高貴と洗練を身につけていた。 曙光 386 悲惨な状況の時、どういった振る舞いをしているでしょうか? 「悲惨だー大変だー」というのが普通です。でも普通が正しいとは限りません。 僕の
目的か?意志か?
たまに「今 集中」なんてなキーワードでサイト内検索が盛り上がっていることがあるようですので、今に集中するということについて書いていきましょう。 もちろん、「今やっていることに集中しろ」というような、義務教育的なお話ではなくて、今この瞬間に意識を集中させるというようなものです。 今に集中する場合、意識の集中のレベルによって、体感にも段階がありますが、途中で変な体感がやってきても、「今そんな変な体感があるだけだ」と考えてください。 でないと、あとで変な宗教にハマってしまうかもしれないからです。 全ての思考と感情をストッ
うぬぼれの強い人々
われわれは陳列店のようなものである。われわれはそこで、他人が与えてくれるわれわれの特質なものを、自分でいつも整頓したり、覆い隠したり、光に当てたりする。ー 自分を欺くためである。 曙光 385 男女ともにうぬぼれの強い人はいつの時代でもたくさんいます。「うぬぼれがかっこ悪い」ということが問題ではなく、うぬぼれの根底は恐怖心であるというようなことが問題です。 うぬぼれは、他人に対して主張しているとか、意識の中で作り上げた架空の他人を説得しているような構造になっており、根底に恐怖心や分離という感覚がない限りそうしたもの
奇人
その最上の作品や感動をくだらないと見なし、それを打ち明けたり述べたりすることの下手な小心な人々がいる。しかし一種の復讐心から、彼らは他人の同情をもくだらないと見なす。あるいはまったく同情を信じない。彼らは、自分自身のことに心を奪われたように見えることを恥じ、物笑いの種になることに反抗的な快感を抱く。ー これは憂鬱な芸術家の魂の状態である。 曙光 384 奇人、ということで、今回はなんとなくH ZETT M氏が浮かんだので、H ZETT M氏について書いていきます。 またH ZETTRIOなんかを始められているので、
物に対して勇敢
生まれつき、人に対しては思いやりがあったり小心であったりするが、物に対しては勇敢である者は、新しい親密な知人たちを憚り、旧知の人たちを制限する。それは、彼の匿名と彼の容赦なさとが真実に成長して一体となることのためである。 曙光 512 動植物には思いやりがあるのに、物にはあまりない、そんなことを言われることがあります。 特に物を粗末に扱うというわけではないものの、物への愛着と言うか思いやりのようなものはそれほどありません。その理由は、やはり物欲のなさに関係しているような気がします。 僕は昔から、物欲がありません。そ
無政府主義者の産物としての国家
馴らしつけられた人々の国には、依然として馴らしつけられない残余の人々が存外いるものである。 曙光 184 序 「無政府主義者の産物としての国家」ということで、無政府主義(アナキズム、Anarchism)について書いてもいいのですが、政府が正しいわけでも無政府主義が正しいわけでもないというようなことについて触れていきましょう。マジョリティだからと言って正しいわけでもなく、逆にマイノリティだからといって正しいというわけでもないという点です。 たまに言っていることがありますが、世の中の普通が正しいわけでもなく、常識が正し
同情のお芝居
たとえわれわれがどのように不幸な人に関心を寄せようとも、われわれは彼の面前でいつも何かお芝居を演じている。われわれは重病人の寝台のそばにいるいしゃのあの慎重さを抱いて、われわれが考える多くのことや考えたとおりの多くのことを語らない。 曙光 383 世の中には本音を語る人は少なく、特に京都では本音を語る人は極端に少ない傾向にあります。 本当のことを言ったところで仕方ないというのが「本音」ですが、一応僕は、社会の中でもほとんど本音で生きています。 一方、「ほとんど」というのはいかなるものか、ということで、例外ケースがあ
誘惑者
正直はあらゆる狂信者たちの偉大な誘惑者である。悪魔の姿もしくは美しい女性の姿をしてルターに接近するように思われ、ルターがあのような無作法な仕方で自分を守るために防いだものはおそらく正直であったのであり、しかもひょっとすると、一層珍しい場合ではあるが、真理でさえあったであろう。 曙光 511 誘惑者ということで、キレイになろうとするような人について触れていきましょう。美貌こそが誘惑の武器であると思っている人たちです。 エステ経営者に聞いたことがあるのですが、美しくなろうという動機は同じであるものの、すごい恐怖心のもと
