日常的に心理的なストレスを抱えている場合、たいていは「意識を変えよう」とばかりしてしまいます。「心理的な問題なのだから、この心を何とかしなくてはならないのだ」という感じです。
ただお腹が空けばイライラするように、腹が痛いと弱気になるように体調も無視するわけにはいきません。腹が良くなれば気分もマシになる、それと同じように、いくら心理的な問題だといっても、環境を整備することで微かなストレスの積み重ねを軽減することはできます。
「私を見て!」という自己顕示欲に付き合う必要はない
さて、世の中では人の意識の矛先として「注目」を集めたものが勝つというような構造があります。
代表的なものはマスメディアやSNSです。たくさんの人が見るからこそ情報コントロールが可能になり、たくさんの人の注目が集まれば集まるほど、その効果は大きくなります。
そしてたくさんの人の意識の向き先として成り立てば、「これだけの人が見ているので広告による情報コントロール効果も高いですよ。ひとつ広告出稿はいかがですか?」というようなことになります。
だからこそ視聴率云々、PV数云々の話になるのです。
そんなこんなでソーシャルネットワークにおいては、年々ユーザーが下火になってきているので、投稿しているユーザーが自己顕示欲で次々に投稿していると言うよりも、SNSの母体が何かしらの理由をつけて通知をしてきたりします。
つまり、SNSの母体・運営元が「私を見て!」と言ってきているわけです。
「知るか!」
くらいでいいのですが、そうした「私を見て通知」が来ること自体が微かなストレスです。
「それくらいまあいいか」とか「無視しておけばいい」という感じかもしれませんが、仮に無視するにも一度は意識を振り向かされているわけです。
それはエネルギーの浪費であり、時間の無駄です。
こうしたものも知らず知らずに細かなストレスとなります。
微かなものであっても意識が注目してしまったり、気がかりを持ってしまったりすると微かなストレスなります。
微かな気がかりが微かなストレスに
そのような感じで考えると、「便利さ」には必ずデメリット部分もセットであるということになります。
例えば、いつでもどこでもメール・メッセージが確認できるという便利さはいいですが、「メールが届いているかもしれない」という微かな気がかりが微かなストレスになっているのです。
「メールが届いていたとしても無視すればいい」というわけでもなく、通知が来ることはもちろん、「もしかすると」と若干気になっている部分があることが問題です。
機械に触れないということや電源を切るということもひとつかもしれませんが、それでも「もしかするとメッセージが届いているかもしれない」などと無意識的に気がかりになっている点は残るでしょう。
それを防ぐためには、究極的には「一切使わない」という感じになりますが、最低限「どうあがいてもすぐには確認することができない」という環境を作っておくくらいしかありません。
意識のスペースも集中力も「私を見て!」に奪われるなど馬鹿らしいにもほどがあります。
ありがた迷惑
また、能動的に意識を振り回すものとは別の分野になりますが、光や音が無駄に神経に触る時があります。
LEDが安くで作れるようになったからなのか、家電には「わけのわからない光を放つモノ」がたくさんあります。
LANが繋がっているモデムなどは、年中無駄に点滅しています。エアコンからも無駄に光が出ています。
僕は昔、こうした無駄な光を「睡眠を阻害し、人々を弱体化させるための策略ではないか」と思ったほどです。
また事あるごとに電子音を鳴らすという工夫がなされていたりもします。
問題なのはこうしたものをオフにできないことです。強制的に点滅した光を見せられたり、不自然な音を聞かされたりするのです。
大昔の話になりますが、友人にそんな話をしていると「そうした細かな光が本当に睡眠を浅くしているので、できる限り遮断したほうがいい」ということを教えてもらいました。
そして帰りに100円ショップに行って付箋とセロハンテープを購入し、帰宅してすぐに室内全ての「不自然な光」を遮断してやりました(なお、最も手軽で効果的なのは、アルミホイルです。光源の遮断には細きちぎったアルミホイルをテープで止めるというのが最も効きます)。
そんなことをわざわざしないといけないなど、家電メーカーの開発・デザインセンスが問われるのではないかと思っています。
ということで、日常にはそうした微かなストレス要因があります。少しの工夫で改善できるのであれば、可能な限りストレス要因を取り除いてみましょう。
「無料」は時間を奪う
また一方で、近年無料のサービスが爆発的に増えました。
しかし、無料の裏側には何かしらの収益モデルがあるはずです。そして、無料のものは概してクオリティが低く、時間が無駄になります。
その代表例は無料で見れる安物のYouTube動画ではないでしょうか。中には面白いものもあると思いますが、所詮何かのコンテンツを再編集の名の下パクっていたりするだけだったりもするのでいろいろな意味で価値はありません。
「無料で暇つぶし」という視点で考えれば最高の構造かのように見えますが、時間の大切さをあまりに軽視しているような感があります。地域的な価格差もあると思いますが、百円ちょっと払って映画DVDでも借りに行っている方がよほど良い時間が過ごせるのではないでしょうか。
また変にネット配信の無料ニュース記事などを読むよりも、漫画でも買いに行っている方がより自分を高めてくれます。
コストに対する最大のリターンは書籍だと今でも思っています。
そう言えば先日、古本屋に本と漫画を大量に買いに行きましたが、その時に「またいつか買おうかなぁと思っていた本」をたった80円で購入しました。自販機のジュースより安いのですが、内容は無料動画の数百倍、数千倍だと思っています。
さて、それはそれで置いておいて、ひとまず無料につられ、無料に慣れ「無料のものばかり探す」ということになり、結局時間を有意義に使っていないというケースもよくあります。
