申し分のない相手を望むということで、「理想の相手」について触れていきましょう。「本当に理想的なパートナー」というものを思い浮かべる時、どんな人を思い浮かべるでしょうか?
思う存分わがままに設定したとして、もう一度その設定を振り返ってみてください。
おそらく、どこかしら抵抗があるのではないでしょうか?
例えば、相手は金持ちの方がいいということを思っていた場合でも、気持ちの奥底では「金持ちの家の風習についていけないかもしれない」とか「不動産収入があるのはいいけど、何だかんだで自分のために外で頑張ってくれている姿を見たい。苦しいのは嫌だけど二人三脚感が欲しい」というものなどなど、どこかしら単純に無条件で良いとは思っていなかったりします。
「自分の言うことを聞いてくれる人」
と言いながら、実は被支配の欲求が強く、頭の上ではそんなことを思っていても、実は「引っ張っていってくれる人」がいいと思っている場合もあります。
「申し分のない相手」として、理想の相手について好き勝手思っていいのであれば、様々な理想を思い浮かべても良いはずですが、心の奥の奥ではどんな理想を持っているかはわかったものではありません。
自分の中にある異性性
そんなこんなで、理想の異性ということになると、自分の中にある異性性のようなものが大きく影響を与えています。
男性であれば女性性です。
自分が異性であればどのような人物像か、どのような人格に向かっているかというところです。で、実質的に完成しているかしていないかは別として、その人物像が理想の異性です。
そして、僕に例えて言うなら、僕の女性性は、どうしても父方、母方のおばあちゃんがモデルになっています。
隔世遺伝
ということで、よく職業や気質は隔世遺伝するということが言われますが、それはそんな二人のおばあちゃんが惚れた男性像に近づこうとする無意識の流れだと勝手に思っています。
考えてみれば、僕個人を遡って検討すると、職業も気質も二人のおじいちゃんを足してニで割ったような感じです。超絶甘党というところまで似ています。
と、おじいちゃんの話になりそうになりましたが、二人のおばあちゃんに話を戻しましょう。
二人のおばあちゃん
二人のおばあちゃんに共通していたのが、おじいちゃんに惚れ込んでいたという点です。
一方は寡黙な菩薩、一方は思ったことをすぐに口にする浪費家と、性格は両者全く異なりますが、両者共におじいちゃんへの愛は凄まじいものでした。
母方のおじいちゃんは早くに亡くなったのですが、おばあちゃんは毎日墓参りに行っていました。
そして父方のおばあちゃんに至っては、正月にビールを飲ませたところ、「会社の宴会で酔っ払ったおじいちゃんが、公衆電話から電話をかけてきて『愛してるよ』と言ってくれた」という話をウキウキしながら話すような感じでした。
ということで、慈しみと情熱の間にという感じです。
僕の中の女性性はそれが根幹になっています。
そして、その性質が「申し分のない相手」の根本モデルになっているのです。
寡黙な菩薩のおばあちゃん
ただ、最終的には寡黙な菩薩のおばあちゃんが「申し分のない相手」の根本モデルの大半を占めることになりました。
そのきっかけは、生前おばあちゃんに誕生日プレゼントの花束を持っていったときのことです。
今でも鮮明に覚えていますが、一見感情が無いかのような穏やかなリアクションで、こちらが驚いてしまうというか、ある意味で拍子抜けしてしまうというか何というか…
「ありがとう」
といいながら淡々と花瓶の準備などをしだすのですが、別におばあちゃんにリアクションが特に無いということで、僕が期待はずれでがっかりした、というようなものでもなく、すべての感情が無になり、穏やかな湖面のひだまりのような空間に溶かされていくような感覚になりました。
おそらくあの感覚の中に入ってしまうと、激昂した長州力氏でも、穏やかに固まってしまうのではないかと思います。
何にも抵抗のない感覚です。かと言って相手の言いなりというわけでもありません。感情的に憐れむという感じを出すこともありません。喜びに舞い踊るという感じも見たことがありません。
ずっとややニコニコ顔で「ふんふんふんふん」言っている感じです。
リアクションを含めた見返りを期待するわけでもなく、純粋に少しでも大きく喜んでもらいたい僕としては、どうすれば爆発的に喜んでもらえるのか不思議でたまらないという感じでしたが、常にどこかしら静かに喜んでいるという感じです。
その空気感の前には、一般的に想定されているような、どのような具体性も見劣りしてしまいます。
申し分のない相手を望む 曙光 192
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