老いも若きも
老いも若きも。 楽しめるのが文化系。 ということでプレシジョンベースについてでも書いていきます。 わがパートナー Fender プレシジョンベース 一応初代のベースは、英会話の先生のお兄さんからのお下がりで、今ではお蔵入りですが、その後中3から使っている二代目プレシジョンベースをいまだにずっと使っています。 三代目のジャズベもあるのですが、やはり本質的なところでは自分のプレシジョンベース以外のベースを受け付けないようです。 なんせ中3からですから既に18年以上の付き合いになります。 新品を手にし、十代の頃からの汗が
いわゆる動機の戦い
そこでわれわれは、動機の戦いを、様々な行為の可能的な結果の比較と取り違える。― 最も効果があり、そして道徳の発達にとって最も宿命的な、取り違えのひとつである! 曙光 129 文末 根本的な動機を探ってみるということを試みた場合でも、頭で考えていては、全然根本的ではないことを「根本的な動機だ」と結論づけで納得してしまうことがあります。 面接などで「志望動機は何ですか?」というような質問項目がありますが、ウソはすぐにバレますし、何となくそれとない、優等生的な回答をするしかなくなってしまうことがよくあります。 まあ営業
清涼飲料としての誤謬
これはもう清涼飲料水について書くしかありませんね。 一番好きな清涼飲料水は、コカ・コーラが稀に限定発売するバニラコークです。次に沖縄バヤリースのサンサン(サンサントップクリームソーダ)です。 で、ここに挙げたものは何だか限定品ばかりなので、限定ではないものを挙げておくとウィルキンソンのジンジャーエールなんかが好きですね。たいてい酒屋にしか置いていませんが、酒なんかで割るのがもったいないですよ。 それとJT飲料の爽快ビタミンですね。 そして安定のポカリスエットです。これは今でも出張の際には900mlを常備しています。
キリスト教と感動
キリスト教の中から、哲学的に反対する大きな民衆的な抗議をも聞きとることができる。古代の賢人たちの理性は、人間に感動を思い止まらせた。キリスト教は感動を人間に再び与えようとする。 曙光 58 前半 「キリスト教と感動」ということで、またまたニーチェの好きなキリスト教系の話題です。たいていニーチェがキリスト教のことを語る時、イエスのことではなく、パウロ以後宗教化されたキリスト教のことを指していることがほとんどです(最初のキリスト教徒)。 キリスト教徒、特にキリスト教系新興宗教・カルト宗教においては「新約聖書に書いてある
園芸家と庭園
日本のわびさびはなんですか?と外国人に聞かれたら、 「庭園の朝顔が満開だということで、それを見たいという人がいた場合、朝顔を全て刈り取り、居間の一輪挿しにだけ朝顔を残しておくこと」とでも説明しましょう。 千利休と秀吉の逸話ですね。 さて、園芸家と庭園です。 そんなに育てることが難しくないとされている植物でもすぐに枯らしてしまう人がいるそうです。 変な占い師なら「邪気の影響だ」とかすぐにそういうことを言うでしょう。 まあそういう意見は放っておいて、案外忘れられがちな大切な要素について書いていきます。 植物にとって土と
彼の「個々の物」を知る
はじめてわれわれを見る知らない人の眼には、われわれが自分自身そうであると考えているものとは全く違って見えることを、われわれはあまりにも忘れやすい。印象を決めるのは大ていは目につく個々の物以上の何物でもない。 曙光 381 前半 以前、「優美さがない」の「パーカーとスーツ」で少し書いたことがありますが、見た目で判断する人は実に多いような気がします。 見た目で判断されるからこそ、高級車や高級腕時計なんかで対人関係のアドバンテージを稼ごうとするのでしょう。 世間はそんな感じですが、僕は最近営業マンと会ったときなど、Tシャ
確かな助言
慰めを必要とする人々にとって、あらゆる慰めの手段の中で、君たちの場合には慰めになるものは何もないという主張ほど快いものはない。ここには、彼らが再び頭をもたげるような栄養がある。 曙光 380 正確な助言ではなく、慰めや協調のほうが重視されることがよくあります。 基本的には、真っ当な意見よりも相手が落ち着くような意見の方が重要視され、真っ当な意見を言った人も「そんなんだったら聞くな」とか「もう二度と助言などしてやるものか」という気分になります。 これは感情のフィールドと思考のフィールドを混在させているから起こる現象で