「気付けば『無料』に飼い馴らされていた」ということです。
そして、その内側ではより満足の行く経験もできず、不完全燃焼を起こしています。
それも隠された「微かなストレス」です。
わざわざ有料のものに飛びつかなくてもいいですが、無料のものを避ける、無料のものを探そうとすることを避けるという感じで時間を有意義に使い、より大きなダイナミズムを感じるというのもひとつです。
周りの環境を整える
何事も意識の中で「やろう」とか「やめよう」と思っていたとしても、すぐに意識は楽な方に流れようとします。
そんな感じで無理に意識を保つことにエネルギーを使うくらいなら、いっそ自分の周りの環境を変えてしまえばいいのです。
極端な例を言うと、テレビや無駄な家電を捨てるか人にあげる、携帯電話を解約する、というようなことになります。
また、逆に習慣にしようと思っていることなら「覚えておこう」と力むのではなく、トイレの壁にでも張り紙をしておくことです。
少し面倒くさくする
何かをやめようとする時、何か便利な半面気がかりになっているような事柄を気にしなくなるように環境を整えるのであれば、「少し面倒くさくする」というのも有効的です。
例えがいきなり飛躍しますが、友人の中でも本当に仲の良い親友であれば、多少物理的距離が遠くても遊んだり連絡をとったりします。
しかし、だいたいの友人などは「手頃だから遊んでいる」というのが本当のところです。
学校や職場が同じ、住んでいるところが近い、生活時間や休みのタイミングが合うというような「手軽さ」が関係を結びつけていたということです。
所詮そのような手軽さがあっての友人など、手軽さが無くなり、「若干面倒」にでもなれば遊ばなくなります。
残酷なようですが、所詮その程度の仲なのです。
それと同じように、「便利なもの」は手軽だからこそ意識が向くのです。
ということは、少し面倒くさくなるようにさえすれば、執着はなくなっていきます。
テレビはリモコンボタンを押すとすぐにつくから利用するのです。
ということは、「毎回コンセントを抜く」というルールにしてみればどうなるでしょうか?
「あー…面倒くさいな」
ということになって、あまり余裕が無い時になるとテレビをつけなくなるのではないでしょうか。少なくとも頻度は減るでしょう。
では、スマートフォンのアプリケーションならばどうでしょうか。その答えは「アプリごと消す」ということです。
毎回やるとなれば、再ダウンロード、再インストールが必要だということになれば、ほとんど見向きもしなくなるはずです。それがゲームならばなおさらでしょう。
仕事上のメールを確認するためのメールアプリなら、あえてスマートフォン上ではメールの設定をせずに、毎度毎度Webメールを開かねばならないという状態にしておくことです。勤務時間外で見る必要がないのであれば、そうした状態でちょうどよいくらいです。
本来は、メールなども郵便と同じように「普通と速達」くらいの取扱ができるようになっていけばいいのです。
仕事用のメールならば、普通送信では「営業日の勤務時間中にしか到達せず、その時間以外の送信の場合は、翌営業日の勤務開始時間に届く」ということにし、速達送信では、緊急連絡として今までと同じようにリアルタイムで到達するという感じで送信形態を設定できるようにするという感じです。
今でも送信時間の設定などはできますが面倒です。だからあまり利用されていません。それを個人レベルのやり取りで、もっと円滑にできるような技術があれば世の中はもっとストレスが無くなっていくでしょう。
相手の自己顕示欲やビジネス上の都合に付き合う必要はない
しかしながら、世の中では「私を見て!」が正しいとされています。
しかしそんな相手の自己顕示欲やビジネス上の都合に付き合う必要はありません。
もしそんな人達のエゴが、意識に微かなストレスを与えているのなら、徹底的に排除するべきです。
万人は自己都合で動いています。
もちろんその自己都合の中には、「相手や社会がより良い状態になることを含めて」という自己都合もあるので、自己都合と言えども「全てが自分だけの都合」というわけでもありません。
ただ、やはり「みんなに注目されたい!」といった歪んだ自己都合を押し付けてくる人もいます。
それを無視しても良いですが、無視するのにも少しはエネルギーがいます。ということで、努力しなくても良いような環境を整備することも一つの工夫となりえます。
意識で努力しなくて良いように環境を整備する
何某かの努力や根性が必要とされる時、そこには何かしらの無理があります。無理なものを気合いで突破しようとしているという感じです。
それで現実的には突破できることもあると思いますが、無理をしている分余計なエネルギーが必要になっています。
そのエネルギーを気力だとすると、気力を消費してしまうということなのでそれは一種のストレスです。ストレスを軽減するためにと別件でストレスがやってくるのなら元も子もありません。
そういうわけで、もしそれが環境の整備で事足りるなら、意識的に努力をする必要がなくなるようになるべく環境を整備していけばいいのです。
端的には生活上の工夫です。
当たり前のことを当たり前だと思う前に、その当たり前が実は自分にストレスを与えているのではないかと自省してみるべきです。
するとかなり余計なものを抱え、かなり意識を乱されていたことに気付くはずです。
もしそれに気づいたら、なるべく意識的な努力なくストレスを軽減できるように、周りの環境を整備してみましょう。
寝室には寝具以外置かないというのもひとつです。
「テレビがあったほうが便利だなぁ」と考えるのではなく、その便利さが意識を奪っていると気付くという感じです。
それは、ふとした時に「手軽に寝ながら時間を潰せる」という面だけでなく、スタンバイを示すの小さな光すらも重荷になっているのだということです。
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