中学生の時、ひとつ上の学年の人たちに悉く嫌われ尽くした僕は、かばんに鉄板を入れて武装し、程よい緊張感の中、登下校をしていました。
「日本は治安が良いというのは、嘘である」
と思っていました。
まあ鉄板についても「恐い」というより「面倒くさい」というのが本音であり、「いざというときのために」というのは正しいですが「一気に終わらせたい」というのが本心でした。
同級生の大半は、そんな人達に変に媚びを売るような感じで過ごしていたので、標的は僕と僕の友達だけでした。しかしながら僕の友達はお兄さんの力によって除外されていたので、結局僕だけが標的になっていました。
まあそんな中でも平々凡々と登下校をしていましたが、ある時家に着く直前に、ひとつ上の人が自転車で我が家の方向からこちらに向かってきました。
「はて?」
と思ったのですが、特に顔を見合わせることもなくその人は去っていきました。
家につくと、おじいちゃんが肩で息をしながら玄関の中で立っていました。
なんでも、ちょうど家から出ようした時、家の前に自転車に乗った金髪の中学生がいたので、僕の友達かと思い、「bossuか?なんや友達か?」と聞くと、無言で帰っていこうとしたので、「何やお前は?誰や?」と聞いてみたそうです。
それでも黙って去ろうとしたので、「わしの孫に何の用じゃ!」と吠えたということのようでした。
まあその人が何のために家までやってきていたのかは不明ですが、そんな感じでおじいちゃんが一喝して追い返したという感じのようでした。
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また別の日になりますが、今度は帰宅途中の父が別のひとつ上の人と我が家の前くらいですれ違ったようでした。
どうもうちに用事がありそうな雰囲気だったので、声をかけるとまた無言で睨みながら去っていったという感じのようでした。
その人は幼稚園が一緒だったので微妙に父も知っている人でした。
僕が帰ると、
「なんやあいつと遊んでんのか?」
と聞かれたので
「まさか」
と答えました。
「ほなら何の用や?」
と聞くので
「オレを狩りにでもきたんとちゃう?」
と答えておきました。
すると父は激昂し、
「あいつひとつ上とちゃうんかい。こないだもなんかわけのわからんやつが来とったやろ」
というので、
「そうや」
と答えると、
「なんじゃそれは!そいつ家どこや?」
と怒り心頭の様子です。
父は木刀を持ち出し、敵愾心剥き出しでその人の家の町内まで行き、近所の人に聞いて回って殴り込みです。
一応父の理屈としては、「下級生をしばいていい、ということであれば、自分もその学校出身なのでしばく」ということのようでした。
後で聞いた話ですが、結局、その人は家の奥から出てこず、そのお父さんが出てきて土下座して終わったということのようでした。
その後、「君主論から考えるいじめへの対応と対策」で少し触れていましたが、友人のお兄さんなど「かなり年上の人」たちが、父と同様に「年下の子を集団で囲んでいいんやったら、俺らもそいつらを囲みに行くわ」という感じの理屈で守ってくれました。
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そんなことを思い出したりすると、まあ自分も祖父や父に愛情たっぷりに守られていたんだなぁということを思ったりします。
笑う月(一覧)
幾度となく触れていますが、僕は少し上の体育会系に激しく嫌われます。そして、嫌われるだけでなく僕も相手のことが嫌いです。怨憎会苦は、怨み憎む人に会うことによる苦しみが基本となりますが、僕も「お互いに嫌い合う人」がいっぱいいたという感じになります。
とりわけひとつ上の学年の人にはよく絡まれました。
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